暮らし術 眼を見張るようなうつくしい海が、移住を歓迎してくれた

こんにちは。沖縄在住の編集者でセソコマサユキと申します。
僕が「なぜ」移住をし、「どうやって」沖縄で暮らしているか、そんなことを紹介する当コラム。2回目では、「移住」を決意してから実際に沖縄で暮らし始めるまでの具体的なプロセスを紹介したいと思います。

 

夫婦ふたり、フリーランスだからこその身軽さ

リュックを背負って、まずは単身沖縄へ。

リュックを背負って、まずは単身沖縄へ。

「沖縄へ移住しよう」と決意して、最初にしたのは、その時に所属していた組織に辞意を伝えること。そして沖縄で暮らすまでのタイムスケジュールを考えました。その当時僕は「手紙社」という編集プロダクションのような組織に所属していました。当時はまだ会社になっていなくて、フリーランスの集まりというかたちだったのです。なので一応、フリーランス。取材して原稿を書くという「ライター」のスキルや、本やパンフレットなど印刷物の企画を立てて製作をする「編集」の仕事は、必ずしも組織に属していたり、東京にいなければいけない仕事ではありません。
当時はまだ子どももいなくて夫婦ふたり。そういう意味では動きやすい環境にあったということは言えると思います。年末頃に移住を決意してから仕事の都合で5月末までに退職することを決め、6月中に住まいを決めて、7月に引越しをしよう、という具合。

実を言うと、そのとき中古の住宅を購入していたので、移住の準備と同時に自宅の売却も進めていました。希望していたのは借金が残らない金額で売りきること。東京へも通勤圏内の私鉄沿線で、駅から徒歩10分ほどの角地。家は古かったけれど、立地の良さもあって、移住までにはなんとか売却することができました。購入当時は売ることなんて考えていなかったけれど、それでも万が一のことを考えて物件を検討していたのが良かったのかな、と思います。

南国の風景は、なにげないものでも、僕の目には新鮮に映った。

南国の風景は、なにげないものでも、僕の目には新鮮に映った。

若ければ車に積めるだけの荷物を積んで、とか、家具などは現地で調達しよう、といった風に、ギリギリまで費用を抑え、力技で移住することもできたんだろうけど、さすがに運びたい家具や荷物もそれなりにあったので、引越しは業者にお願いしました。荷物は船便で2週間後ぐらいに沖縄の新居に届き、たしか30万円ほど。その間に、自分も移動しておくのです。ちなみに後日、川崎の港から那覇まで車も運びました。中身を空っぽにした状態で、送料は4〜5万円ほどだったと思います。

 

仕事が先か、住まいが先か

「まずはフリーランスでやってみよう。それで、どうしてもダメなら職探しをすれば良い」というような思いがあったから、仕事よりもまずは住まいを探すことを考えました。本来であれば移住前から行き来して、仕事の目星をつけるべきなんだろうけど、なぜかそのあたり僕はのんびりしていて、というか行ったり来たりするだけの時間やお金の余裕はなかったから、ともかく移住してから仕事のことは本格的に動き出そうと思っていました。

最初に暮らしたアパート。古いけど味があってお気に入りだった。

最初に暮らしたアパート。古いけど味があってお気に入りだった。

幸いなことに僕は沖縄に親戚がいるので、ひとまず1週間ほど居候させてもらうことに。理想通りの物件がいきなり見つかるとは考えていなかったので、まずはその1週間で、最初の拠点を見つけることにしました。条件は「ゆいレール」が使えるエリア(車を用意するまで時間がかかりそうだったので)で、家賃がとにかく安いこと。インターネットで不動産情報を得ることもできるけれど、その時はなるべく飛び込みで不動産屋さんを巡りました。なぜなら古い不動産屋さんのなかには、インターネットに出していないような物件情報を持っているところもあるから。土地勘もないので、物件探しをすることで少しずつ、場所のことを知る機会にもなったような気がします。とにかく1週間の滞在の中でベターな選択をして決める、というつもりだったのですが、なかなかピンとくる物件に出会えず。。
結局、契約できたのは帰宅直前のころでした。「共同住宅」という名前のついた、沖縄本土復帰前に建てられた鉄筋コンクリートの7階建ての古いアパート。一般的な、どこにでも(沖縄でなくても)ありそうな間取りや内装のアパートばかりだったので、その古さが逆に沖縄らしさを感じさせてくれて、僕の関心を引いたのです。

