暮らし術

なるべく外にいたい、秋。
あっさりした日差しが心地よく、それは人間だけじゃないからか、いろんな生きものに出会えます。夜は虫の音を聞きながら寝ると、深い疲れがとれる気がします。いよいよ寒くなってきたので、この風情も今年はそろそろおしまいです。

虫の声がいいなあと思うのは万国共通かと思いきや、日本人とポリネシア人独特の感覚らしいですね。「あれマツムシがないている~チンチロチンチロチンチロリン♪」「あれスズムシもなきだした~リンリンリンリンリーンリン♪」と、鳴き声に文字を与えるというのも日本だけとのこと。
思えば、数多いる虫の鳴き声を聞き分けようと耳をそばだてているとき、感性を研ぎ澄ませる一方で、情報を収集しようとする脳の動きもありますよね。
風の音も、虫の音も、ことばに置き換えた上で感動する。何だか面白い話です。

何しろ南房総では、人間よりも圧倒的に人間以外と出会う数の方が多いわけで。
そのひとつひとつに立ち止まり、じっと見ます。それだけで充分、1日経っちゃう。いちいち面白くて。

今回は、野良で出会い、一方的にこっちの心が豊かになるだけで、決して心の通わない大事な友人たちをご紹介しますね。

アキアカネ

デッキに座っていたら、アキアカネがやってきました。赤がきれいなので近寄ると、その空気を察してかすうっと逃げていきます。で、そのあたりをふらふら飛んだ後、なぜかほぼ同じ場所に、また戻ってきます。注意深く息をひそめて近寄ると、ほどなくまた、ふらふら飛んでいく。そして、不思議なくらいカッキリ同じ場所に戻ってくる。デッキの縁というだけでなく、ポイントもほぼ同じなんですから!

実はここ、お気に入りの休憩ポイントなのではなく、このアキアカネの餌場だったようです。見通しのいい高い場所に狩場を持って、状況を見ながら何度も獲物を獲ろうとチャレンジするという習性があるとのこと。わたしたちはデッキでぐーたらしますが、アキアカネにとっては糧を得る仕事場だったんだね!

 

親子ではなく、男女のコバネイナゴ

親子ではなく、男女のコバネイナゴ。よく見るとなかなかに色っぽいひととき。そうかんがえるともはやおんぶには見えず、背中からハグするシーンじゃないかと思わず目を覆いながら指の間から凝視してしまいます。

「ねーなんでおんぶしてるのー?」というこどもの質問への答え方には多少技量が必要。ま、でも、愛のある風景は美しいものですね。

 

有機農家さんのナス畑にいた、クロメンガタスズメという蛾の幼虫

ハッとするような蛍光緑ですよね。これは有機農家さんのナス畑にいた、クロメンガタスズメという蛾の幼虫。とても大きくて重量感があります。これだけ派手だと他の生きものに食われる危険は減りそうですが、人間の目にはついちゃう。けっこうな害虫だから、見つけると「テデトール」を施しているとのこと。手でとーる。笑。これが手に乗せられる人がいると無性に嬉しい。“虫友”になれますから。

 

アケビコノハという蛾の幼虫

こっちはアケビコノハという蛾の幼虫。いやあ、見つけるとやっぱりドキッとしますね。本人も必死で擬態しているのだと思います。「大丈夫、ちゃんと目に見えるよ」と声をかけてあげることにしています。

娘のマメは夏休みの自由研究で蝶の研究をしていましたが、わたしは蛾もわりと好きです。(以前チャドクガの幼虫にやられて腕全体がただれてから、あの集団だけはまったく苦手だけど!)

 

フンコロガシ

南房総を訪れたとき、「わあ、フンコロガシ!」と興奮していた女友達がいました。よほど好きなのでしょう。似て非なるもので、これはセンチコガネです。

糞を食べる糞虫ではありますが、糞を転がしたりはしないみたい。丸っこくてとてもかわいらしく乙女心をくすぐるので、おセンチなコガネムシという意味かと思ったら、「雪隠(せっちん)=トイレ」がセンチになったそうな。この地域は酪農が盛んなので、豊富に餌があるんでしょう。見かけると思わず手に載せてしまうけれど、うーん、糞食べてるんだよなあ。

 

