梅雨が好き。
という人に、あまり会ったことがありません。
毎日じとじと、自転車移動も叶わず、洗濯物は乾かず、部屋の中まで粘性を帯びてきそうなこの季節。いかがお過ごしですか?
南房総の家が低気密低断熱なのは、既出の通りです。
外が雨なら、家の中も「雨」と言ってしまっていいほどの湿度。
というわけで、うちの湿度計はこの棒です。
南房総に到着すると、家族を「いったんここで待て!」と制し、わたしだけが勝手口から家に入って、台所にぶらさげてあるこの菜箸を凝視します。
経験上、6月半ばくらいまでは特に異変がないんですよね。ところが雨続きの6月後半になると、綿毛状のカビが……ひゃあ~!
菜箸がこんなだということは、畳などは推して知るべし。
マスクと手袋をして家じゅうにアルコールスプレーを吹きかけて雑巾をかけまくり、布団を干し、おおむね清浄化したところで「いいよ」と家族を招き入れます。
はぁ~。めんどくさい。
寒い冬が来る前に床下に防湿シートを張ろうかなと思ってたけど、こりゃ梅雨までにやっておくべきだったな。はぁ~。
まあ、大変なのは家だけではないんですけどね。
雑草たちとは違う、またやっかいなヤツが、そこらじゅうにつんつんつんつん。
育毛剤を使ってこういう勢いで毛が生えてきたら嬉しいだろうなあ!
竹だとぜんぜん嬉しくないど。
この家に住み始めた当初、初めて迎えた6月に娘のマメ(当時3歳)が驚いてベソをかいたのを思い出します。「おうちが……おうちが針だらけになって住めなくなっちゃうよママ!」。
竹だの、草だの、カビだの、こんな話ばっかりすると、あーやっぱり週末田舎暮らしなんて苦労が多そうだからやめとくか、と思われてしまいますね。通年で自然と寄り添う暮らしですから、いろいろあるのは仕方ありません。最近では、ぞぞっと生える竹ごときでいちいち落ち込まなくなりました。ぶつぶつ言いながらしのいでいるうちに、四季はめぐりますから。
雨降りだからとずっと来ないと家も土地も荒れるので、この時期も変わらず週末田舎暮らしの我が家ですが、実は、雨の日にあの古い家にいるのがけっこう好きです。
負け惜しみじゃないからね!
小雨程度だとむしろ暑くないので野良仕事がはかどりますが、大粒のざあざあ雨になると「家にいるしかないもんなあ」と正々堂々ごろごろします。
この、選択肢のないかんじが、むしろ非常にくつろぐのです。
そうね、気分的には、都バスのストライキ(昔よくあった)や大雪で学校に行けなかった時と似ています。スケジュールを入れていない時間ではなく、「スケジュールの失われた時間」って、素晴らしい価値がある!
いつも以上にのんびりした気分になり、こどもたちのアホな芋虫ごろごろゲームに付き合ったり(畳の上に寝転がってごろごろ転がって速さを競うゲーム)、花札をしたり、何度目か分からないけど「いじわるばあさん」を読んだり。
間延びした時間にすっかり気をよくして、この不精なわたしも「手づくりおやつ」などをつくってしまいます。
さっきご近所さんが軽トラで持ってきてくださった男爵を、しゃくしゃくと薄切りにして、たっぷりの油で、揚げる。
つらいのは、揚げ終わった先からどんどんなくなっていくこと。全部揚げ終わってから食べるんだよ、と言ったところで目を離した隙に小さな手が伸びてきます。
カロリーの高いおやつって、どうしてこんなに気分があがるんでしょう!
何となくクサクサしていた雨気分が吹き飛び、お腹に力がたまっていくかんじ。この量はじゃがいも5個分か、こんなにたくさんぺろっと食べていたのか、と思いながら自制はしません。
以前、ポテチが好きだと言ったら「市販のお菓子を食べるんですか!」と驚かれたことがあります。こんな生活をしていると、オーガニックな人だと思われるんですよね。わたしは本当に適当な性格なので、野菜をつくるし、体にいい食べ物にも興味がありますが、市販のポテチを食べ、炭酸飲料大好きで、朝マックもして、お祭りでは異様に真っ赤なあんず飴も買います。
偏食したり、何かの健康食品を妄信したりしないで何でも食べていればきっとリスクが分散するだろう、ということで雑食万歳!
