暮らし術

「そろそろ出発するよ!宿題持った?水着も入れた?自分のものは自分で用意だよ。ほらニイニ、ネコたちをケースに入れてちょうだい!」

金曜日の夜。
我が家はちょっとした民族大移動状態です。
着替え、カメラ、パソコン、ごちゃごちゃ荷物、ネコ2匹、自転車、キュウリの入ったヌカ床などなどを、車にどんどん積み込みます。どんどんどんどん。
ほとんど夜逃げです。暗がりでテキパキ動きます。そう、やたらと手際がいい。

こども3人、よーし。
ネコ2匹、よーし。
最後に自分、よーし。

指差し確認後、バタン!とドアを閉めてエンジンをかけ、明かりの消えた東京の家を出発すると、ようやくホッと一息つきます。

行く先は、千葉県南房総市。
わたしたち家族の、もうひとつの暮らしがある場所です。

……ご挨拶が遅れました。
わたしは、馬場未織といいます。
東京生まれ、東京育ち。20歳の頃、「40くらいになったらきっと分からないことや悩みがなくなって、楽だろうなあ」と思っていました。なのに、とうの昔に40の川を越えた今もなお、分からないし悩むし迷うし、ぜんぜん楽にならないじゃないか!と思いながら生きています。

本や雑誌にぶつぶつ文章を書く仕事をしていますが、目下の本業はメシ炊きおばさんです。食べ盛りのこども3人と、手のかかる夫1人、ネコ2匹という所帯を切り盛りし、「お腹空いた~」と帰ってくる家族に食べ物を与え、愛を与え、夜になると出がらしになってバタンキューという日々。やれやれ。すこし無理をすると、冷蔵庫にウッカリ入れっぱなしにしていたトマトのような肌になるというお年頃なので、ママをもっと労わりなさい!と言いたいところです。

そんな、仕事や子育てに忙しい、ごくごく一般的な暮らしをしているわけですが、ちょいとだけ変わっているところがあるといえば、‘平日は東京で暮らし、週末は南房総で暮らす’というライフスタイルを続けていることです。

月曜日から金曜日までは、東京でそれぞれ仕事場や小学校、中学校に通っているのですが、金曜の夜になるとそんなワケで、人もネコも荷物も一切合切車にのせて、南房総の家に向かいます。
都心の喧騒を抜け、東京湾アクアラインをぶーんと渡って房総半島に入るや否や、みるみるうちに街あかりが減っていきます。館山自動車道を南下しつづけ、家を出てから1時間半ほどで南房総の里山に到着。見上げれば、うわあ~っと思わず声の出るような満天の星です。
あー。帰ってきた。
古い古い農家の玄関をガラガラガラと開けて入り、古畳にどたっと転がれば平日業務終了。カエルの合唱を聞きながら脱力、川の字で就寝。

小学校1年生の末娘。この日は、大きなミミズを手に乗せてかわいがっていたら急にぐったりしてしまった、と落ち込んでいました。大好きなのに、傷めてしまって。生きものと関わるのって、難しいよね。

小学校1年生の末娘。この日は、大きなミミズを手に乗せてかわいがっていたら急にぐったりしてしまった、と落ち込んでいました。大好きなのに、傷めてしまって。生きものと関わるのって、難しいよね。

ここではいつも深く深く眠り、明けて土曜の朝、鳥のさえずりで目を覚ましてからの週末2日間は、瞬く間に過ぎていきます。
日曜日の夜になると、また一切合切車に積んで、東京へ。

ほぼ毎週、この繰り返しです。東京、南房総、東京、南房総、と足踏みのように2つの場所を行ったり来たりしながら、同時に2つの場所に暮らすという「二地域居住」を始めて、今年で9年目になります。

あまり一般的ではないこの暮らし方は、説明してもうまく伝わらないことが多いです。大抵は、家が2つあるというので「別荘ですよね?いいなあ!」と言われてしまうことが多いのですが、うーん、そういう優雅なかんじじゃないんだよねえ、とぽりぽり頭を掻くほかない。

我が家のある場所は別荘地ではなく、いわゆる田園風景の広がる昔ながらの里山の、小さな小さな集落です。そこでわたしたちは、朝から晩まで大汗かきながら野良仕事をして過ごしています。
いでたちは、お世辞にもオシャレじゃありません。麦藁帽、適当な野良着、首に手ぬぐい、軍手や皮手袋、長靴か地下足袋、そしてすっぴん。1日に1回も鏡を見ないかもしれない。なぜって、畑の作物や食べられる野草、土を掘れば虫、川をすくえば魚、横切るカエル、ヘビ、ウサギ、タヌキ、イノシシ、サル、そんなもんに心を奪われ続けて自分にかまける暇がないからです。
そして何より、4月から10月あたりまでは毎週毎週、膨大な草刈りに、原稿の〆切と同じくらい追い立てられます。これが、本当に大変なんだな!もしサボってやらなかったら、うちはあっという間に草に埋もれてしまいますから。そこには人間の存命をかけた闘いがあるのです。
草、いいか?あんまり伸びているなよ?
草、いいかげん止まっとけよ?
と東京からいつも真剣に念じているのですが、南房総に到着すると大抵、予想していた以上に草ぼうぼう。あーあ。

なぜ草刈りのことばかり気にするかといえばですね、うちの敷地は8700坪あるからです。それを、全部自分たちで管理しているからです。
はい、広すぎます明らかに。
東京ドーム半分。

別荘ですよねと聞いてきた相手にこの話をすると、いよいよ怪訝な顔をされます。
「ただでさえこどもたちに手がかかって、仕事が忙しくて、出費も多くて、人生で一番バタバタしているこの時期に、なんでわざわざ手のかかる家をもうひとつ持って、行き来する暮らしなんかしているの?ため息ついて草刈までするの?」と。
まるで、好き好んで苦労を買ったようなもんだと思われてしまうのでしょう。

