GW終わりましたね。
SNSのタイムラインは押しなべてとても華やかでした。あそこに行った!ここに泊まった!誰それたちと一緒です♡と初夏の日差しのようにキラキラしていて。みなさんも楽しい大型連休、だったかと思います。
わたし自身は、高速の渋滞地獄だけにはハマるまい、とうまいこと時間を選びつつ、南房総の家と東京の家を行ったり来たりして過ごしていました。(なんだいつもと同じじゃないか!笑。)
友達はみーんな旅行行ってるのに~云々と抜かすこどもたち。「見なさい、海沿いの渋滞を。里山の自然を求めてみーんなわざわざ南房総に来ているんだよ。うちだって、これは旅行っちゃ旅行です。この古い家だって旅館っちゃ旅館です」と突然旅行者気分を強制しましたが、あんまりうまくいきませんでした。目先を変えるためにこんど浴衣と卓球台でも用意しとくか!
さて。
そんな中でここのところ変化があるとしたら、たまーに“単身で”南房総の家に泊まるようになった、ということです。
……それの何が特別なんだっけ?と思う方もいると思いますが、実はこれまでわたしは、南房総の家にひとりで泊まったことがありませんでした。どれだけ長いコト家族にまみれっぱなしで暮らしていたんだろう?というかんじです。
もちろん、必要に迫られてそうなるんですけどね。南房総で連日仕事がある場合や、やるべきことがありすぎて家族の予定の合うタイミングが待てない場合など。
この間までおんぶやだっこで両手の空くことなどなかったのに、こどもたちが小中高と大きくなってきたため「ママがいないとにっちもさっちも!」という風でもなくなってきたのです。ちょっと自由で、ちょっと寂しく、ちょっと戸惑うこの感覚。
喉から手が出るほど欲しかったひとりの時間ですが、いざ本当にひとりで家で過ごしてみると想像とだいぶ違う。いつの間にか“誰かの世話”以外の過ごし方がヘタになっちまったなー、と気がついちゃった次第。
日中はいいのです。野良仕事に集中できるし。
「お昼つくろうよ~」「草刈りやめてこっちきて~」「海行きたい~」といちいちチャチャが入ることもなく、自分の体力の続く限り作業をしていられます。なんてテンポよく進むんだろう!と、感動。いつもなんてテンポよく進んでいなかったんだろう!ってことです。
で、たまにカエルだの虫だの見つけると嬉しくなって中断し、かわえぇ~~~と観察しながら「ねえ!見てほらこのアワアワのやつ!」と声をかけようにも、
……あ、そうだ。
誰もいないんだっけ。
このところだいぶ日が長くなり、日差しがオレンジ色に傾いてくると、まともに体を動かしたせいでくったり疲れてきます。
はァ~~、もう家にあがろう。
って、そうか!!!
もう1日の予定がないんだっけ!!!
自分だけの食事なんて気張ってつくる必要もなし、ってことは、わたしこれから夜の夜中まで完全にフリー!!!
出張の宿でひとりきりの時はありますが、そんな時は大抵夜まで予定が入っています。家にいながらひとりきりの夜を過ごすなんて、それこそ息子を生んで以来、17年ぶりです。
何すればいいんだっけ。
弱い風が頬を撫で、夕方からめっきり元気になったカエルの声がうわんうわんうわんと聞こえます。
いつもだったら家族でその日にあったことをしゃべったり、夕飯を何にしようかしゃべったり、明日は何をしようかしゃべったり、ほとんどしゃべってばっかり。写真では「くつろげますねえ、ゆったりした時間が流れていますねえ」と見えますが、実際はとってもやかましいのです!
