「ほー、ほけちょけ!」と、下手くそなウグイスの鳴き声で目が覚めた朝。
ちょうど啓蟄の日、わたしたちは房総の家にいました。
この日は明らかに、それまでと空気が違っていました。一歩家の外に出ると、土のツンとした匂いが風にのって漂ってきます。肌が柔らかくなりそうな、すこし湿った風です。
ふと見ると、ちいさな羽虫がそこらをぷ~んと飛んでいます。台所に置いておいた晩白柚のヘソのところには、アリが来ている!
いやあみんな、ご無沙汰だね。
冬の間も暖かい日がありましたが、今回のはそういうんじゃない。もっとちゃんと、季節が変わったのが分かります。
春、なあ。
11月くらいからちょいと楽ちんさせてもらいましたが、そんな日々もそろそろ終わり。これからハードな野良仕事の日々が始まります。今日はその、皮切りの日です。
というのも、「啓蟄」で心の準備をし、「お彼岸」が過ぎたらぼちぼち草刈り開始、4月はそのまま体を慣らす程度で、ゴールデンウイークあたりから一気に加速する、というのが春のスケジュールだからです。
つまりですね、今はまだ、実務開始前!
期末テスト近いなー、勉強やらなきゃなーと心はそっちを向きながらも、実際はぐーたらしている、みたいな時期です。
ぷらぷら気ままに過ごせるのはあと2週末くらいとなると、貧乏性のわたしは春眠暁を覚えずなんていってられず、腰が浮いてきます。この贅沢なぷらぷら期を思いっきり味わうぞーと、こどもたちを引き連れて外に飛び出しました。
といっても今回の場合は、ぷらぷらあてのない春のお散歩ではありません。
明確な目的がいくつかあるのです。それらは口にしなくとも、こどもたちと共有しています。
「まずはどこから?」
「じゃ、下の明渠から」
「オッケー。その次は北の畑ね」
と、ルートも毎年のとおりです。さて、出会えるか!と期待に胸を膨らませていつもの明渠に向かいます。
なのに、なのに。
去年まではすぐ確実に見つかってたのに、木の枝で水中をかき回しても今年はなぜかアレが見つかりません。ほぼ毎年ここでは会えているので、しつこくしつこく探しますが、水面に張った藻が邪魔をして中がよく見えず。
「おっかしいなあ」
血眼になって探すわたしに、娘のマメがのんびりと声をかけます。
「ほら、ママ、むかーし見た、セリの生えてるところにいるんじゃない?」
……ああ。あの用水路のところ?
こどもの記憶はすごいものです。わたしはすっかり忘れていましたが、3年ほど前に確か、そのへんで見つけた記憶があります。マメの人生はたかだか7年半ですから、3年前っていうのはたいへんな大昔ですよね。
さっそく鼻息荒く向かってみると、マメのいうとおり。
いた、いた。いたよ。
トウキョウサンショウウオの卵です。
サンショウウオは、バナナ形の卵のうを1対(2つ)、木の枝に産み付けます。この写真だと、枝に絡めて産み付けている状態がとてもよく見えますよね。
まだ卵がまん丸ですが、すこし育ってくると、こんなかんじに。
実は8年前、サンショウウオを自宅で孵化させたことがあります。
その時わたしは3人目のマメを妊娠中で、思いっきり体の動かせない状態が続いていました。ニイニがこの卵のうを拾ってきたので飼育係を買って出て、持て余し気味の母性をサンショウウオに向けたという次第。
孵化したサンショウウオの幼生をすべて個別の小さなタッパーに入れて、1匹1匹にスポイトで生きたイトミミズを1本ずつ、口に運んで与えて大きくしました。はじめは全長1センチ程度だったのが、3センチくらいになると表情がよく見えるようになります。
外エラがあって、ウーパールーパーみたい。
この外エラはさらに大きくなると自然に消え、成長したサンショウウオはつるんとした形になります。こんなふうに。
なんてかわいい子たち!!……ですか?
わたしにはかわいく見えるんですけどね。手塩にかけて育てたからね。
このサイズになると、生きたアカムシを食べさせることになります。熱帯魚屋さんなどで売っている冷凍のアカムシは動きがないためなかなか食べません。アカムシは上州屋など釣具屋さんに釣り餌として売っている場合が多く、活きのいいヤツを調達するためにいつも釣具屋さんに通ってたな。
というわけで、その後この子たちは元いた場所に放流しましたが、今でも、彼らに会わずしてわたしの春は始まらないのです!
ぷるんとした卵のうに頬ずりしそうなわたしを、こどもたちはやや冷ややかに見ていました。
……ええ、さて次に。
目線をぐっと下げ、地面をよおく見ると、にょっきりといるやつ。
つくしんぼうです。
ようやく顔、出させてもらいました~という、ひょうきんで清々しいいでたちがいいですね。
なんで、つくしを見つけると、嬉しいんだろうね?
