日陰の霜がまだまだ長いと思っていましたら、いつの間にかカレンダーはひょいとめくられましたね。
春です。
野暮用からの帰り道、軽バンでちんたら家のそばを走っていましたら、うちのすぐ下に住むおばあちゃんが畑から手を振っているのが見えました。(あ、南房総の家での話です!)
ずいぶんなお歳なので大きな声が出なかろうと、車を脇に寄せて駆け寄ると、何やら恐縮したように頭を下げるおばあちゃん。わたしもつられて頭を下げます。
「すみませんねえ」
「いえいえ!」
「今日は、いつまでこっちにいますかね~」
「ええと、日暮れまではいるつもりですけれど」
「そしたらね、ほれ、今摘んでたナバナとね、サトイモ。ちょっとですけどね、持ってってもらいたいから、寄ってもらえますかね。すみませんねえ」
まあ!
すみませんは、こっちですよ、おばあちゃん!
いつも本当にすみません。いつも本当にありがとうございます。
彼女は、日のあるうちはたいてい畑にいます。
小さくしゃがみこんで丁寧に畑仕事をしている姿を見かけるたびに、世の中や自分の暮らしがどんなにガタガタしていても、きっと変わらないものがあるよねとホッとします。
家に車を置き、ぱたぱたとお宅に向かう途中で、小さな台車を押してもう、こちらまで向かっている姿が見えました。
「お口に合うか分からないけどねえ、すみませんねえ」
みずみずしいナバナに、まるまるとしたサトイモ。見るからに美味しそうです。
「嬉しい! どちらも大好物です!」と伝えながら、なんでだろう、こんな言葉で本当に好きだって伝わるかなと不安になります。言わないより言った方がいいに決まってるけど、言葉って軽いもので、フワフワと浮わついた響きに感じてしまう。
「うちのね、お父さん。こないだそちらで美味しいものをいただいたって。ちょっと認知が入っててね……いつもお世話になってますねえ」
それでもこのお宅のおじいちゃんは、集落の共同作業には必ず来て、一緒に黙々と作業をします。以前よりだいぶ力が弱くなったとはいえ、重たい鍬やスコップを持っての作業ができるのですからすごいなあと、内心感動していました。
でも最近は確かに、畑に出ているのはおばあちゃんだけ、という時がほとんどです。
「週末しかいないけれど、もし何かあったらいつでもご連絡くださいね。お手伝いしますから」と、思わず口をついて出た言葉。でも言ったあと、わたしにできることは大抵、おばあちゃんの方が断然うまくできるんだろうなと思ってしまい、テヘヘと照れ笑いすると、おばあちゃんもフフフとつられ笑い。
その笑顔に心を奪われて、一緒に自撮りしちゃいました。
これまでわたしはずっと、主に子育てする身として「田舎暮らし」を実践し、味わってきました。こどもたちと共に野遊びをし、畑を耕し、虫や魚をつかまえて、夜は古い民家でごろ寝する。そして、こどもと一緒に親も育つ。そのダイナミックな体験がたまらなくて、ここまで週末田舎暮らしを続けてきました。
それが最近、「子育て」と「老後」を同時に考えるようになってきています。
40代になってだいぶ経ち、人生という山のちょうどてっぺんくらいにいるんでしょうね。のぼってきた道も、これから行く道も見えるかんじ。『人生下り坂最高!』というのは火野正平の言葉ですが、最高な下り坂をゆく老後ってどんなものだろうなと、つらつらと考えます。
……でも、「老後」。
なーんか、ぼやーんとしたことば!