ところがひとりになると、本当に、静かです。「ああ、人の少ないところにこの家はあり、自然の中にわたしはいるんだな」ということをことさら強く感じます。
ちょっと新鮮だったのは、いつもだったらこの「自然の中にいる」感じによって癒されるばかりなのですが、ひとりだと、すこし緊張するということ。ほんの数名であっても、人が自分以外にいるのといないのとでは、感覚の研ぎ澄まされ方がまるで違うんですね。都市と違い、環境の中でヒトが完全にアウェイな立場にある、ということは、“身を守らねばならない”という本能が発動することだったのだと、今さらながら感じます。我が家は山の中腹にぽつんと建っていますから、なおのこと孤立感は強いです。
この日は、むしろその感覚を味わいたくて、ほとんどスマホを見ることもなく、パソコンも開かずにいました。脳味噌の方が人間関係につながりっぱなしだと、体の置かれている状況をちゃんと受け止めることができない気がして。
夜になり、外に出ました。
田んぼのある方まで下りていくと、カエルの鳴き声はますます賑やかに。
というか、思考が難しくなるレベル!笑。
面白いことに、カエルの声があるとすごく安心します。水の張られた田んぼの中に、カエルにとっての都市的集合空間があるんだなあと思うと、「お互い棲み分けつつ幸せにやりたいね」と思えてくるのです。
ところが、藪の中でガサガサと音がすると、ひやっとすくむような感覚に襲われます。
イノシシだな?
柵は張り巡らしているけれどまさかこっちに来ないよね?と。
丸腰のヒトは、隙だらけの弱い生きものです。だからこそまとまって住み、堅牢な家をつくり、人間本位の環境を押し広げ、安心感を得てきたプロセスが体感で分かる気がしました。挙句、まるでほかの生きものなど世界に存在しないかのように人間だけがまわりにいて、外敵を意識することもなく暮らせる都市環境ができたわけだけどね。
都市と田舎を行き来して暮らしていると、ただでさえ2つの環境のコントラストを強く感じるわけですが、そんななかでこうしてひとりで自然と向き合うことがあると、ヒトの弱さや、知恵や、驕りや、向かうべき未来が、いつもよりクリアに見えてくるような気がします。
と、こんなひとりの日もあれば。
GW中には、それこそ賑やかな日もありました。
パーティでもしたかって?
いやいやいや。ヒトが集まるのは、珍しくない。
この日来たのはこの子たちです。
以前このコラムでも触れた馬森牧場から、親子のポニーが我が家に来てくれました。
牧場主の菅野さんに「もし長いコト馬と一緒にいたいのなら、おうちで預かってもらうこともできますよ」と提案していただいたのです。幸い我が家には馬の好きな草がそこらじゅうにわさわさ生えているためエサに困らないし、うちにとっては草刈りがわりになるし(やったー!)、お互い悪くないんじゃない?ということで、『お試し週末馬暮らし』です。
馬は“群れ”に依存するため、2頭一緒にいることが大事だそうです。群れと草があれば、ところかわってもストレスなく過ごせるとのこと。初めて来た場所のわりには穏やかに過ごしていました。
人間の方が心が躍っちゃって。
驚いたのはうちのネコたち!
実はこの日の朝、わたしたちは野ウサギの断末魔で目が覚めました。うちのクロが捕まえちゃったのです。南房総にいると野生に戻ってハンターと化すわけです。その後見てみると、部屋のすみっこに、餌食になった野ウサギと野ネズミがぺたっと置いてありました。人間に献上してくれたんでしょうけれど、やれやれです。
ま、でも、ネコらがそんなふうに強気でいられたのも束の間。
突如現れた馬には相当驚いてかたまっていました。笑。
はじめはものすごーく遠くから見ていましたが、好奇心が抑えられず、ちょっと近づいたり。
午後は、うちにポニーがいることを知った近くの友人らが訪ねてきて、彼らの犬も一緒に来て、なんだか動物だらけ。
こどもたちも大人たちも、馬とともにいる時間をゆったりと味わっていました。
昔は、農家には使役馬がいるのは当たり前で、牛も数頭いて、そうして家族で農業を営んでいれば、こどもが2人いる家族を養えたといいます。草は餌となり、糞は肥料となり、ヒトも動物もみんなで働いて環境がまわっていた、という時代。しかもそれほど昔ではなく、おじいちゃんのこどもの頃くらいですから、手に届くような近過去です。
それから世界はだいぶ変わりました。
でも、ヒトと動物が一緒にいる状態は、やはりいいものだなと思いました。
多様性が凝縮された南房総暮らしで、いろんなものとつながったり、離れたり。
自分と世界との距離感を、さまざまな角度から確かめる日々です。