3月25日。
この日は、朝から落ち着きませんでした。
こどもで言えばクリスマスイブの夜みたいなものでしょうか。いつ来るか、さあもう来るか、と何をしていても気もそぞろ。だって1年も待ちわびていたんだもんね。
わたしのスケジュール表にも、その日にはぐるぐると印がつけてあり、「自宅待機」と書き込んである。極力外出の用事をつくらないようにしつつ、午前中は外での仕事があり、帰り道は電車の中でも走りたいような気分でした。
いい加減いい歳して、そんなに楽しみなものって何なんだと思うでしょう。
直近でそういう思いをしたのは、いったいいつだろう。来るのが楽しみといえば粗大ゴミの回収くらいですかね。ガサガサとため込んでいたガラクタを一気に持っていってもらって、ハ~すっきりした!だなんて夢のない話だな。もらうのではなく、なくなるだけだし。
「ぴんぽーん」
来た!
ハンコを持って飛び出すと、宅急便のお兄さんが大きな箱を2つ、どさっと置いていきました。たいへん重たい。
中には大きな米袋。
そしてその袋の中には、
懐かしい匂いのする、大豆の麹が入っています。
実は、今年もまた、醤油をがんばってつくることにしました。人生で2度目です。
初めてつくったのは2年前。
その前年(つまり3年前)、お友達の家で醤油絞りの体験をさせてもらったときに「馬場さんもきっとできるよ!」と言われ、(わたしがズボラで不精だってこと知らないで勧めてるよなあ)と思いながらも「うん、つくってみようかな!」と返事をしてしまったのです。
半分は、ただのノリです。
半分は、そのときいただいた搾りたての醤油が、あまりに美味しかったから。
いや~、感激しましたね。野菜は獲れたてが美味しいと知っていましたが、醤油も、鮮度によってこんなに味が違うんだ、ということを初めて知って。
しかしですね。
たとえばあなたのまわりに、「わたし醤油つくってます」というひと、よくいます?
味噌をつくる人はわりといます。でも、なぜか醤油をつくる人、そんなにいない気がしませんか?
それってなぜだと思います?
ひとつは、醤油を搾る道具も、技も、すぐには手に入るものではないからだと思います。
わたしの場合は「安房手づくり醤油の会」というところに入れてもらい、搾りの師匠の指導のもと、1年仕込んだ醤油を1日がかりで搾っています。なかなか、手軽にぱっとできるかんじではないですよね。
もうひとつの理由は、多分、1樽が70リットルというでっかい単位だからでしょう。
いくらうちが人数の多い家族だからといって、年間の醤油消費量は70リットルはいかない。でも、おそらく醤油を搾る工程上、少量を仕込むことができないんです。よって、つくるとなると、たーくさんできちゃうことになる。
つまり、「つくってみようかな!」と言っちゃってみたことで、家には70リットルの樽が置かれることになる。
正確に言うと、35リットルの樽が2つ。
それって、けっこうな景色だよねえ。
わたしが入会したのは「安房手づくり醤油の会」で、基本的には安房地域(房総半島の南部)で参加者を募っています。
どういうことかというと、参加者は基本的に都市的な居住環境ではない場所でつくることが想定されているってことですね。納屋があるとか、ビニールハウスがあるとか、庇の下の空間があるとか、何らかの大らかな空間が身の周りにあるという前提です。
うちの場合、南房総の家にはやたらと広い空間があるけれど、麹の世話は手元にないとできないので、樽は東京の家に置いておくしかない。搾る手前の時期になるまで、東京の家のリビングに、どてん。とね。
2年前も、「みおりちゃん、ところでこの樽はいつまでここにあるのかしら?」と同居の義母に何度か言われました。「と、と、年明けまでです……」と目を合わせられなかったわたし。
樽の存在感がありすぎるということと、発酵が進むとそれなりの発酵臭が漂うということが、恐縮の原因です。
まあでもね、今までもわたくしずいぶんやりたい放題させてもらってるから、驚かれはしないんですけどね。
かつてはキジの卵を拾ってきて孵化させて、和室で放し飼いさせてもらったこともあったし(いつか書きます)、サンショウウオの幼生の入った大量のタッパーをリビングの棚の上に並べたり、どろどろの収穫物を新聞紙の上に並べておいたり。やっていることが“恐縮する嫁”ではないですね。
醤油の樽なんて、キジに比べたら、ねえ!
