「……で、真ん中のお嬢さんの週末田舎暮らし、どうですか?」
なぜか最近、真ん中のお嬢さんに対する質問をよくいただきます。
このお嬢さんとは、11歳のポチンのことです。ポチンというのはもちろん本名ではなく、2008年から続けているブログ内での彼女の呼称をそのまま使っているだけです。小さい頃にやせっポチンで目鼻口もポチンと小さかったからなんですが、本人は「もうそれやめて」と嫌がっています。
既出になるかもしれませんが、彼女はうちのこどもたちの中で一番、週末田舎暮らしに対してクールです。
その話がいつの間にか広まって、メディアの取材に来る方たちは誰よりも彼女の動向を知りたがります。わたしとしてはもっとこう、今まさに南房総ライフを謳歌している一番下の娘のマメ(もあだ名です)の話題をオススメしたいんですけどね。「田舎暮らしが好きじゃない人にとっての二地域居住って、どんなだ?」という裏側めいた事情を、ポチンを手掛かりに浮き彫りにさせたいというところなんだと思います。
女子の11歳って、思春期のとば口にいるような微妙なお年頃ですよね。
ずっと痩せて小さかったのに、最近ぐいぐい背が伸び始め、体つきもふっくらしてきました。わたしの子とは思えないオシャレさんで、「ママはいつも恰好がぼろっちい」と批判してきます。「ママはね、見てくれより大事なものがあるの。それは家族よ」なんて話を逸らそうとするも、「ぼろっちくない恰好のママに大事にされたいの」と、グサリ。
また、わたしが外でちょっと人を笑わせるようなことを言うと、(やめて!目立たないで!)とたいへん不機嫌な合図を送ってきます。パパのポロシャツのボタンが2つあいていると「あけすぎ!みっともないよ!」と耳打ちして眉をひそめます。
家族に厳しいお年頃でもあるのでしょうか。
思春期特有の過剰な自意識が、順調に育っているということでしょうか。
そんなポチンが、実際いま、この二地域居住をどう思っているのか。
学校でチバ王と呼ばれていたニイニとは真逆で、週末の南房総暮らしについてはほとんど学校で話していないと思われる彼女ですが、先日、下書きをしていた作文を見たら、珍しく南房総の生活について書いていました。その一部に、妙にリアルが匂う部分があり、思わず、ん?と読み返しました。
『(前略)私の家がある場所では畑をやっています。野菜を作るための種蒔きには、野菜によって種をまく深さが違うなどおもしろいこともたくさんあります。けれど、途中でつまんないと思い家の中に入ってしまいます。「今日は手伝おう!」と思う日でも、気付いたら家の中で本を読んでいたりする事が多いです。なぜならばはっきりいうとそれは田舎で生活をする体験ができるという事をあたり前に思っているからだと思います。(後略)』
……なるほどなあ。
確かに彼女は、自然環境の中で暮らす喜びをまったく発していません。赤ちゃんみたいな時からこの暮らしを始めていると、まあ、そうなるんだな。わたしなんて平日を東京で過ごしているだけですぐに感覚がリセットされて、今でも森羅万象にいちいち感動しているのに。
以前、沖縄に移住した友達が「空や海が真っ青なことをもうなーんとも思わない」と言っていましたが、そんな感覚でしょう。
そう考えるとポチンは、小学校入学前に二地域居住を始めたニイニよりももっと、生粋の田舎育ちだと言えますね。
先日、わたしが冷蔵庫がわりに愛用している道の駅に一緒に行ったある日、突然ポチンが「へ~ここがあの、パンフレットに載ってた道の駅ね!」と大きな声で言い出しました。え?と聞きかえすと、ニヤッと笑ってiPodのイヤホンを耳に突っ込んで、知らんぷり。
毎週毎週ここに来ているというのに、どうしちゃったんだ?何のことやらさっぱり。
……しばらくして、じわじわ分かってきました。
ひょっとして、あなた、「わたし東京の人です」とまわりに言いたいんだね?
ああ、そうかそうか、たまにちょっと大きな声で「空気がおいしいね!」「緑がきれい!」などと不自然な声色で話すのも、ひょっとしてひょっとすると同じ狙いがあったんだね?
