「ねー、久々に会わない?ゴールデンウィークだし」
「いいよ!どっちにする?東京?」
「うちは房総いるけど」
「うちも房総いるけど」
「うちも房総いるけど」
連休前の頃。ふたりの親友との会話です。
幼稚園とか小学校とか、記憶が消えかけているほど昔から一緒に育ち、たまたま高校の部活が一緒で、帰り道の方向も一緒で、とんでもなくアホな話をしながら1時間半くらいの通学路を行き来した仲間が、わたしを含めて4人ほどいまして。
そのうちの3人が、東京と房総で二地域居住をしています。
まったくへんな話です。
ひとりは一宮。
ひとりは鴨川。
ひとりは南房総。わたしですが。
で、もうひとりは韓国に留学中で、彼女は田舎暮らしにゼロ興味。「東京で飲むときは誘って」というかんじですので、いつかは引っ張り出してやろうと企んでいます。
わたしたち3人とも、二地域居住を始めた動機はばらばらです。趣味も興味も家族の状況もばらばらで、普段は自分の暮らしが忙しくってそれほど頻繁に会ったりはしません。
それでもときどきふと、(今週末はあの子もあの子も、この房総半島のどこかで畑やってるんだな……)なんて思うと、なんだかおかしくて、ちょっと元気が出ます。
今年のゴールデンウィークには、一宮に住んでいる彼女がうちに来てくれました。クリーム色の軽自動車に乗って。
九十九里海岸の方から南房総市の我が家までは、県内移動とはいえけっこうな距離を走ることになります。実は、東京の家から来てもらうのとさほど変わらないくらい。
千葉県の面積は、5157平方キロメートル。広いですよね。東京都の面積の、約2倍半です。
関東平野に繋がる北の方と、房総丘陵といわれる起伏のある地形の南の方では、風景がずいぶん違います。
また、東京湾に面した西海岸と、太平洋に面した東海岸では、同じ海沿いとはいえ文化が違う気がします。
ですので、サーファーたちの愛する一宮の海暮らしの彼女たちと、千年昔からさほど風景の変わらない南房総の山あいに暮らすわたしたちの逢瀬は、ほとんど異文化交流レベルなのです。
彼女の家族はホンモノの体育会系で、サーフィンのできる環境を求めて一宮に居を構えたわけですが、今はなぜか畑にハマっているらしく、多分うちよりもいろんなものをうまく育てています。
お互い、こどもを連れて都市と田舎を行ったり来たりしているわけで、この暮らし方への愛着の高さは計り知れません。
彼女のこどもとうちの次女のマメは1歳違いの友達で、会えば姉妹のように遊びます。食事もそこそこに、「ちょっと散歩してくる!」と飛び出してしまったこどもたちを横目で見ながら、わたしたちはとっぷり日の暮れるまでおしゃべりをしていました。
話はとめどなく溢れてきます。昔は恋の悩みだけで1週間くらいしゃべり続けられたんですけどね、この頃はそのへんの話題はからっきしです。かわりに、ちょっと恥ずかしくてだれにも言えないような、青臭い話をします。
たとえば、「多様なひとびとがボーダーレスに繋がれる社会って、つくれるんだろうか?」とか。
いや、大真面目にですよ。
彼女もわたしも仕事柄、社会問題に接することが多いとはいえ、とれたてのソラマメをぷちぷちと食べながら、昼間っからそんなことを話す女2人。
は?そんなこと悩んでるの?もしかしてヒマ?
と言われそうですが、どこもかしこも混雑しているGWの昼下がりは、ヒマに過ごすのが正しいのです。笑。
実は、わたしたちは小さな頃から私立の女子校で育ちました。
家庭環境の似たようなこどもたちが通う環境で育ったという意味では、世間知らずな部分が多分にあったと思います。まあもともと深窓の令嬢ではなかった上、その学校の教育理念が「自立した女子をつくる」という学校だったため(びっくりぽんや~で話題になったアソコです)、男性を頼るスキルを学ぶ機会がないどころか自分自身が男らしく育成されてしまったんですけどね。
それでも、高校時代、数学の先生から「あなたたちは、特殊な環境で育っているという自覚を持った方がいい」と言われたことがあります。その時はなんのこっちゃと意味が分かりませんでしたが、大学を出て、社会に出て、モノを知らなすぎるというコンプレックスを持った時、この言葉をしばしば思い出しました。
そんな井の中の蛙だったわたしたちは今、自分のこどもたちを、自分たちよりだいぶ広い海の中で泳がせるような育て方をしています。
いろんな環境や人間関係の中で暮らすことで、自ずと社会問題への意識を持ち、けっこうな頻度で細かい問題にぶちあたり、親は忙しくていちいちかまっていられませんから自分でどうにかする、という具合です。だいぶ逞しい子に育っていますが、お育ちのいい雰囲気は残念ながらあまり……。(←単に我が家の雰囲気の問題かも!)