前回申したようにクールな娘ポチンも、さすがに「つくし!」と飛びつくくらいだからね。
かわいいんですけど、わたしはこいつは食べ物にしか見えません。あのね、どうせ獲るなら開いちゃって胞子の飛んでるやつじゃなくて、それ!そうそう、そういう閉じたヤツね!とこどもたちに指示を出します。
こうして袋いっぱいにとったつくしは、袴をとらないといけません。
爪の間をアクで真っ黒にしながら、時間をかけてしみじみ作業。付き合わせているマメには「つくしって本当に美味しいんだよね?」とたびたび聞かれます。そりゃ美味しいわよ、と答えながらちょっと微妙な気持ちになるんですけどね。
で、あんなにいっぱいとったはずなのに、あく抜きして佃煮にしたらこれっぽっちにしぼんでしまった。
わたしはこの心許ない歯ごたえや、粉っぽくてほろ苦い味が好きです。といってもどうなんでしょうね、実際は、ちょっとした風味以外に味という味はない気もしますけどね。笑。
つくしが食べられるのは、今だけです。
八百屋でも、お惣菜屋などでも、売られているところはほとんど見かけません。極端に日持ちしないんですよね。だから何だか、とてもありがたい。しかも、実は栄養価がちゃんと高いらしい。獲れたてのつくしはカロテンが芽キャベツより多かったり、ビタミンEは野菜の中でもトップクラスだったり。偉いな!
こどもたちは「わあ、つくしだー」と喜んで箸をつけたものの、以降はぱたり。
あはは、美味しくないのか。お子ちゃまだね。
で、つくしには反応がイマイチだったマメは、別途ひとりでこっそり大好きな春を見つけてました。
スコップを片手に一生懸命なにか掘ってる。
なになに~?と駆け寄ろうとすると、「来ないで!見ないで!」と怒られちゃう。
諦めてキッチンで昼ご飯の準備をしていると、「はい、ママ」と窓からにょっきり。
うぉーーーー!!
こんなにたくさん、ありがとう!大変だったでしょ、こりゃ嬉しいや!!
「でしょ?」と、サプライズ成功で、マメにんまり。
これは我が家で大人気の、ノビルです。
噛むと野性味のネギのような風味が口いっぱいに広がる野草で、これは煮ても焼いても本当に美味しい。いつもは4月になって見つけるのに、今年はこんな時期から出てるんだ!
ノビルは、都心でもけっこう見かけます。
東京の家のご近所の中学校にも、外周の花壇にたくさん生えているんです。これがもう、獲りたくて獲りたくてたまらない。
でも手を伸ばせばまるで花泥棒みたいなので、葛藤の末いつもこらえます。このやり場のない気持ちをどうにかしたいと、「隣の中学の外周にノビル生えてるよね?」と家族に話すと、「だよね!獲りたくならない?」「あれマジすげー獲りたい!」「ねーガマンするの大変だよね!」とたいへんな盛り上がり。
あはは、みんな同じ苦労をしてるわけだ。
実はマメにも、ノビルにまつわる苦い思い出があります。
保育園に通っていた頃に、園庭のすみっこに生えているのを見つけて「先生ノビル!食べられるんだよ、とっていい?」と息せき切って先生に聞くと、「本当に食べられるのか、先生には分からないから、とって食べないでね」と止められたそうな。「絶対食べられるから!ちょっとかじったら分かるから!」と交渉したらしいのですが、「うーん、でももし、おなかこわしたら大変でしょ」と言われ、結局がまんすることになった、とのこと。
あんなに美味しいものなのに、獲っちゃいけないなんてね。さぞや残念だったでしょう。
南房総では獲り放題、食べ放題だからね。
マメのノビル愛を全力で受け止め、窓からもらった束はそのままトースターでさっと炙って、塩を振って食べました。
若いノビルはまだ細くて柔らかく、素晴らしい風味です。
つくづく、キングオブ野草といっても過言ではない。
もうすこし育って根っこの球が大きくなったものに、味噌やマヨをつけてぽりぽり食べたり、お味噌汁に入れたり、天ぷらにしたり。
うぉぉ楽しみだ!
そう、これからセリも育ってきますし、タラの芽、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、よもぎ、タケノコ……だめだ、書きながらお腹すいてきた。
山菜と一緒にぐいぐい伸びる雑草を思うとうんざりしますが、この喜びとプラスマイナスで、ちょいとプラスというところです。
がんばって働いて、美味しいもの食べて、それで元気出してまたがんばる、ってとこかな。
毎年同様、がんばっぺ。
おや、キミも起きたか。
まだ地面、茶色っぽいもんね。
からだ、だいぶ白茶けてるよ。おはよう。