暮らし術

みなさんが、食べ物の美味しさに感じ入るのは、どんな時ですか?

まずは、お腹がペコペコのとき!
これは間違いない。空腹こそが何よりのごちそうですよね。普段は好まないものだったとしても美味しく感じるアレこそが。
この前、仕事でランチをとり損ねて夕方遅くに食べたねじりドーナツは最高だったなあ!思わず「油と砂糖の組み合わせって美味しいもんだなあ……」とつぶやくと、そばにいた息子に「飢えてるからだろ?」と言われました。

つぎに、それそのものが美味しいとき。
当たり前ですけどね。

たとえば夏のトマトはたまらんなあ。一番好きな食べ方は、ざっくり大きく切って塩を振って食べる。わたしとしては、どんなおやつより好きです。

我が家では、トマトは1人1つ。

我が家では、トマトは1人1つ。

あとは、実はお好きな方が多いと思うのですが、ウンチク!
これが傍らにあるとき。

ラベルに書いてある3行くらいの文言を、じっくり読んじゃったりしませんか?小さなしおりみたいなやつに小さな字で書いてある、こだわりの製法についてや、こだわりの水について、伝統、受賞などを読みながら食べたりしませんか?メニューに「こんな健康な餌で育った平飼いのどこそこ産ぺけぺけを低温でじっくり焼きました」と書いてあると、美味しい料理はますますありがたく、それほどでもなかったとしても何となく納得してしまう。

まあ、うちでつくった野菜も、ちょっとそんなところがありますけどね。
これ、マメちゃんが一生懸命植えて、途中で枯れかけたけど生き返って無事収穫できたね!となると、これが愛しくて。ファミリーヒストリーの詰まったものの優位性です。

人間って不思議だなあと思います。概念を食べていたりするから。

多少小ぶりなニンニクも、むやみに愛し。

多少小ぶりなニンニクも、むやみに愛し。

でね。
それらすべてが満たされることも、たまにあるんですよね。

先日、わたしたちは南房総にて、いつものようにいいかげんな昼食を食べたあとも野良仕事に勤しみ、くたくたのペコペコでした。「母さんは疲れた。帰りがけにどこかで食べよう」ということになりまして。

いつものように安いところを探しかけた、その時。
気づいちゃったんですよね。
土用が近いということに。
そして、できれば一緒に外食したくない大食漢の息子が、いないということに。

「よし。今日は、うなるか」

子どもの頃はあの独特の風味が苦手だったのですが、いつの間にか大好きになった、うなぎ。味の好みって変わるんですね。
高級食材ですからいつもは食べられませんし、思い余ってスーパーでうなぎを買って温めても、どうもゴムみたいに硬くなるばかりで、理想と現実のギャップに苦しむことになる。
うなぎがどんどん高嶺の花になり、”うなぎに限りなく似た味のナマズ丼”が取り上げられるようになった昨今ではありますが、「年に1度は、南房総でうなる!」という小さな家族行事は続けられています。

いつも行く店は決まっていて、館山の『新松』といううなぎの老舗です。
江戸時代に創業、五代目の職人さんが焼くうなぎの煙が店の外から頭の中まで漂い、引き返すことができなくなります。

提灯にそそられます。

提灯と煙にそそられます。

人気店なので直前予約は厳しいかな、と思いつつ、あわあわと電話をかけたところ(もちろん携帯に番号登録してある)、「すいません、もううなぎがなくなっちゃって今日は終わりなんですよ」とのこと。

ええ~!
だってさあ、だってさあ、おたく生け簀にたくさんうなぎがいるじゃない。なくなっちゃってないでしょ?1家族分くらいこれから捌いてよ、30分後に行くから!

うなぎの水槽をのぞくことができるんです。

うなぎの水槽をのぞくことができるんです。

と、勝手な言い分で食い下がれるようになるまで+20歳くらい必要だったみたいで、「はーい、またにしますぅ……」とあっさり引き下がってしまいました。

土用だし、みんなうなぎ食べるんだな。
参ったなあ。

そうこうしているうちに「別にうなぎじゃなくていいー」「うなぎがすごく好きってわけじゃないもーん」というこどもたちの本音がちょろちょろこぼれてきました。

これはやばい事態。
親の強権を発動してさっさと予約をとらないと、こどもたちの大好きな丸亀製麺かスシローになってしまいます。今日だけはそれは避けたい。
口のなかはもう、うなぎですから。しかも土用ですから。

南房総にはうなぎの有名店がいくつかあります。
『新松』と並んで取り上げられているお店に、『いづ喜』というところがあるのは、ずっと気になっていました。天然うなぎに近い味わいの“坂東太郎”といううなぎが食べられることで有名なのです。

有名店に断られたあと、有名店にアタックするのはアホかしら?
時計を見ると、18時半をまわっています。

ドキドキしながら『いづ喜』に電話をかけると、「30分後?はいかしこまりました」と今度はあっさり予約がとれました。なーんだ。笑。

こどもたちは微妙にがっかりしていましたが知ったこっちゃありません。
さっさと車に乗り、いざ『いづ喜』へ。

19時を過ぎた南房総のまちなかは、本当に静かです。

店あいてない、人いない。

店あいてない、人いない。

いつも思うんですが、非都市部は店が閉まるのが早いんですよね。たとえば観光客が夕飯を食べて帰ろうと思っても、閉店時間が18時、なんていうお店もざらです。

ほんとうに商売っ気がないなあ、と苦笑しながら、北条海岸付近を目指して車を走らせました。

……ここだ!