きっとわたしたちの親が「苦労させたくないから」と私立に入れてくれた愛情とはまったく別の形で、わたしたちなりに「苦労させたくないから」と選んだ道なんだと思います。良い、悪いではなくてね。
そしてオトナである自分たちもまた、二地域居住という複層的な暮らし方の中で、たくさんの気付きをもらいながら成長しているという状態です。強い人、弱い人、お金持ち、貧乏、自由、不自由、責任、無責任、健康、不健康、マジョリティ、マイノリティ、幸せ、不幸せ。ひとところにいると気付かないさまざまなことが、見えてくる暮らしでもありますから。
「だけどさ、ぜんぜんきれいにおさまってないや。わたしの人生」
「いやわたしもだよ。こないだも母親とケンカした。オーバーワーキングでしょう、いい加減にしなさい!って」
「仕事も生活も、何が正しいか分からない。42歳ってもっとオトナだと思ってたけど、これほど迷ったり悩んだりばかりなもんなんだね」
「ほんとだよ。でもさ、こっちが正しいと思って進めようとしたことを、家族や友達から相対的に批評されるのも、大事だよね。なるほど一理あるな、なんて思っちゃうもんな」
「えらい!わたしなんて人間が練れてないから、反対意見に腹がたっちゃう!」
……とまあ、ぜんぜん色っぽくないわたしたちが、ぜんぜん色っぽくない話題……こどものこと、人生のこと、福祉やジェンダー、格差社会などについての議論を交わした、風の強い休日の昼下がり。
昔、青い青い空のもとで共に白いボールを追いかけていたソフトボール部時代と同じように、信頼できる相手に自分の全部を出す感覚を味わいました。
帰り際にバタバタしながら「あ、そういえばばーちゃんにおみやげね」と彼女が袋から出したのは、いったいいつ誰のためにつけるんだというレーシーなランジェリー。ご親族の結婚式で行ったハワイのおみやげとのこと。
「どうせロクなものを持ってないでしょ?たまには女であることを思い出して」と。
腹立たしくも図星!
(写真は出しません。笑。)
このGWは、この日のほかに3日ほど南房総の家にいました。
5月ならではの鮮やかな緑に心奪われ、薫風とはまさにこのことだなという濃い命の匂いの風を胸いっぱい吸い込んで。それだけ。
特別な過ごし方ではないけれど、吸い込む空気が違うと人ってこんなに心持ちが変わるのかと思うほど、心身の内側から全とっかえできたようなリフレッシュ具合でした。
10年経つけど、色褪せない暮らしです。
娘はスパイダーモアという草刈り機で平面をざくざく刈ってくれて、
わたしはキツい大斜面を刈払い機で刈り倒します。
戦力になると思って連れて来たマッチョな高1息子は、わたしだったら半日はかかる力仕事を30分くらいでこなし、追加のタスクは手つかずのまま、ふと気がつくと神隠しにあったかのように消えていました。
「ニイニはどこ?家にいる?」
「いないよ」
おかしいなあ、ひとりでサーフィンに行っちゃったかなあ、それにしても一言も言わないで出ていくなんてひどいなと怒ったり心配したりしながら探していたら、
行き倒れていました。
妹たちが驚いて駆け寄り、「死んでるかも!」と鼻に手を当て、「生きてた」と確認。
昔から、草がチクチクするとか、虫がいるといったことはまるで関係なく、外で寝るのが好きな子でね。
小学生の頃などは、何か悪さをしたので叱り飛ばしたらやはり家から消え、何時間たっても出てこないのでいよいよ心配になって探し回ると、畑のすみっこにどさりと積んだ草に埋まって眠りこんでいたことも。
親のいうことなんてすべて馬耳東風、怒るだけ無駄というようなところも昔と同じです。
こどもってのは、教育やしつけなどではおよそ変えることのできない、固有の性質があるんですな。
親が、どう育ってほしいとか、どんな人生になるといいなどと思い描くのは、結局それほど大きな意味は持たないのかもしれません。笑。
きっとわたしや、親友の彼女も、親たちの願っていたような安定した人生にはなっていないでしょうから。