これ書いているのは、ギリギリギリと忙しさの増す年度末でしてね。
こどもたちは春休みに入っています。部活があったり、友達と遊びに行ったり、家でぼーっとしていたりと日々いろいろな状態の子らを横目に、平日東京在住中の母は毎日ねじりはちまき状態。冬休みと夏休みはまとまった休みがとれるけど、春だけはごめんねーというかんじです。
お読みになっているみなさんは新年度を迎えていることと思いますが、いかがお過ごしですか? 春の旅行とか、行ってますか? いいなーいいなー。
さて、そんなしんねりした我が家の、こども長期休暇中の昼ごはんというのは、まあ、やっかいです。午前中の仕事がようやくはかどってきた頃「ねえ、お昼は何食べる~? お腹空いた~」とくるわけですから。
「自分でつくって食べてちょうだい!」もたまにやりますが、どうせわたしもお腹が減るし、だったら支度するかと重い腰をあげるわけです。
で、究極のカンタン飯が、コレ。
手抜きが過ぎるって?
すみません。
しかしながら我が家では「わあ、ぜいたくなやつ!!」と、こどももわりと喜んでくれます。
なぜならば、こんな手抜きに見えますけれど、
①ごはんは、おらが村のブランド米「三芳村蛍まい」
②卵は、南風農場の合鴨の卵(黄身がちょっと大きいでしょ?)
③醤油は自家製搾りたて、しかも火を通していない生(き)醤油と、素材だけは抜かりないんだもの。
①と②は、南房総でご近所の渡邊さんという農家さんが手がけたもの。
そして、③は、2016年度我が家仕込み!
そう、昼ごはんをつくる手間「だけ」見たら10秒くらいですけど、醤油をつくる時間を考えたら1年がかり。そりゃもう、たいした手間ですよ。大きな樽が1年間、東京の家のリビングの窓際にドンと置いてあるのを否応なく見続けていたこどもたちも、感慨は共有しているという次第。「風味がいい~」「香りがいい~」「やっぱり前回よりちょっとしょっぱさが弱くない?」「ギリ合格の減塩!」と、このお椀だけで会話がふくらむふくらむ。
我が家の醤油づくりは、今回が2回目。このコラムのときに仕込み始めたあの樽が、無事に醤油になったというわけです。東京で温度調節をしながら天地返しをしながら仕込み、南房総によいしょと移動して搾った、二地域居住醤油です。
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今回の醤油搾りは、3月半ばの小春日和の日でした。
ウグイスの子のへたっぴな鳴き声に、フキノトウの白い花。それまで茶色かった地面がうずうずと緑を帯びてくるなか、わたしは1回目の搾りのときと同様とっても緊張していました。今回の樽も、途中でカビてしまったりして、ちゃんとできているかまったく自信が持てなくて。
当日の朝、『安房手づくり醤油の会』の搾り職人・木村師匠と宮下空さんが到着したとき、「あー今年も搾る日まできた」という緊張感と安堵感が同時に訪れて、毛穴がぶあっと開く気がしました。
東京で育ててきた醪(もろみ)を、いよいよ披露します。
愛しの醪。
不安な醪。
ど、どうですか?とてっちゃん師匠の顔を伺うと、「大丈夫、いい香りです」と一言。
は~~ヨカッタ……
ということで、安心して搾り作業にとりかかります。
さて、やりますぞ!