料亭風の設えに、ちょっとひるむ心。

高級料亭風。

だいぶちゃんとした店構えじゃないですか。
ふと振り返れば、シャワーを浴びたばかりで濡れた髪をゴムでくくり、アッパッパーを着たすっぴんのわたしと、「南房総ではどろどろに汚れてもいい服を着なさい」という言いつけどおりの恰好をしているこどもたちがいます。

予約はできても、入店拒否されたら……笑って去ろう。
笑って、うなぎを全力で忘れよう。

こどもはさっさと入ります。

こどもは臆せず入ります。

暖簾をくぐると、もうそこにはうなぎの香りが。
「いらっしゃいませ~!」という店員さんの、人を身なりで判断しない視線にほっとしながら、お座敷でメニューを見ます。

……あった、あった。
坂東太郎使用 うな重「月」。3736円。

ごはんの上に、うなぎが乗って、この値段。
けっこうなことですが、今日はいいのです!迷わず注文。
「これから捌きますので20分から30分ほどかかります」と言われ、(うなぎさん南無阿弥陀仏)(しかし待ちきれないよ)と思いながら、追加でうなぎボーンを頼みました。

「これ虫?」と娘。違います。

「これ虫?」と娘。違います。

うなぎの骨を油で揚げたもので、うっすら塩味とカルシウムの味、カリッカリとした食感がたまりません。1つしか頼まなかったら、わたしもこどもたちも間断なく食べ続けてすぐなくなりました。
まだ5分しかたっていません。

暇なので『坂東太郎』について調べてみますと、これが実に興味深い。

利根川のことを「坂東太郎」と呼ぶことから、利根川の天然うなぎに近づける工夫をした養殖うなぎのことを、こう呼ぶようになったとのこと。ふつうの養殖うなぎの餌はイワシですが、坂東太郎は白身魚に生アジのすり身をブレンドしたものを与えるらしい。水質にも気を遣って、うなぎにストレスをかけないように育てているって。スペシャルな環境だなあ!
もしわたしがうなぎに生まれたら、生きている間はクオリティオブライフが守られる坂東太郎になりたい。

ちなみに養殖うなぎと天然うなぎの味の差は、諸説ありますが、一般的には、
○養殖:脂が乗っていて、味に安定感がある
○天然うなぎ:春~夏はさっぱりとして柔らかく、秋~冬は脂が乗っていて肉厚
とのこと。
また、うなぎ特有の泥臭さは、天然うなぎの場合は育った環境をあらわす“地域の味”で、養殖の場合は水質の味だそうです。
とはいえ、天然うなぎは流通全体の中の0.3%だと言われているので、食べる機会はなかなかなさそうですね。(うちの近くの川では獲れるって話をよく聞きますが!)

まだかな……
このお店のうなぎは、南房総市沓見の丸山川沿いにある「うすい水産」の養鰻場のものらしいので、地産地消ですね。たれは創業以来50年つくり足してきたものなんだって。
もう、頭の中がウンチクでいっぱいです。

「はい、お待ちどうさまでした」

来た!!

うなぎ

泣けてくるほど想像通りです。

お~い~し~そ~う~~~

親が頼んだのは、坂東太郎。
こどもたちは、非坂東太郎。
「大人になったら、坂東さんが食べられるようになるよ」と微笑みかけ、さっそくお膳に向います。
前知識がすごすぎて、純粋に味わえるかが不安。

しかし一口食べると、無駄に詰め込んだ知識はどこかへ遠のきます。

「坂東太郎、美味しい!!」

ふわっふわで、食べたあと口の中でほろりと身がほどけます。とても上質な脂の味がするんですが、驚くほど泥臭さがありません。ちょっとした泥臭さがうなぎの味だと思っていただんだけれど、これは、それが、ない!

「ちょっと交換しない?」と、娘の非坂東太郎と交換してみると、なるほど、非坂東さんはいつも食べているうなぎの風味がします。これこれ、と思うような。

わたしはうなぎの専門家ではないので、ハッキリ言ってどちらも美味しいと感じました。いろいろ調べたわりに、舌の精度がその程度ですみませんというかんじです。でも坂東さんは、今まで食べたことのない洗練された味がした気がしたな。いい水といい餌で育てた甲斐はあるなあ、と納得できます。

うなぎ、肝吸い、うなぎ、肝吸い。

うな重って、余計なものがなくてうなぎ一筋なのがいいですね。
ひたすらうなぎに集中し、恍惚の時間は、正味20分程度だったでしょうか。

完食。

完食。ごちそうさまでした。

あれほど食べたいと切に願い、脳内にうなぎのウンチクが充満していたにもかかわらず、食べ始めたらあっという間。これぞ丼ものの切なさです。
今年のうなぎ行事は一瞬で幕引きとなりました。
いや~。満足。

丸山川沿いで大きくなった坂東太郎は、わたしに多大なる精をつけてくれたはずです。昔、「精がつく、ってどういう意味?」と母に食い下がったことを思い出します。
来年は、和田で有名といわれる『新都』に、行ってみよう!!

ちなみに、土用の丑の日いいますが、本来、うなぎの旬は冬だそうです。江戸時代、夏に売れないうなぎの販促のために考えられた習慣とのこと。そして養殖うなぎに関しては、旬の季節はないそうです。笑。
ま、気分の問題ですね。

今年の土用の丑の日は、7月30日ですって。
みなさんも精つけて、猛暑を乗り切ってください!

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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