なるほどなあ~笑。
それなりに苦労もしながら二地域居住を続けているんだが、娘の中に育った思いは「俺ら東京さ行ぐだ」、か。
まあ、なんつうか、おまえはホンモノに育っているんだなあとむしろ感慨深いな。
というわけで、この作文に表れているそんな彼女の気持ちの中には、わたしたち家族の短期中期的な見通しや、子連れ二地域居住のいろんな問題とかヒントが隠されているんじゃないかな、と思った次第です。
で、この作文の下書きをぺらぺらとポチンのところに持っていき、「今の暮らしで思うことについて、もうちょっと詳しく教えてくれる?南房総と東京の暮らしの、どこが好きで、どこが嫌いか、とかね」と聞いてみることにしました。
すると彼女は、また面倒な話でも持ってきましたか~的な顔をしながらも、ええと、そうだなあ、と考え始めました。「それがちゃんとわかんなくて、これ、うまく書けないんだよ」と言いながら。
以下がその回答です。嫌いなところは教えてくれなかったけれどね。
◎南房総の暮らしの好きなところ
・空気がおいしいところ
・野菜がおいしいところ
・人が少ないところ
・何かやらなくちゃと焦ったりしないでのんびりできるところ
◎東京の暮らしの好きなところ
・自分の足でいろいろなところに行けるところ
・欲しいものがすぐに手に入るところ
・毛虫がいないところ
・友達がいるところ
ほほう。
わたしは今まで、ポチンは何となく都会志向の子なのかなと思っていたのだけれど、南房総の暮らしに対して明確な思いがいくつかあったんですね。知らなかった。
確かにそうだな、と思うのは、「友達がいないところ」。
学校の友達がいない世界にいることがつまらないという感覚はどうしてもあるんだと分かります。これに関しては、長期休暇には友達を呼んで合宿をしたり、たまに地元の友達と遊ばせることで解消していたつもりでしたが、やっぱり基本的にはつまんないんだよな。ニイニの時にはまったくそういう部分がなさそうで、「友達とは学校で会えるからいいよ」と虫やら魚やらに会う時間を目いっぱい楽しんでいましたが、彼女とは個性が違いますからね。
もし、移住していたら、きっとこの感情は出ないはず。二地域居住の大きな課題のひとつです。
もうひとつは、「自分の足でいろいろなところに行けないところ」。
これは、今まで気が付きませんでした。
東京では放課後にランドセルを置くやいなや「いってきまーす」とまた出かけ、友達の家やら公園やら仲良しの住職さんのいるお寺やらでばっちり遊んで帰ってくるポチンにとって、親が車で連れていってやらなければ家の敷地外に行けない、という南房総での環境は、不自由に感じるんでしょうね。敷地が8700坪もあるからいいじゃないか!と思ってたけど、彼女にとってはそういう話ではなく、外の世界と主体的に触れ合えるかどうか、ということなのでしょう。生きもの好きのニイニにとってはこの大自然は自由に遊ぶフィールドだったのですが、彼女は捉え方がだいぶ違います。また、小学校1年のマメはまだ行動範囲が狭いため感じていないストレスです。
今ではポチンは、南房総でも自転車でずいぶん遠くに行くようになり、海まで足を伸ばすこともありますが、それも親がついていないとまだ危ないです。田舎では、歩車分離がまったくされていない道路も多いですからね。
それから逆に、南房総の暮らしに対してプラスの気持ちも見えてきます。
普段は言葉にしないけれど、彼女は東京ではいつも「何かやらなくちゃと焦ったり」していたんですね。南房総の家ではその気持ちが解除されてのんびりできるんだという事情は、知らなかった。学校の友達がいないのはつまらないけれど、そんな人間関係、学校関係にまつわることから一定の距離を置いている時、ある意味、気持ちが解放されるのかもしれません。
確かに、南房総への出発時にはぶつくさ言うことがありますが、いざ南房総の家で過ごし始めるとタラタラとのどかに過ごしています。最近はポチンが昼のランチ担当になりつつあり、収穫したものを使って豚丼やらスープやらつくってくれます。
でもね、それだけでもう1日の任務終了。午後は盛大に昼寝。
もそっと起きてきては、音楽を聴いたりぶらぶらしたりで、週末終了。何とも適当な暮らしぶりです。
こどもによっては「友達といないと、むしろ焦る」という場合もあるでしょうが、ポチンにはそういう強迫観念はないみたい。親としては、ちょっとほっとします。
あとはだいたい、想定通りです。
おいしい野菜と、のんびりした暮らしと、美味しい空気が好き。
人がごみごみといる状態が嫌いで、毛虫も嫌い!(←昔わたしがチャドクガの毛虫にやられたのを見てますから)
そう考えると、まあ特に田舎暮らしが特に合わないというワケでもないんだな。同じ田舎暮らしをするのでも、友達といられる環境ならよかったのかもしれないね。
彼女には、二地域居住よりも移住の方が合っていたんだろうな。
こどもが3人いると、同じ遺伝子からいろいろな個性が生まれることに、感動することがよくあります。
でも一方で、感じ方、考え方の個性を尊重することの難しさも感じます。その子がその時望む環境を与えきれない時、どうすればいいのか。たまたまうちに生まれてきたからこういう生活をしているということを、良しとしていいのか。答えのない自問自答は続きます。
ただ、彼女の作文にあるように「都会の良い所と田舎の良い所」を存分に味わい、いろんなことを感じて、考えて、その経験を糧に世界に大きく羽ばたいていってほしい、自分自身で自らの環境をつくりだしていってほしいなと、娘の成長を祈る母なのでありました。
あと1年ちょっとで、ポチンとしていたポチンも、中学生になりますからね。
我が家の二地域居住の形も、少しずつ変化していきます。