醪を、すこしずつ、ゆっくりと、先の割かれた竹の棒でかき混ぜながらお湯で希釈していきます。「まずはオーナー、どうぞ」なんて言われちゃって、ちょっとした感慨を胸に1年間仕込んできた醪を愛でるように混ぜます。
適量のお湯で希釈したら、いよいよ、搾り作業に入ります。
目のつまった布袋の中にこの醪を入れ、搾りの舟に丁寧に入れます。
まずはこの、醪の自重だけで搾り出される醤油が出てきます。ちょろ、ちょろ、ちょろっと。
切ないくらい少しずつ。
こうして、醪入りの袋を重ねていくと、自重も増え、醤油の出る勢いが増していくのです。とぽとぽとぽとぽっ!と音が大きくなると、わあ~と歓声が上がります。
醪を袋に入れ、舟に入れ、濾された醤油が出てくる。
この繰り返しの間にみんな、ちょいちょい、この醤油の出口に小指を出します。少しずつ風味が増していき、コクが出てまろやかになっていくプロセスを味わいたくって。しょっぱさの角が取れて、まろやかな味に変わっていくのです。「あんまり舐めてたら喉かわきますよ!」と一応こどもに注意したりするんですが、オトナもせっせと舐めてるんだからね。笑。1日くらい、ちょっと塩分過多でもよしとしよう。
そうして搾りが進むなか、気がつけば地元にいる友人たちがどんどん訪れていて、いつの間にか醤油パーティになっていました。
醤油の威力というか、醤油の匂いの威力というか、とにかくお腹が空いて仕方なくて、何十人もの丹精した料理がうわーーーっと並べられていたにもかかわらずほんの15分くらいで全部サッパリ消えてしまいました。丁寧に写真を撮るヒマもなく(食べないとなくなっちゃうんだもの)あれやこれや魅力的な料理の記録がほとんどないのが残念。搾りたての生醤油って、気のせいというレベルではなく本当に香りが高いので、食がぐいぐい進むのです。
それにしても、節操なく声をかけた友人知人+わたしも知らない方もチラホラというまとまりのない集まりで、お互いはじめましても多かったはずですが、誰も気を遣わずとも穏やかで和やかで。「うまいっすね!」「これつくったのあなたですか、美味しいです~」「いやいや醤油が美味しいおかげです」「もう搾りました?」「まだなんです~一緒にどうですか」と話題には事欠かないしね。ヘタな婚活イベントをするくらいなら醤油搾って縁結び、ってできそうだと思ったくらい。笑。
そうこうするうちに、だいぶ搾れてきた醤油。
一部は生醤油として瓶詰めしました。
搾った醤油の大部分は、火入れします。
火入れをするとコクがぐんと増します。そしてもちろん、保存もききます。わたしは2年前に搾った醤油をまだ使っていますからね。
なぜわたしは、唐突に醤油だけ、手づくりするんだろう。他はあらん限りの無精を発揮するのに。
一番大きな理由は、搾った醤油が美味しいからでしょうね。醤油は暮らしの料理のベースですから、これが美味しいと食卓が本当に豊かになります。お刺身を食べるときも、おひたしや豆腐にかけても、鼻に抜ける風味がとてもよくて。おばあさんの繰り言のように「やっぱりこの美味しさは気のせいではないよなあ。ほんとに美味しいんだよなあ」とつぶやいています。
一方で、手づくりの割り増し価値っていうのももちろんあります。
だって、醤油づくりの時間がまるっと味体験に含まれてしまうんだもの、どうしても。相対的で厳密な味の良し悪し判定とは別次元で、“美味しいセンサー”が発動してしまう。
そう、やっぱりわたしは、“搾り”の日が好きです。
よく分からないけれどみんなで「醤油だ醤油!」と集まって、ドキドキしているのは麹オーナーのわたしだけで、みんな単純にニコニコしながら搾りを楽しんで、合間合間で木村師匠の醤油談義に耳を傾け、頭と体がつながった状態で醤油をより美味しく感じ、醤油つながりのナゾな友達ができたりして、「また来年!」と持ち場に帰る。たまーに、「わたしも来年自分でつくってみます」という人が出てくる。じわじわ広がる醤油の輪です。
きっと、搾りに参加したみんながそれぞれの食卓で醤油をよーく味わおうとするシーンが繰り広げられているでしょう。つくり手サイドに立って「澄んだ味がするよね」とか「後味がいい」とか「確かに減塩だわ」とか好きなことを言って、ニコニコ食べる。いいよね。
それを想像するのも幸せなこと。
で、なんのお告げか、この原稿を書いているさなかに次回の醪についての連絡をいただきました。
4月5日。
そう、この記事がアップされる日に、鴨川から東京の我が家に醪が到着することになりました。
やっぱりちょっと大変だし1年だけお休みしちゃおうかな、なんてチラッと思ったことは、ナイショ!てっちゃん師匠からのアドバイスを踏まえて、次もせっせと仕込むことにします。
では、しょーゆーことで!