暮らし術

いよいよ暖かくなってきました。
入学式、始業式、年度始め、うららかな春の日にウットリとしながら頭の片隅ではどこか焦っているという春独特の日々です。

わたしは珍しく、風邪をひいてしまいました。
南房総でのとある共同作業の翌日、起きたら顔がまっかっか。「あちゃ、またやっちゃったか」と冷えたタオルで頬っぺたを冷やしましたがぜんぜん赤味がひきません。
昨年あたりから、野良仕事を頑張った翌日(そう、なぜか翌日)にりんごほっぺ病みたいになる、ということがあるんですよね。特に冬の寒い時期。その日はそんなに寒くもなかったので、何でだろうなあと訝っていました。

そして、ハッと思い立ってしまった。
ま、まさか、いわゆるこれが更年期障害のホットフラッシュか……?

うーんまだちょっと早い気がするけど、個人差があるというし、いよいよそんな歳だと覚悟せねばならぬのか……などと思っていましたら、単純に発熱が原因でした。いや~安心した!
ま、だからって嬉しいわけでもなく、その後数日つらかったですけどね。

そういうわけで発熱前日は、「とある共同作業」をしてたんですよ。
何の作業かといいますと、この時期の風物詩ともいえる、水路掃除です。
田んぼに水を引くために、山から出る水の水利権を持つ家が共同でやるんですが、ま、言ってみれば、ハードなどぶさらいですね。

それの何が楽しいかって?
だって、水路ですよ。
水のあるところに、生きものあり。
毎年何らかの出会いがあるんです。むふ。

朝張り切って集合場所に行くと、鍬とスコップ、それからひざ上まである長靴を持った集落の方たちが集まっていました。
人数はわたしを入れて4名。高齢で体調のすぐれない方、平日なので通勤のある方は来られません。「今年はこれまででも一番少ねーぺよぉ」とのこと。特に悲観した声ではなく、人がいないならいないなりにやるっぺ、という淡々としたものです。
わたしなんかすぐ、ああ寂しいなあとか、今後のこと考えると不安だなあとか思ってしまいがちですが、集落の方たちは「それなりにやる」心構えのプロです。切ないようですが、人が減っていく現場に直面するプロでもある。だから肝が据わっています。

さて。
水を流すための掃除は、主に2ヶ所やることになります。
1か所目は道沿いの水路。
2ヶ所目はひと山越えたところにある山中の沢、つまり水源です。

ところがこの、水路の方が、去年やおととしの比ではないひどい状態でした。
山から下りてきたイノシシが水路際に生えているタケノコを狙ってか、あたりかまわずぐさぐさと掘り返し、そこで溢れた土やら枯れた竹やらで水路が完全に埋まってしまっていたのです。

「いやぁ、こりゃあひっでーなぁ」
「もうアレだ、今年から米は買うことにすっか!」
「んだよぉ。そっちの方が結局安いし楽だったりな!」
なんて言いながら、それでも、やらないということはありません。
上の方から少しずつ、朽ちた竹を取り除き、土砂を掻き出していきます。

イノシシめ!と、この時ばかりは悪態をつきたくなります。

イノシシめ!と、この時ばかりは悪態をつきたくなります。

(ほんとにこれ、4人で終わるかなあ)とわたしの顔に書いてあったのか、集落の小出さんがさりげなく声をかけてきます。

「大変だけどよぉ、最初のひと鍬を入れると、終わりのひと鍬が見えてくんだよな」。

そうか、そうだな本当に。
ずいぶん前に“やる気スイッチの入れ方”についてどこかで読んだことを思い出しました。
「やる気のしない人が“やる気スイッチ”を入れる方法は、たったひとつです。それは、その作業を始めることです。やり始めることで、やる気スイッチはONになります」。

何だかまやかされている気がしないでもないですが、確かにそうなんですよ。意を決してやり始めちゃうと、ちょっとずつ見通しが立ってきて、心がぐんと軽くなり、次第にはかどってきます。反対に、やだなあと思って手をつけるのを先延ばしにしていると、「やっていない」自分への苛立ちと先の見えない不安で、作業をしている状態の時より忙しい気持ちになる。

そんなわけで、こんな土砂で満たされた水路を何十メートルも掘り切れるか?なんていう邪念はひと掻き目で薄らぎ、ふた掻き目からは夢中になっていきました。

ちょっと寒い日でしたが、すぐに体が火照ってきます。

ちょっと寒い日でしたが、すぐに体が火照ってきます。

普段あんまり運動していないからな。
久しぶりに、うんと腕の力を使います。
中腰でふんばる太ももなんかもぷるぷるします。
ああ、あの無駄に立派な筋肉をつけまくっている水泳部の息子をひきずって連れて来りゃよかったと思うも、後の祭りです。

 

足をどこに置き力を入れるかが問題。腰を傷めないよう注意!

足をどこに置き力を入れるかが問題。腰を傷めないよう注意!