いつから老後なんだろう。人生下り坂に入ったら? 子育て終わったら? リタイアしたら? 体がきかなくなったら? ま、そんなのを全部ひとからげにして、人生の後半に対しては人ってけっこう冷たいのねと感じることばです。生産性が下がることへの評価であり、寿命が長くなることで“生きもの”として戸惑い続けているかんじも出ています。
なんて客観的に言っている場合でもない、老前?なお年頃のわたし。
仕事や子育てなど、今自分の人生の枠組みとなっている必然が、ごそっとなくなったらどう生きていきましょうかね。ちょっと想像しにくいです。
ライターの仕事でもそうですが、テーマや文字数、読者層などの与条件を手掛かりに文章を組んでいくわけで、自由作文みたいなものが一番難しいのです。じつは今、自分の母親がその自由作文に悩んでいる姿も見ているので、ことさら考えてしまいます。
そんな時。
野良仕事のある暮らしって、実は老後でも幸せなんじゃないかなと、思ったりします。毎日畑の世話をして、草刈りをして、自分のつくったものを食べて、余った分はまわりに分けて。
変化に富んだビビッドな都市的社会生活を送る人が遠巻きに見たら「毎日繰り返しで飽きないかね」と思うでしょうが、やってみればそんなことないと分かります。子育ても、大いなる繰り返しですが、飽く暇がないのと同じです。
そうした類の充実感の中にいる人生を送ると、このおばあちゃんみたいな笑顔が生まれるのかな、とも思ったりね。だって、彼女こそ、一生現役だもの。
それからね。
先日、わたしのまわりの諸先輩方がみんな口をそろえて「居心地がいい場所なんだよー」というカフェに、連れて行ってもらいました。
ここ。
「認知症カフェ つむぎ」。
最初は、正直面喰いました。あまりに直球な店名で。
これは、認知症にならないと行ってはいけないということ? と。
すると、紹介してくれた近所の小出さんから「いやいやそーでなくて。 認知症予防に、みんなで楽しくおしゃべりでもしましょうよという場所で、誰でも行っていいところだから」と教えられました。「知る人ぞ知る名店だっぺ」と。
アウェイなわたしはドキドキしながら入店すると、我が家と同じように襖を抜くとどーんとひとつながりになる空間で、そこが昼12時前から満員御礼!
確かにお客さんは、わたし程度の年齢から上のいろいろな人たち。
ランチを楽しんだり、囲碁をしたり、おしゃべりしながらお茶を飲んだりとみんな本当にくつろいでいて、かといって全員仲間というサークル的な内輪感はない。なんだこの、ひらけた暖かさは。
ここの人気のヒミツのひとつは、間違いなく、お料理でしょう。
このランチが500円。ほんとにいいの?
値段からの感謝で言うのではなく、1品1品がじつに美味しいのです。地元産の素材はしっかりしていて、味付けが絶妙。品数を考えるともう家でつくって食べる気になれない。笑。
これが、日当たりのよい古民家の中でゆっくり食べられるなんて、ちょっとおおっぴらにしたくないような贅沢です。
そして人気のヒミツのもうひとつは、おそらく、運営者の岡山先生。
彼のことを目で追っていると、このカフェに来るお客さんの誰もに声をかけているのが分かります。ひとりで食事をしている方、久しぶりの方、常連さん。囲碁の相手をしたり、一緒に食べたり、その接し方はとても自然で、居間で家族とたわいもない話をするお父さんみたい。その空気が伝播するのか、空間が“飲食店”ではなく“おうち”となって、そこにいるひとたちがゆるやかに打ち解けていくのです。
ちなみに、このとき一緒にいた福島さん(男性)は岡山先生の奥様にぞっこんで、「ここはね、甘えることができる場所なんですよ」と相好を崩していました。笑!
働いているスタッフの方はボランティアで、岡山先生の歯科医院のスタッフもそのままこちらで働いているとのこと。これだけの料理をつくるのはきっとたいへんなことでしょうけれど、常連さんから呼び止められて楽し気に話す雰囲気を見ると、対価はお金だけじゃないよなあ、と思えてきます。
ランチが終わっても与太話を続けるみんなの声が古民家に満たされ、隣のテーブルからハーモニカの音が聞こえ、もちろんその音色はふわりと歓迎されてそれぞれが口ずさみ、「こうやって楽しくしてると、まあ、認知症にはならねーわな」と笑います。
この場所に巡り合った人は、幸せだな。
今時のいい方だとこれって「ソーシャルグッド」なんでしょうね。
そんな定型の理念を打ち出さずとも、ほっとできて、出会えて、笑えて、食べられて、働けて、感謝し感謝されて、〈食事・場所⇔お金〉でキッカリ解決している場所にはない豊かさが湧いている、認知症カフェつむぎ。認知症予防どころか次の日が待ち遠しいという人生がつむいでいけそうです。
とかく世の中は、成人で且つ屈強な状態の人間に合わせて運びがちです。それって、人生のうちの半分に満たない長さなのにね。90年も生きてしまう人間という生きものが全人生幸せでいられるためには、自分の経験していない歳の人の日々を思う想像力が必要なはず。そのためには、老若男女が関わり合い、多様な愛情の形が発露される暮らしの場所があるといいのでしょうね。恋愛感情だけでなく、信頼、安心、親しみ、尊敬……それらの感情が解放される時、人は肩書きや立場という枠をとっぱらって近づきあうことができるのかもしれません。
そしてわたしは、“南房総”という漠然としたエリアが好きなのではなくて、こういう個別の人や場所が、好きなんだろうな。それが、年を経てどんどんどんどん増えているから、いつまでもここで暮らしたいと思えるんだろうな。
人生、下り坂、最高にすっぺ。