ソラマメはちょっと若いうちに収穫すると、皮まで甘くて柔らかくてたまらない。ミョウガとミツバは家の近くに生えていたもの。お昼に素麺を食べようとお湯を沸かしている間に、ちょっと摘んできました

ソラマメはちょっと若いうちに収穫すると、皮まで甘くて柔らかくてたまらない。ミョウガとミツバは家の近くに生えていたもの。お昼に素麺を食べようとお湯を沸かしている間に、ちょっと摘んできました

この暮らしをしようと決めたきっかけは、こどもでした。
現在中学3年生の息子が3歳くらいの頃、今から10年以上前のことになります。
当時の息子はたいへんな生きもの好きで、毎日虫や魚、動物の図鑑を覚えるほど繰り返し読んでいました。彼の頭の中にはヒラタクワガタがうごめき、フクドジョウが泳ぎ回り、もう実物が見たくてたまらないという状態。それなのに、東京の家の近くには児童公園がある程度で、がんばって多摩川まで行くのが関の山でした。
「ママ、カブトムシがつかまえたい!どこでつかまえられる?トラップどこに仕掛けられる?」とせがまれ続けるので、ちゃんとした自然の中で遊ばせたいなあと思うと、東京を脱出してちょっとした旅行をするしかありません。
何しろ、わたしたち夫婦はどちらも東京出身で‘田舎のおばあちゃんち’がなかったのです。

春に見つけた、まだ色の淡いカエル。散歩していると足元でぴょこたら跳ねるので、追いかけてつかまえて逃げられて。そっと持ったとき、心臓がドクドクいうのが伝わってくると、こっちもドキドキします。

春に見つけた、まだ色の淡いカエル。散歩していると足元でぴょこたら跳ねるので、追いかけてつかまえて逃げられて。そっと持ったとき、心臓がドクドクいうのが伝わってくると、こっちもドキドキします。

そんな日々の中。
夜、夫と晩酌をしながら、「たまたまオレらは東京に住んでいるけどさあ、それが絶対じゃないよなあ」という話が、ぽつりぽつりと出てくるようになりました。
息子と一緒に近くの公園を巡り続けながら、東京ってこどもにとっては、本当に遊び場のない場所なんだな、ということをしみじみ感じていました。「外で遊びなさい!」といったところで、チームに入って野球やサッカーはできても、こどもたちが自由に動いたり発見を楽しみつづけられる外部空間なんて、どこにも見当たらない。「ゲームはダメ!」といっても、じゃあどこで何して遊ぶんだよ、となるワケです。

わたし自身は東京で育ってきましたし、それを不自由に感じたこともなかったのですが、「生きもの好きの男の子」という生きものを育ててみると、子育て環境に対する考え方が変わってきます。
たかが息子の好きなことなんかで、根本的な子育て環境まで見つめちゃうワケ?ずいぶん甘いなあ、とも思われるでしょう。でも、生きものを見たい知りたい触りたい!という好奇心は、なにかとても健全で大事なことに思えて、それを「あなたの暮らす東京は人間本位につくられた場所だから、人間以外の生きものはそんなにいないんだよ」と環境のせいにしてとどめるのは惜しい、何かもっとも大切なものを与え損ねてしまうんじゃないか、と考えるようになりました。

まあ、とはいえ、普通はそう‘考える’だけでしょう。
逼迫した問題でもないし、暮らし方を変えるほどのことじゃあない気もします。
でも、わたしたちは実際に、このことをきっかけに、本当に暮らし方を変えてしまったんです。

「なんかさあ、安くて広くて楽しそうな土地、ない?」とシャレのように言い始めた夫に対しては、フフンと鼻息で返事をして取り合いませんでした。取り合うもんですか、大富豪じゃあるまいし。キャベツを買うみたいに土地の話をしないでほしいと思いました。
それが、もののはずみでネット上で土地検索をしてみたり、気になった土地をわざわざ見に行ったり、なけなしの貯金と未来の稼ぎをリアルに見つめて「自分たちはいったい、どんな種類の豊かさを手にいれたいのか?」という話などを重ねていく中で、‘週末は、田舎で暮らす’というぼんやりした妄想に、輪郭が与えられていったのです。少しずつ。

結果的に、土地探しには約3年もの月日を費やしました。何十という物件を見に行ったことか。神奈川、山梨、長野まで足を延ばしたこともありました。
そして、とうとうみつけたのがここ、房総半島の南端だったという次第。

3歳だった息子が小学校入学する直前、2007年1月。わたしたち家族は、2つ目の暮らしを手に入れました。そして、土いじりなんて生まれてこのかたやったことのないわたしが「一皮むけば農家のおばちゃん」と言われるようになるまでに、そんなに時間はかかりませんでした。喜んでいいものかどうか……

これから、このコラムでは、今もつづくわたしたち家族の週末田舎暮らしの様子をお伝えしていこうと思います。

春も夏も秋も冬も、それぞれ大変で、それぞれ最高の暮らしです。それらをなるべくありのままに、リアルタイムで。

また、土地探しのことや、週末田舎暮らしのコツ、南房総のヒミツなどについても、ぼちぼちお話していくつもりです。

南房総になーんの縁もゆかりもなかった家族が、ここを自分の第二の故郷だと思えちゃうくらい深く好きになっていったのは、なぜか。その理由は、日々のささやかな出来事の中に無数にちりばめられています。そんな出来事をここで共有していくうちに、「自分も、いつか、どこかで」というみなさんご自身の思いが(あったとしたら)膨らんでいくかもしれません。

それでは、末永くお見限りなきよう。また次回!

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※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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