完璧な夏になりました!
大好きな季節です。
平日も仕事しながらずっと南房総のことを考えるような季節です。
日中は海も山もキラキラと色鮮やかに光り、朝晩はすうっと涼しく、冷房などいちどもつけなくても、扇風機とスイカがあれば快適に過ごせます。
夏は、南房総にひとがいっぱい集まってきます。
やっぱり夏が得意なエリアですから。
わたしたち家族もこの地に家があることを最大限活用して海や川でよく遊びますが、じつは、この時期は、家に引きこもっていても充分満たされます。風通しがよくて、農作業をしたあとに体の疲れをとるのには暗めな室内が心地よく、夏に適したつくりなのです。
外では、8月前半くらいまで、伸び続ける草や竹との闘いは続いています。
刈払い作業をうんとがんばり、ようやく家に入るときの幸せなこと!最初は体が火照って仕方なく、窓辺でフウフウ。そのうち汗がひき、呼吸が整ってくると、ふわりと肌をなでる風とチラチラした木漏れ日、虫や鳥の声が、もうほんとうに半分白目になりそうなほど気持ちがよくて。
……ただし。
このような過ごし方が「最高」なのは、オトナだけ。
わかりますよね?
こどもにとっては、何もしないで半白目で風にあたるなんてただの退屈でしかありませんよ、そりゃもう。「ねーつまんなーい、どっか行こうよー、ねえ遠出しようよー」とTシャツの裾にぶら下がってきます。南房総に来ていること自体が遠出なんだからもういいだろう!という理屈は通用せず。
だってねえ、生まれたときから毎週末いる家だもの、こんなに気持ちいいのも当たり前なんだよねえ。感覚が贅沢すぎてなんだか腹が立ちます。わたしも毎週通ってるけど、オトナになってから始めた暮らしだからこれが当たり前とは思えず、毎回、特別な気持ちになれるんですけどね。
で、そうやってこどもたちにぶら下がられると、作業もはかどらない!
こどもたちに付き合いたいけど、作業もしたいし、作業しないでこどもたちに付き合うと敷地が荒れ果てるし、でもこどもたちに付き合いたいし……という無限ループに陥るわけです。
でもね、だてに11年も二地域居住やってません。
このループから脱する良き方法が、ひとつあります。
それは、「こどもの友達を連れて行く」こと!
たいした発明でもないですかね。笑。
でもね、この、親の都合でこどもの友達を呼ぶという腹黒い企画には、いくつかポイントがあるんです。
まず、長期休暇にドカンと友達を呼ぶんじゃなくて、週末にちょいちょい来てもらう、ということ。学校帰りに遊ぶような気軽さで、「ちょっと南房総に泊まってかない?」と。夏休みなどだと、こどもたちも「行くぞー!」「遊ぶぞー!」といろいろ気合いが入り、必然的に親への要求が増えます。ところが週末に転がり込んできたようなお泊り企画だと、「泊まれるだけで嬉しい……」となる。笑。
もうひとつのポイントは、呼ぶ人数を限ること。1人とか、せいぜい2人とか。人数が増えるとそれなりに仕切る規模も大きくなりますからね。腹黒い親としては、友達に来てもらうと「子どもたちが喜ぶわ!」という気持ちと同じくらい「子らは楽しいし、親は働く時間を確保できる」を目的としていますから、まるっとコンパクトに面倒が見られる状態におさめます。
さらにポイントがあるとすれば、こどもたちが「やりたい!」と思うことを全部叶えない、ということ。「今回はここまで。あとは次回のお楽しみ」としておくと、その時は「え~~いいじゃーん」とぶうぶう言われますが、次にまた遊ぶきっかけにもなります。
いっぺんにお腹いっぱいにしないで、お楽しみは小出しに。ふふふ。
と、いうわけで。
直前にお声がけしたにもかかわらず来てくれた友達がいた週末は、娘にとって、本当に楽しいものとなるわけです。
夜、家に到着しただけで嬉しくて仕方ないこどもたち。
