今年も残すところあと数日。
べつに、昨日の次は今日、今日の次は明日で変わらないはずなのに、今年が終わるよー来年が来ちゃうよーってだけで本当に落ち着きませんね。そしてじっさい忙しい。
そんな年末年始感をさらに際立たせるものといえば、やっぱり、みかんじゃないでしょうか!いい加減な昼ご飯で済ませても、みかんは食べる。ぜんぜん終わらない仕事をしながら、みかんを食べる。クリスマスオーナメントの脇にみかん。年賀状の脇にもみかん。
みなさん、毎日みかん食べてますか?
昔からみかんを愛してやまないわたしは、冬休みになると起きてから寝るまでずっとみかんを食べていました。食べ過ぎると手のひらが黄色くなるよ、と言われ、本当に黄色くなるのが楽しくて。今でもお米とみかんは切らしません。
ところが近年、みかんの消費量がぐいぐい減っているとのこと。1980年頃から比べてなんと今は3分の1!果物消費ランキングのナンバーワンといえば不動のみかんだったのに、2004年以降はその座をバナナに明け渡しているそうです。
理由は、「家からコタツが消えたから」。
コタツに入る→もう動きたくない→箱買いみかんに手を伸ばす→無意識に食べ続ける、という典型的な日本の冬が失われてるということらしいですが……うち、昔から実家にコタツなかったけど、みかんは食べてたな。
もうひとつの理由は、「剥くのがめんどくさいから」。
手で剥けるだけで御の字なのに!文旦なんてすごく美味しいけどすごくめんどうだぞ!笑。それでも、みかんを剥くと手が汚れるのが気になる人もいるとか。だとすれば皮をむかなくていいぶどうとか、カットされたパインとか、いちごも人気でしょうね。
時代は楽なほうに、きれい好きなほうに流れてゆきますね。
さて、南房総の我が家には、みかんの木があります。コタツもあります。よって、すごくたくさんみかんを消費します。さむーい夜の幸せは、みかんとコタツ。ああ昔の典型。
そして今年はどうやらみかんの当たり年みたい。去年は不作で、一昨年は豊作。隔年で豊作なんですよね。
うちにはほんの1本の木しかありませんが、家族が食べる分くらいはあります。
おお、いよいよ色づいてきたな、でももう1週待てばもっと甘くなるかな、なんてホクホクしていると、いけません。実はこのみかん、他に狙ってるヤツがいます。
さて今週は食べ頃かなと思えば、
やられちゃってるー!
よくもまあ食べ散らかしてくれたなあ。
多分ハクビシンだと思います。きれいに剥いて、中の皮も食べて、えらいもんだ。でも途中でめんどくさくなると汁だけ吸ってる。笑。
ハクビシンのずるいのは、木に登るのが苦じゃないということ。
こっちも脚立や高枝切りバサミなど文明の利器を駆使して、上の方になっている熟したみかんにリーチしようとするですが、本当に高いところの実を獲りきるには至りません。(そしてうちの高枝切りバサミ壊れてるし。)
みかんを剥くのがめんどくさいという人、みかんを獲るところからやってみてから言ってよね!
娘のマメがぴょんぴょん飛んで手に届くみかんを食べているのを見ながら「あーあ、あのいい色のやつ食べたいけど届かないなー。動物にくれてやるしかないかなー」とぼんやり立ち尽くしていましたら、近所の小出さんがやってきました。
「おーお。みかん食ってんのか。高いところのみかんの獲り方、知ってるか?」
高枝切りバサミですよね、知ってますが壊れてます、と言おうとしたら、小出さんはやおらそのへんの高い竹をパサッと伐って持ってきました。なんだなんだ?