しかし揚げたてでアツアツのポテトチップスの味を知ってしまうと、市販のものに戻れなくなりますね。こどもたちにもスライスを手伝ってもらうため、分厚いものがあるともたっとしてしまってまるでフレンチフライですが、うまく薄くできると「カリッカリだ!売ってるポテチと同じくらい!」と大喜び。
……あれ?じゃあ市販でいいじゃないか。笑。
来る夏本番に向けて、こうして存分に美味しいものを食べ、体力を蓄えているというワケです。くたばらない体をつくらなきゃね!
そして、この時期ならではのもうひとつの楽しみは、夜にあります。
「今週はもう、いるかな」
「去年はちょっと遅かったもんな」
「今夜は蒸しているから見られるよ、きっと」
虫よけスプレー、懐中電灯を持ち、長靴を履き、家族でいそいそと出発。
向かう先は、漆黒の闇です。
「……いない」
「いないか、早すぎたか」
「えーとちょっとまってね、わたしがこれで照らせば探せるかも」
「ちょっ、もうばかっ。そこ照らしたら何にも見えないじゃん!」
「シィ~~~~うるさくしたらダメでしょ」
真っ暗な田んぼのあぜ道を歩きながらあてどもなく目を凝らしていると、遠くから長女のポチンが押し殺した声で叫んでいます。
「いた!こっちこっちこっち!」
わかりますかしらね。真ん中のぽちっとした光なんですが。笑。
ホタルです。
お尻から青白い光がふわーっと出て、ふわーっと消える。
たまに、ゆらめく光が視界を横切ります。
飛びながら光るのはオスで、止まって控えめに光るのはメスらしいですね。
「ほら、ここにも。しずかに、しずかにね」
娘たちは、鼻息でホタルが飛ばされそうな距離でじいっと観察。
本当に鼻息がかかると、ちょっと光が強くなるような気がします。
わずかに不規則な光のリズムが、生々しい命の証。口にするのは夜露のみでこんなに強い光を出して、なにか光るたびに寿命が削られていくみたい。ホタルの夜がこんなに切ないのは、ひとときの命がこんなにも美しいからでしょう。
「ねえ、なんか甘い匂いがするんだけど」。ほとんど接触しそうに近づいて、ホタルの匂いを嗅ぐ次女のマメ。
「やめなよ!1週間で死んじゃうんだよ、そんなことしたらストレスでもっと早く死んじゃうよ!」。行き過ぎたモラリストのポチンは妹を叱責します。
はぁ。ムードがない子らだ。
娘たちよ、こういうところには家族と来るより、きっと恋人と来た方がいい。匂いを嗅ぐとかではなく、甘く切ない空気に身を委ねるがいい。近い将来、まるで家族でなんか見に行ったことなんてないような顔で、「わあ!すごーい!ホタル光ってる~!」と華やいだ声を出したとしても母は許します。
ホタルのいる場所は決まっているので、わたしたちは毎年そこを訪れています。南房総の家に住んでから、ずっと、欠かさず。
星空を散歩しているようにあたり一面で瞬いている時もあれば、ほんの数匹しか見られない時もあります。息子のニイニが小さい頃はホタル観賞では飽き足らず、近くの水路で夜な夜なザリガニ獲りをしたりしました。ポチンが田んぼに落ちたこともあります。数年前は夢中になってホタルを追いかけて繁みに体をつっこんだら、あとでどうも腕がかゆいな、と。翌日腕全体がぶつぶつ真っ赤に腫れ上がり、気が狂うほど痒くてお医者にかけこんだところ「ああ、チャドクガですね」と気の毒がられました。それ以来、どんなに蒸し暑かろうと分厚い長袖長ズボンを着用しているわたしです。
「さあ、今年も会えたし、帰るか」
今年は、個体数は少なかったけれど、ゆっくりゆっくりホタルと寄り添う時間が過ごせました。そして来年、ポチンは中学生になります。
帰ってからもなんとなく、ふわっと切ない気持ちが残り、雨上がりのデッキに座って日本酒をなめながら、ぼんやりしていました。今の1秒1秒が大事だなあって、親の感慨なんか誰も知らないよね。
夏の始まりの夜は、そうしてしっとりと更けていきます。