暮らし術

はじめまして。沖縄在住の編集者でセソコマサユキと申します。
出身は神奈川県で4年ほど前、35歳の時に沖縄へ移住して来ました。僕が「なぜ」移住をし、「どうやって」沖縄で暮らしているか、そんなことをこのコラムの中で紹介していきたいと思います。

 

「自分らしい暮らし」を求めて

最初に自己紹介をしましょう。僕は肩書きを「編集者」としています。雑誌の編集部に在籍するところからキャリアをスタートし、その後も仕事の中心は「紙媒体を作ること」です。とはいえ、紙媒体を作るためには企画を立てたりディレクションをしたりという「編集」的な仕事だけでなく、自分で取材して原稿を書いたり、時には写真を撮ったり。取材を通して得た情報を活用してコーディネートのようなことをしてみたり、作る媒体もwebサイトが増えて来たりと、仕事は多岐に渡っています。

自分らしい暮らし、の大切な要素のひとつが家族との時間をもつこと。

自分らしい暮らし、の大切な要素のひとつが家族との時間をもつこと。

世の中にある雑誌などの紙媒体の制作のほとんどが東京に一極集中していると言われています。確かに大手出版社はもれなく東京にあり、そのぶんだけ優秀な人材も、情報も、トレンドも東京に集まります。だからこそ「編集者」として仕事をしていくうえで、東京にいるということは、とても大きな意味を持っています。そんな状況をわかっていながら、僕は仕事場としての東京を離れ、沖縄で暮らすことを選びました。

なぜか。その理由をひとことでいうのは難しいけれど、強いていうならば「自分らしい暮らし」がしたかったから。自分らしい、というのは自分の心地よいペースで、とか、自分の好きなものに囲まれて、といった言葉に置き換えられるかもしれません。東京で仕事をする生活はとても刺激的で充実していたけれど、いわゆるプライベートな時間を作ることがなかなかできず、ちょっとバランスが悪かったような気がします。20代の頃はとにかく仕事を頑張る、ということでよかったのだけれど、30代を過ぎて、この先どういう仕事、暮らしをしていきたいか、と考えたときに、家族との時間だったり、居心地の良い住まいを作ることだったりという「暮らし」の部分ももっと大切にしたい、そう思ったのです。

 

移住を実行しようと決めた理由

僕は神奈川県で生まれ育ち、仕事はずっと東京で。比較的都会で何不自由なく暮らしてきました。そんな僕が最初に移住を意識したのは、20代後半に地方での暮らしを紹介する雑誌の編集部に在籍していた頃。その当時、いわゆる「田舎」の地域で、カフェやパン屋さんを開いたり、農家になったりするひとが少しずつ増えている時期で、彼らに会うために全国を取材して回ったのです。経済的・物質的な豊かさや利便性といった都会的な価値観とは離れた場所で、自然に寄り添い、自分の手で何かを生み出し、家族と一緒に共に歩む姿は、僕にあたらしい価値観を教えてくれました。なによりも彼らは等しく生き生きと輝いて見えたのです。

島の風景を彩るハイビスカス。

島の風景を彩るハイビスカス。

とはいえ、「じゃあ移住しよう」と簡単にできるものでもありません。正直言って地方へ移住して自分がどうやって生計を立てていけるのかも想像できていませんでした。だから「移住」はしばらくのあいだ「夢」であり、「いつか」のことでしかありませんでした。

陸続きではない場所への移住は、他の場所に比べて精神的なハードルが少し高かったような気がする。

陸続きではない場所への移住は、他の場所に比べて精神的なハードルが少し高かったような気がする。

移住を決意するおおきなきっかけのひとつは、仕事に対する意識が変わったこと。紙媒体の制作だけでなく、イベントの企画や運営、雑貨店やカフェの経営に関わることなど「編集」の幅を広げる様々な経験を積んだことで、自分が持っているスキルで、地方に行ってできることがあるかもしれない、と思えたことです。仕事に一区切りがつき、同じタイミングで妻も仕事の契約を改める時期。当時34歳、夫婦二人で子どもはなし。長年勤めた会社を脱サラして、ということでもなかったですし(当時働いていた仕事場は株式会社になる前で、フリーランスの集まり、というような組織でした)、いろいろな要因がかさなって、「老後」でないなら「いま」しかないのではないか、そんな風に思ったのです。

