ここのところ毎日、ちゃんと梅雨ですね。
雨、曇、雨、曇、雨……
湿度が満ち満ちて、空気中で泳げそうな日々。いかがお過ごしですか?
わたしは東京にいる平日も南房総が気になっております。
きっとカビてるよな、畳。
まあ考えてもカビるものはカビるので、次に行く時にはアルコールスプレーを持参するのを忘れないようにするのみ。家に入るやいなや、家全体にアルコールしゅっしゅしてカビを拭き取る。ある意味、季節行事ですね。
ともかく、心にまでカビが生えないようにしよう。
仕事に出かけるときにふと見れば、庭に置いた鉢からネジバナが。
南房総で育てていた植物の鉢を東京に持ち帰ったとき、知らないうちにまぎれて持ち帰ってしまったんでしょう。南房総では、雑草ですから。
ねじねじねじねじと花をつける姿が本当にかわいらしい。こんなものを見るだけでも、この季節はほっとします。じめじめだけど、ねじねじだし、梅雨もアリだな。とね。
さて、最近ではお会いする仕事関係の方から、別れ際に「これから南房総にお戻りですか?」と聞かれることの多いわたくし。いやいや平日は東京の家にいますよと苦笑しながら、もし南房総の暮らしがなかったら今頃、わたしどうしていたんだろうなあと、考えることがあります。
人生って、不思議ですね。
二地域居住なんてまだ一般的には変人生活の域なのに、わたしにとっては、これが普通。
で、なぜこの暮らし方が始まったかといえば、長男の小さい頃「自然の中で子育てがしたい」と思ったことが動機だったわけですが、もっともーっと遠い記憶を手繰り寄せてみたとき、ふと思い出したんです。
始めたきっかけではなく、「始められた」きっかけを。
それは、わたしが小学生に入るより前からの、家族の恒例行事だったかと思います。
父親の親友夫妻が毎年、つくしの生える時期になると、御殿場にあるセカンドハウスにわたしたち家族を招いてくれていました。大勢のオトナたちはどうやら大学時代の同級生だったようで、ずっと笑い合っていたような音の記憶があります。奥さんたちは庭(というかモサモサした草むら)にある野草やつくしを摘み、野菜を収穫して、おしゃべりしながらどんどん料理していました。1年に1度だけその場所で逢うこどもたちは、最初はぎこちないのですがすぐに打ち解けて、どこまでが敷地なのか分からない広い野原を駆け巡ったり、シロツメクサで冠をつくったりして遊んだり。そうするうちにすぐ日が暮れてしまい、帰る時間なんて来なければいいのに、と時計をちらちら見ていた覚えがあります。
わたしはマンション生まれ、マンション育ちだったので、「野草を摘んで食べる」という風景がとても珍しいものに見えました。こどもには難しい味よ、と言われながら差し出された小皿から、1本だけつくしの和え物をつまんで、「美味しい」と言ってみたり。粉っぽくてほろ苦いけれど、大人になったら、これを本当に美味しいと思えるようになるんだろうな、と想像しました。
また、1つしかないトイレに人が並ぶと、「遠くでするから食材には影響ないよ!」と笑いながらむこうの方でおじさんが用を足していて、それがとってもかっこよかったのも覚えています。ああ、大らかで、楽しくて、大事なコトが日常と違う場所だなあ!と。
ご主人が建築家だったので、家はご自身の設計。はじめはごく小さな小屋だったのが、増築を重ねていき、野外と室内をつなげてどんどん暮らしを広げている様子がこどもにも分かりました。(そして、本当に本当に素敵な、モダンな木造住宅でした。)夫妻はここで農作業などを楽しんでいたようで、草がぼうぼうに生えた畑から野菜を引っこ抜いて「無農薬だから」と嬉しそうに持ってきていた姿を覚えています。
そして、オトナたちの会話から、この家は彼らが毎週末暮らすためのもうひとつの家、「セカンドハウス」と呼ばれるものだということを知りました。
わたしにとって御殿場は、たまに行く遠い旅行先でした。「夜は冷えるかしら」「長靴もいるかな」などと両親がバタバタ支度をし、長いドライブで疲れた妹とわたしは車の後部座席でくぅくぅ寝てしまって「着いたよ」と起こされるとたいへん深い自然の中でしたから、きっととんでもなく遠くに連れてこられているんだと思っていました。そして、御殿場に“毎週末”通うなんて、一体どんな生活だろう、とこどもながらに不思議に思っていました。
でも実際は、都内から御殿場までは車で2時間もかからない距離だったのです。
彼らの行き来は、きっと、こどものわたしが思うほど大変ではなかったのかもしれません。
時が経ち。
なんと、自分も、週末田舎暮らしをするようになっています。
動機も場所も暮らし全体の風情も、彼らとはまるっきり違うんですけどね。笑。
これまであえてことばにする機会がなかったのですが、この「御殿場で週末田舎暮らしをしていた夫婦」の存在はわたしの心に深くとどまっていて、わたしが二地域居住に踏み切ることができたのは彼らのおかげなんじゃないかな、と、今改めて振り返っています。
「そんな大変そうな暮らし、できないんじゃない?」「続かないんじゃない?」という人が100人いたところで、それらはすべて憶測の声でしかない。わたしはこの目で「そんな大変そうな暮らしを、楽しそうに何十年も続けていた夫婦」を実際に見ていましたから。
……野菜や野草や雑草がぼうぼうと育つ環境が、とんでもなく素敵なものに見えたあの記憶。
……「ここは別荘じゃなくて、セカンドハウス」とおじさんから教えてもらったとき、“セカンドハウス”という言葉の響きにきゅんとしたあの記憶。
……「獲れたては美味いな」「でも今年は不作でね」という農的な会話と、「今後の建築界はこうなる、ああなる」といった議論が織り交ざって聞こえてきて、濃密なオトナの人生をのぞき見たようでちょっとワクワクした記憶。
……友人たちとのにぎやかなひととき以外は、自然と静かに向き合う豊かな週末をいつも過ごしているんだろうなあ、きっと心に栄養が行きわたるような時間なんだろうなあと、こどもながらにうっとり想像した記憶。
たった1年に1度だけ、中学生くらいまで呼ばれていた知り合いの家の、断片的な記憶でしかありません。でも、たまたま彼らと同じ方向の暮らしをつくろうとしたわたしにとっては、ものごとをポジティブに判断する潜在的な力になったような気がしています。
前例をリアルに知る、というのは、大きいことですね。
たとえば、赤の他人同士で一緒に暮らす「結婚」なんて、想像するだけで苦労やリスクがいくらでも見つかりますが、周りを見ればみんななんとかなってそうだし、まあ自分もやれないことはないかなと思えたり。出産だってそうです。あんな大きいものを痛い思いをして産むなんてとんでもない!と恐ろしい想像しかできませんが、すべての人間はそうやって産まれてきたんだから、まあ自分にもできるかなと思えたり。笑。
二地域居住にしても、同じでしょうね。
高校時代の親友3人のうち2人が房総半島にてそれぞれ二地域居住をしているのも、ひょっとしたらわたしの暮らしっぷりを見て「ばーちゃん(昔のあだ名)がやれるならわたしも」と思われたからかもしれません。
こどものころ垣間見た御殿場のセカンドハウスライフが、「二地域居住は、できる」という確信の種になったように、うちに遊びにくるこどもの友達が大きくなって田舎暮らしをしたいなと思ったとき「昔、友達の古い田舎のおうちでごろごろしたな。小川で魚をすくって獲ったりしたな。週末田舎暮らしって、できるんだよな」と、ふと思う種になってくれたら嬉しいなと思います。