「まずは、こうやって枝を落とす」。
鉈で枝の根本にカンカンカンと切り目を入れ、逆から背でストッと叩くと、ほとんど力を使わずに枝が落ちます。
「やってみたい!」
暇を持て余していたマメは、いい遊びがやってきたぞとばかりに小出さんに駆け寄ります。鉈の重さはよく知っているから、落ち着いて、習うようにやってみる。
はじめはうまくいきませんが、ちょっとやっているとコツがつかめてきます。
しかし見ているとまどろっこしい。小出さんみたいに小気味よくはいきません。「角度がちがうよ」とか「もっと勢いよく」と思わず口を出しますが、自分がやってみたらほぼマメレベルで何も言えなくなりました。笑。
「次はよぅ、先っぽに切り込みを入れる。で、端っきれを挟む」。
この棒をよっこらせと持ち上げて、いちばん色のよさそうなみかんの枝にめがけて、ぐぃーーーんと伸ばしていきます。
「いいか、こうしてみかんの枝を挟んだら、棒をくるくるくるくる回す。そうすっと、枝がちぎれるってわけだ」。
すごいゲットできた!
絶対に獲れないと思っていた、熟したみかんが手元にぽとん。嬉しい。
UFOキャッチャーで豪華な景品がとれた時の感動ってこんなかなあ!
みかんの枝はよくしなるので、ずいぶんしつこくくるくるくるくる回さないと切れないそうですが、柿などはすぐにとれるとのこと。
昔は高枝切りバサミなんかなかったわけで、そこらへんのものを使って工夫をしていたんですね。それにしても、そらへんに「あるもの」が「使える」というのは何と気持ちのいいことか!大きな機具を揃えないとみかんが獲れない、というのはよく考えたら割りに合わない話だということにも気づきます。
知恵と工夫とちょっとしたスキルと、鉈が1本、あればいいのだね。
そばでソワソワしていたマメは、「わたしもできる?」とその棒を渡してもらいます。どうしても獲りたいという甘そうなやつは、身長の2.5倍くらい高いところにある。それを狙うらしい。
うまく枝を挟み、くるくるくるくる。
すると、ぱりっ、というかんじで重い実をつけたかたまりが枝先から離れました。
小さい娘、たったひとりの力で、ちゃんと獲れた。
すごいねえ。
面白いねえ。
この作業がめっぽう気に入ってしまったマメは、「ママはあっちで草刈りやってていいから。その間にみかんたくさん獲っておくから」と、わたしを突き放しました。ちょっかいを出そうとする母親がうざかったのでしょう。いつもは「また草刈りなんてつまんなーい」と腰巾着なのにね。
こういう経験が重なると、「できない」じゃなくて「どうすればできる?」とか「できるはず!」が増えていく気がします。それは、ここにないものを外から持ってくるだけでなく、“今あるものの中でどうにかしていく”ということ。そうして、けっこうどんなところでも生きられるなという自信がつくと、心が軽くなる!モノやお金や社会的立場なんかで自分をがちがちにかためなくても、不安ではなくなる気がします。
ちっさな畑があればとりあえず食えるし、竹があればみかんがとれるし、とりあえず大丈夫そうじゃない?って。
わたしたちがこどもに残せるのは、そうした“不安を解除する経験”くらいかもしれません。
さて。
今年も、年間24回もわたしの南房総与太話にお付き合いいただき、ありがとうございました!
世界旅行のような刺激もなければ、息を飲むような事件もなく、ただ東京と南房総を往復するのどかな暮らしなわけですが、そうはいっても鮮やかな日々でした。それほどたくさんはありませんが、大事な出会いがいくつもありました。昔から付き合いがありながらも、ぐいっと深まったものもありました。それらの多くは、南房総をめぐる出来事の中にある気がします。
来年はどんな年になるかなあ。
またここで、二地域居住のいいコトも悪いコトも、うだうだとお伝えしようと思います。
残念ながらこのコラムにはハウツー記事はあまりないですけど、一緒にうだうだしたくなったらぜひ訪問して、みかん食べながら読んでください!
みなさま、よいお年を。