 

移住先は、自分のルーツの南の島

移住先に選んだのは、うつくしい海が身近な沖縄

移住先に選んだのは「沖縄」でした。「移住」といっても、Uターンで田舎に帰る、というパターンも少なくないのですが、残念ながら(?)僕も妻も実家は神奈川。「セソコ」というのは沖縄の姓なのですが、僕の三代くらい前に沖縄を出ているので、僕自身は沖縄で暮らしたこともありませんでした。付き合いのある遠い親戚が少しいるくらい。沖縄はもともと夫婦ともに好きな場所で、何度か旅行で訪ねたことがありました。でも、その程度。なので、どこへいくか、というのは本当にまっさらな状態で移住先を探しました。関西や四国も旅して、どこも本当に素敵な場所だったけれど、逆に自分の中で決め手がみつからない。なので夫婦二人とも気に入っていて、自分のルーツという繋がりのある場所、「沖縄」を選びました。

現在暮らすのは、いわゆる「外人住宅」というコンクリート造りの家。

現在暮らすのは、いわゆる「外人住宅」というコンクリート造りの家。

移住先を沖縄に決めてから、現地に入ってじっくり仕事の有無や、暮らし向きをリサーチして、、ということを本当はできればよかったのだけれど、そんなことはせず。移住への気持ちが固まったのが2011年の年末頃、5月に退社し、6月に住まい探し、7月の初めには那覇市のアパートにいました。割と「なんとかなるだろう」という勢いで実行してしまった、というのが本当のところ。もちろん、その地域はどんな文化があって、どんな人たちがいて、どんな仕事があるのか。気候はどんなで、自分に合っているかどうか。ということは、なるべく体感として経験しておいた方が良い。だけど、もしなんらかの理由で移住したい、という気持ちがあるなら、無責任な言い方に聞こえるかもしれないけど、「勢い」もとても大切。だって、不安な要素は考えだせばきりがないし、それで足踏みしてしまうのはもったいないから。最初に那覇市を選んだのは、「ゆいレール」が使えて買い物するのも不便がない、といった日常生活での利便性を考えてのこと。まずは安いアパートを拠点にして、それからじっくりと自分にあった地域を見つけようと思っていました。

 

最近のお気に入りのお店。

IMG_1248

さて、ちょっと本題をそれて、沖縄のお店を紹介しましょう。沖縄といえば南国リゾートのイメージが強いけれど、暮らしてみて感じたのはカフェや雑貨屋さんなど個人経営のすてきなお店が多いこと。最近ではおいしいコーヒーが飲めるこだわりの自家焙煎のお店なんかも増えていて、コーヒー好きの僕にとっては嬉しいかぎり。昨年出会ったのがうるま市にある「Tettoh coffee」。オーナーの石川さんはもともと空手を学んでいたそうで、コーヒーへのこだわりもどこかストイックな求道者のよう。焙煎や抽出方法も豆に合わせて変えるこだわりようで、いくたびにあたらしいコーヒーの味わいに出会うことができます。

集中してハンドドリップするオーナーの石川さん。

集中してハンドドリップするオーナーの石川さん。

さて、閑話休題。移住先と決心がついたらあとは行動を起こすのみ。次回は具体的にどのようにして「移住」を実現したか、その経緯をご紹介したいと思います。

 
> 過去の記事はこちらから

※本記事は、セソコマサユキ氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
※本記事の情報は、公開当時のものです。以降に内容が変更される場合があります。また、弊社事業所名が現在の名称と異なる場合があります。
リゾートさがしガイドブック集