隣室のおばぁがよく差し入れをしてくれたのがありがたかった

隣室のおばぁがよく差し入れをしてくれたのがありがたかった

賃貸契約をする際、仕事は「自営業」と記載。以前は県内在住の保証人をつけなければいけない、というようなケースもあったそうなのですが、保証会社をお願いすることができるので、移住者でも特に問題なく賃貸契約をすることができました。間取りは2kで家賃は駐車場込みで4万円ちょっと。ゆいレールの駅までは徒歩15分ほどと少し距離があったけれど、自転車を使えば買い物にも困らないし、「国際通り」などにも気軽にいけて便利な場所でした。

国際通りで開催されていたエイサー祭りを見に。

国際通りで開催されていたエイサー祭りを見に。

 

沖縄暮らしの肩慣らし期間

そんなわけであれよあれよという間に沖縄での暮らしがスタート。とはいっても、移住直後は仕事もないし、割と暇でした(なんて言ってる場合ではないんだけど)。フリーランスで仕事をしていくための準備をしつつ(この辺りはまた別でお話ししたいと思います)、空いた時間でとにかく行ってみたい、行ったことのない場所に出かけました。カフェだったり、観光地だったり、あらゆるところへ。そういったことが、人脈が広がるきっかけになったり、沖縄の文化や風習について知るきっかけになったりしたのかな、と思います。その頃に焦って無理に仕事探しをせず、時間をかけて沖縄中を巡ったことで得た出会いや見聞が、とても大きな意味があったんだな、という気がしています。経済的にギリギリで移住してしまうと、結局仕事に意識や時間の多くを割かなければいけなくなって、暮らしやその基盤を作るという部分がおざなりになってしまう場合があるので、やはり多少の蓄えは必要なのかな、と思います。

南城市・新原ビーチにある「食堂かりか」。海を見ながら食事ができる。

南城市・新原ビーチにある「食堂かりか」。海を見ながら食事ができる。

 

沖縄で広がった仕事のはなし

さて、最後はまたちょっと話を変えましょう。沖縄で仕事をして意外だったことのひとつは、東京にいた頃よりもむしろ仕事の(距離的な)範囲が広がりをみせていること。たとえば「あたらしい沖縄旅行」という本を出版し、それが韓国と台湾で翻訳版が発売されたことで、ソウルにイベントで呼んでいただく機会が何度かできました。県外のイベントからお呼びがかかることも多く、例えばデパートの「沖縄物産展」なんかもそう。

森、道、市場に参加する、沖縄の風景に映える「nunomonoworks」の衣服。

森、道、市場に参加する、沖縄の風景に映える「nunomonoworks」の衣服。

5月には愛知県蒲郡市で開催される「森、道、市場」というフェスのようなイベントに沖縄から10数組のカフェやつくり手たちと一緒に参加します。それもこれも「沖縄」というコンテンツが、国内外から注目されているからなんだと感じるのです。地方へ移住して、これほど各地へ行く機会ができるとは思っていなかったので、これは嬉しい誤算でした。

そんなわけで、沖縄暮らしがスタート。数度、旅行をした程度の場所なので、実際に暮らしてみればやっぱり全てが想定内、とはいかないわけで。。そんなあたりも、このあとお話ししていきたいと思っています。

 
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※本記事は、セソコマサユキ氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
※本記事の情報は、公開当時のものです。以降に内容が変更される場合があります。
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