普段だったらもうとっくに寝ている時間でしたが、「ちょっと、デッキに出る?」と投げかけてみたら、眠気0パーセントのキラッキラした顔で飛び出します。
何をするわけでもなく、カルピスを飲みながらおしゃべりします。
彼女たちの話題は、“末っ子の苦しみについて”。こどものたくさんいる家族に育った2人ですから、話が合います。
「あれ持ってきて、あれ伝えてきて、ってみんなわたしに頼むんだよ」
「そうそう!自分は忙しいってやらないくせにね!あとすぐ威張るし」
「感じ悪いんだよね!自分だって昔は3年生だったのに、バカにするんだよね」
まるで上司の悪口を言うOLです。笑わないで聞いているのが苦しい……
夜空って、本音を引き出す力があるんでしょうか。
「将来は兄妹とじゃなくて、ふたりで住もうよ!」
「そうしようよ!ナントカちゃんとナントカちゃんも一緒に、シェアハウスに住もうよ!」
……明けて、雨上がりの朝。
だいぶ早くから起きて、デッキで笑い転げている2人を確認。
お布団や朝食の片付けはこどもたちと一緒に行い、ついでに「ここでは朝の修業があります」とか適当なことを言って、みんなで竹刈りも。娘だけ誘うときはぜんぜん気乗りしないくせに、友達と一緒だと「修行けっこう楽しい!」とかいって盛り上がります。
その後は別行動にうつります。
「ママはこれから、草刈りと植物の世話をしてくるからね」
「はーい!ずっとやってていいよー」
こどもたちはプールに水を満たし、わたしは刈り払い機に混合油を満たし、お互いのびのびとやりたいことをすすめられる嬉しさよ!
途中で邪魔されることなく集中して作業をし、途中で油を継ぎ足しに戻ると、幼稚園の頃と遊び方が変わらないんじゃない?という風情で水を飛ばし合っている姿が。
友達の力はすごいんですよね。
女の子の場合は、特に。
息子が小さい頃は、ひとりでどんどん遊んでいて、飽きる気配がありませんでした。「誰といるか」より「何をするか」が大事。親がいて嬉しいのは、できることの範囲が広がるから。友達がいたら嬉しいけど、いなくても充分楽しんでいましたし、来た友達も、「釣りが好き」「虫が好き」と目的が友達関係以外にある場合が多かったです。
女の子はまったく違って、ひとり友達がいるだけで幸せ度が100000倍くらい上がります。もう、これは親には与えられるような類のものではないです。
それにしてもいつまでプールで遊んでいるんだろうなとまた覗くと、あれ?
もういません。
「ママ!畑の脇の水たまりに何がいるか探してくる!」
一緒にいる友達が生きもの好きだと、娘も本領発揮です。
実は、息子と同じくらい生きものが好きな娘。東京では、なかなか友達と一緒に網を持ってでかけることなどできません。いや、できるのかもしれないけれど、環境的にやる気にならないのかな。
帰ってきた2人の足取りは、ほとんどスキップでした。
自分のペースでガンガン働くことのできたわたしは、働きすぎてくたびれてしまって昼ご飯をつくる気力が残っておらず、その日に開催していた館山の北条海岸ビーチマーケットに行って済ませることに。
クレープひとつで、幸せになれる人たちですから。
こうして、あっという間に帰りの時間になり、充実のひとときを噛みしめながら東京へ。
「こんどは馬に乗ろうよ」
「乗りたい!」
「あと、山にものぼろうよ」
「のぼりたい!」
「あと、川にも行こうよ」
「行きたい!」
「星の観察もしてない!」
「したい!」
「トウモロコシ狩りも、いちご狩りもしたいよね!」
「したい!」
これをひとつひとつこなしていったら、あっという間に小学校卒業だね……
友達のお母さんからは「お泊りさせてもらって、本当にありがとう!!」と言われますが、なんのなんの。「こちらこそほんとーーーーうにありがとう!!」は、社交辞令ではなく、本音ですから。
南房総が、こどもの友達みんなの「自分の田舎」になりますよう。