虫以外の生きものも、今ならギリギリ会えます。
これ以上寒くなると見られなくなっちゃうから、つかぬ間の逢瀬を楽しみます。

ヒキガエル

草刈りをしていると、のたのたと出てくるんですよ。切っちゃうよ!危ないったらない。間違えて切ってしまうことがあり、そうすると後悔で寝つきが悪くなります。なぜかヒキガエルは表情が人間臭くて、ひょっとしたらわりと頭がいいのではないか?と思っていたら、やっぱり記憶力がよくて賢いらしい。同じ地点で餌をやっていると、毎夜来るようになるらしい。ただ、昨日来た個体が今日来た個体と同じだということを確認するのが難しそうだな。笑。

 

カナヘビ

かわいいなあ。カナヘビです。ヘビというけれど足があるやつ。人間に捕まっちゃうなんてわりとのんびりしていますね。この子たちの寿命は小さいのに7年~10年なんですって!この子はいったい何歳だろう。飼ってみたいなあ。(リリースしましたけどね)
野に出れば生きものに逢える秋は、やはり里山がいちばん面白い季節かもしれません。

毎日南房総にいられないからこうしてやたらと生きものに目がいくのかな、毎日だったら感覚が麻痺してくるかな、と思っていましたが、いやいやそんなことはない。ずっと住んでおられる農家の方が、野良仕事の合間に生きものを見つけては愛でている姿を目にします。

農的生活では、確かに「人間」と会う機会は少ないです。
でも、「人間以外」とたくさん会い、心を動かされる時、完全に人間しか相手にしていない社会生活での些末なあれこれが吹き飛びます。

生まれて食って闘って子を残して死ぬ。
シンプルなもんです。シンプルイズベスト。
その内容を最大限膨張して生きている人間だって、まあそぎ落とせばそれが骨格です。今自分が抱える大小さまざまな悩みは、それのどこの部分に関する不安なんだろうなと整理もできます。

野良ノマドワーカー。たまにキーボードの上に虫が乗ってきて、去っていきます。

急務も野良で。たまにキーボードの上に虫が乗ってきて、去っていきます。

ジャポニカ学習帳の表紙から虫が消えた、という話題に、みなさんもどこかで触れたことがあるかと思います。虫が苦手な人にとっては、表紙が虫というのは耐えがたい苦痛なのでしょう。

わたしはたまたま、本当にたまたま、虫が好きです。
虫、と限ったことでもなく、生きものの類はだいたい興味深く見入ります。
ただ、もし自分が、好きでないものを「好きじゃないなんておかしい」と言われたらけっこう参るだろうなと思うので、もちろん他者に虫好きを強要しません。以前娘に注意もされてますしね!

それでもいますよ。ちょっと苦手なもの。ゴキブリとか。
でも、ゴキブリってコオロギととてもよく似ていませんか?コオロギを見つけても不快感はありませんが、ゴキブリには迷いなく「キャー!」です。これもおかしなことかもしれないなあと思い直し、ゴキブリに対しても冷静な心でいるように努めている最中です。好きじゃないけど、見つけた時にヒステリックに叫ぶのはやめよう、と。

生きものがまわりにあまりいない都市生活では、自分と違うもの(=ペットみたいに人間に従属していない生きもの)がいることに慣れるのは難しいです。一方で、体や心が受け付け難い生きものがまわりにいーっぱいいる環境では、相手との距離の測りかたを考えるようになります。

嫌なものだけど、いる。
嫌でも好きでもない。
こっちは好きだけど、むこうはこっちが嫌い。(←生きもの好きの人間だからって虫には好かれませんから笑)

地球は、自分が大好きなものだけでできているわけではないですからね。それもお互いさまです。
自分が嫌いなものを視界から消すのではなく、嫌いだけど嫌いなまま共存する。そのうち慣れる。ちょっと相手を理解するようになる。嫌だけど。
そんな感覚が、田舎暮らしではぼちぼちつくようになる気がします。

ところで、さっきのコオロギですが、ゴキブリに似てても鳴き声は本当に美しいです。抑揚があって震えるような、リリリリリリン、という声。代表的な秋の虫の声です。実はわたし、コオロギもあまり得意ではないんですが、暗闇ではうっとりできるんだから、日中見かけたらちゃんと愛でてみることにします。

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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