……閑話休題。
そんなわけで、届いた麹をさっそく仕込むことに。
今年も、素晴らしい醤油麹が送られてきました。
蒸した大豆と炒った小麦に種麹を加えてつくられたもの。菌糸が育って、大豆が白っぽくなっているのが分かりますよね。これをつくるのも大変な手間だったろうなと、思いを馳せるひとときです。
これに、塩を均質に混ぜ込みます。
2年前のときはホッカホカの熱をもった麹が送られてきて、それこそ慌てふためいて塩を足していましたが、今回からは送られてくる間に発酵が進まぬよう若干の塩が混ぜられた状態で送られてきているということで、心にゆとりがあります。
分量を間違わぬよう、大量の塩を追加します。
ほんとは広いところに麹と塩を広げてやった方がいい作業だよな、と思いながらも、東京の限られた空間で何とかちゃんと混ぜる努力をします。「おいしくなれ、おいしくなれ」と念じながら。
そして、最後に水を投入。
不思議だよねえ。
何度も何度も天地返しを行い続け、1年間たつと、このそっけない樽の水がちゃんと醤油になるんです。
天地返しはそれなりに重労働ですし、そこそこトラブルも発生するので、家の中で育てるものが1つ増えたような感覚です。
元来わたしは、そういうちょっとでもめんどくさいことは一切やらない怠け者です。でもどうも、最近は感覚が変わってきました。
ぱっぱと結果が出ないこと……たとえば梅干しや梅酒、糠漬け、味噌、畑の野菜もそうかな、子どもだってそうだ。そんな相手と付き合う醍醐味が、すこし分かってきたというかんじです。かける時間をまるごと味わう、という、気の長い話。
人生は結果だけできているわけではなく、プロセスそのものだっていうことだね、きっと。
さて。
そういうわけで1年後の搾りが今から楽しみなのですが、今日はみなさんにちょっとだけ、その搾りのときの様子をお見せしようかなと思います。だってこのコラムが1年後まで続いているかなんて、分からないからね。笑。
搾るための舟は、写真中央の木の箱です。
奥にあるのは、ドラム缶で沸かしているお湯ね。
で、舟の上に、麻袋が重なってかかっているでしょう?
この中にずっと仕込んできた醤油をお湯で薄めたものを、豆ごと入れて、搾ります。
すると、ちょろちょろちょろちょろと、透明な醤油が出てくるんですね。
搾りはじめの醤油は、塩気が立って、若い味がします。
どんどん搾りを進めていくと、すこしずつ出てくる醤油の味が変わってくる。
途中で何度も舐めて、味の変化を確認することができるのですが、ランチタイムがまた楽しい。みんなで持ち寄った料理に、搾り中の醤油をかけて食べるんです。
いわゆる、搾った後に火を通していない“生醤油”ですね。
これがたまらないんだな!
養鶏をしている友達は新鮮な卵を持ってきてくれたりしてね。
こうしてパカッと割って、醤油をかけて、卵かけごはん。
……ああ、美味い。つくりたての豆腐や、房総名物の「はばのり」、刺身、揚げ物、うどんなどにも生醤油をかけて食べます。何を食べても本当に美味い!
日本の食事って、実にたくさんのメニューを醤油に頼っているんだなと実感します。醤油が美味しいと、食べる喜びが3倍くらいになる。逆に、今まであまりにベーシックな調味料だったことで無意識に使っていたことにも気づきますね。
そうこうしているうちに全部搾り終わると、鮮度が命の生醤油と、保存できる火入れした醤油とに分けます。
もちろん、家では生醤油からいただくことに。
薄く透き通って、きれいだな。
お寿司屋さんでは醤油のことを「むらさき」と言いますよね。一説では、昔は赤褐色のことを紫と言っていたからとのことですが、搾りたての醤油は確かに、茶色というより赤に近いという印象でした。そして、時間がたつにつれて色が濃くなっていきます。
昨年は1年間、何かにつけて「うちの醤油は美味しいね!」と言いながら食べる食卓となりました。何せもともと70リットルあって、搾ったあとも相当な量になりましたから、友達に配ってもまだまだあると安心していました。
ところが先日、気がつけば最後の1滴が、終わってしまった……
「えーーーあんなにあったのに、もうなくなっちゃったの?」と、家族一同がっかり。
なによ、わたしが醤油をつくると言い出したら「部屋が醤油臭え」「樽がでかいな」「いつまで置いておくの?」と冷ややかだったくせにさ!
だから去年はつくるのをやめたんですよ。
搾りの前に、翌年の麹を発注しなくちゃならなくて。こんなに家族に愛されることになるって知ってたらやめなかったんだけどね。(ということで、今年1年は市販の醤油でしのぎます……)
ま、今年は文句は言わせないよ。
お醤油様がリビングに鎮座している風景を、毎日みんなで拝んで過ごしたいと思います。