でもこの作業、さっき言ったように、ちょいちょいご褒美にありつけるんですよ。
表面の方の土砂のふたを取り去ると、中の方には湿った泥がたまっています。そこをよいしょ!と掻き出すとき、むにょ、と動くかたまりが。

でかくて、冷たくて、実にかわいい。

でかくて、冷たくて、実にかわいい。

「あら!こんなところいたの♡」とひとりつぶやいていたら小出さんに撮られました。

ゆっくりしてたんですね、ヒキガエルちゃん。
いい塩梅に隠れて。
適当に湿ってて。
それなのにがさがさと上をひっぺがしてしまい、起こしてしまいました。ごめんね、ちょっとどいててね、と脇へよけておきます。

最近わたしは生きものへのヘンタイ度が加速しているみたいで、電車の中で他人の赤ちゃんに声をかけるおばあちゃんのような声を出してしまうんです。
こないだ、畑を耕していたときに必死にもぐろうとするミミズを見つけて「お尻でてましゅよー」と言っているのを不覚にも家族に聞かれてしまいました。「それちょっと行き過ぎ。将来何か事件を起こしたら、ニュースで“犯人には以前から、生きものに話しかけるなどの奇行が見られたようです”って言われるレベル」だって揶揄されました。やばいな、気を付けよう。

でも、出るわ出るわ。
こいつとか、

サワガニん♡

サワガニん♡

こいつも。

ザリガニん♡

ザリガニん♡

たまらないですね。
いちいち手を止めているとみなさんに申し訳ないんですけどね。
「この作業のために、わざわざ朝こっち来たの?」って集落の方に驚かれましたが、わざわざ来るほどの魅力があるんですよ。わたしには。

……そんなこんなしているうちに、底なんて到底見えないと思っていた水路が、ずいぶんすっきり通ってきました!
みんなでやれば、どうにかなる。体はどろどろですが、心は水路と同じくらいすっきりしてきます。

50mほどがんばりました。

50mほどがんばりました。

もしこれが、自宅の側溝のどぶさらいだったら、めんどくさくってしんどくって、とてもじゃないけれどやりたくないことです。
なのに、共同作業だとちょっと違う。「ゆっくりやんべ」とか「ここはどうすっか」「あとあと詰まること考えたらここもやっとくか」「やーれやれ、たまんねぇなぁ」などとみんなでぶつぶつ言いながら進めると、肉体労働もなぜかそれほど苦にならない。

いや、他の方々は分からないです。「まーいとし毎年、まいるよなあ!」と腰をのばしている姿もありましたからね。わたしが加わるようになった数年なんかほんの最近で、ずっとずっとずーーーーっとこれをやってきた集落の方たちは、歳とったり人数が減ったりして、しんどさが増しているのかもしれません。
でも、嫌で嫌でしょうがない、という風にも見えない。肉体労働とはいえ冗談まじりの朗らかな時間ですし、こういう共同作業がしばしばあるから隣近所のことまで身内のことのように心を砕いたり、助け合ったりできるんだという因果関係に深く納得しているからでしょう。

それに、机を囲んで会議をしたり、お酒飲みながら親しくなるというのとはどこか違って、一緒の方向を向いている仲間みたいになれるのがいい。しかもその仕事は本当に、地域の暮らしを支えるものですからね。本質を共有している感覚です。

で。
最後のひと鍬が、ちゃんと見えてきました。
水路はきれいになり、ごっそりと積まれた土砂はショベル付きのトラクターで集められていきました。

道も水路も、こうして整っていきます。

道も水路も、こうして整っていきます。

さて、さらに作業は続きます。
裏山に入り、水源の沢の掃除です。

いったいこの山には何頭のイノシシがいるだろうという荒れ果てた裏山をわしわしのぼっていき、いつも通る杣道から逸れて急な下りの崖道、といっても道とはいえない獣道のような筋を、ずるずると下りていきます。
「このロープには体重ぜんぶはかけないでな」という微妙な指示をもらいつつ、すべるように、谷底へ。

かなりの崖っぷりだと、わかりますか?

かなりの崖っぷりだと、わかりますか?

湧き水のポイントに到着すると、男性陣はながーい長靴に履き替えます。(わたしもそれ欲しいな)と思いながら水たまりの中に入ると、1年間でたまった土砂がごっそり。

いやあ。
これ全部か。

ちょっとげっそりしながらも、淡々と土砂を掻き出すみんなにつられて、よいしょ、よいっしょ、とがんばります。大きな岩のような石もあり。けっこうな重労働です。

水があるんだか分からないくらい、土砂がたまっています。

水があるんだか分からないくらい、土砂がたまっています。

それでも、最初のひと鍬を入れると、終わりのひと鍬が見えてくるはず。
額に汗しながら、返り泥を浴びながら、ふうっと上を見上げれば苔むす緑。
「屋久島のように見えなくもないですね」と思わず言うと、「へへ」と苦笑いされましたけどね。でも、やっぱり山の中って、気持ちがいいものです。空気の質がぜんぜん違うってわたしにもわかる。

でも、まあ、しんどいですわな。

でも、まあ、しんどいですわな。

それにしても、何十年か百年かわかりませんが、ずいぶん昔の人が、この山に自分たちでトンネルを穿ち、田んぼまで水を引けるようにしたというのは、すごいことです。わたしにはその工程がうまく想像できません。重機もない時代でしたから、途方もない作業だったでしょう。
でも、田んぼの水が枯れるのは死活問題。きっとその頃の集落のひとたちで、「最初のひと鍬」を入れる決意を固めたんですね。
そんな作業をした人たちは、無事に水路が開通し、潤沢な水を得てつくられたお米をどんな気持ちで食べたんだろう。

「昔はな、手で刈ってたから、もっと田んぼに水があるうちから刈ってたんだよ。今は機械が入らないから乾いてから刈るけどな。で、昔の米の方が、今より美味しかったんだよな」と、酪農家の山口さんが教えてくれました。
技術も暮らし方もぜんぜん違う時代、とはいえ、60過ぎの方の小さい頃はそんなだったのだから、それほど昔ではないんだな。

豊かになった今、豊かだった昔。
比べられないけどね。

……そして。
うちのあたりの田んぼたちには、無事に水が満たされました。

小さな田んぼが連なる里の風景。(撮影:小出一彦)

小さな田んぼが連なる里の風景。(撮影:小出一彦)

「ママ。自分の田んぼで、自分のお米がつくってみたいね」
そう娘に言われた、嬉しい春です。

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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