暮らし術

この記事を書いている本日、東京の最高気温が37度です。
冷房したってそこはかとなく暑い。外は体温以上。部活に出かける娘や息子は、玄関から出てこの外気を吸うと、「生きて帰れるか分からない」と言って出かけました。息を吸っても吸っても苦しいとはこのことだね。

そんなもんだから、普段の8割くらいのスピードでしか体が動きません。
「あぢー」とか言いながらとりあえずアイスコーヒーをひとくち。
……ふぅ。
あーーー。

……やんなきゃなあ。今日こなすべきことは、ええと。
なにからだっけ……。
ぼーーー。

ったくどうしようもないな。昔のパソコンみたいに起動に時間がかかっちまう。
なーんか、なーんにもやりたくないなあ。

思えば、こどもの頃の夏休みも、なーんにもしませんでした。果てしなくぐでぐでするのが大好きで、「あなたはなんでそんなにのんびりなの」と親からいつも笑われていました。
今は一応オトナですから、普段は社会に適応できるように気張っておりますが、この夏の暑さで持ち前の怠け体質が中からドロッと溶け出てきちゃうのかもしれません。

東京にいる休日はそんなわけで、1日の歩数が1000歩くらいしかないこともざらです。家事をしている以外は、ソファで新聞を読んでいるか、ソファで音楽聞いているか、ソファで本を読んでいるか、そのままソファで寝落ちしているか、起きてもソファでぼーっとしているか。
そろそろお尻からソファが生えてくる気がします。

猫は、ソファより冷たい床が好きみたい。

猫は、ソファより冷たい床が好きみたい。

夏は仕事するのがおかしいんじゃない、2ヶ月休むのがいいよね、あーはかどらないよー、とわたしがウダウダ言っていたら、「やる気スイッチって、どうすれば入るか知ってる?」と、友人に耳打ちされました。

なに?教えて。どうすれば入るの?
最近ぜんぜん入らなくて困ってるんだけど。

「やる気スイッチの入れ方はね、ただひとつ。“やる”ことなんだって」

え~~
なにそれ~~~

やるために入れるスイッチが、やらないと入らないんじゃ、やれないじゃない?

「そう。ともかく始動することが大事。そうすればあとは自動的にやっていける。だからウダウダ考えないで、スイッチを入れる作業だと思って、せーの!でやり始めるんだよ」

せーの!ねえ。

ま、言ってみればアレのイメージかね?
刈払機のエンジンかける時、スターターをブイン!ブイン!と引っぱるかんじ。
たまに50回くらい引っぱってもかからないくてすごく疲れるやつ。
でも、一度かかっちゃえばもう、「やらない」ことは考えないで、ひたすらやるやつ。

 あとは、やるだけだもんな!

あとは、やるだけだもんな!

うちの集落では先週末、草刈りの共同作業がありました。
そろそろお盆ということで、道端の草をみんなできれいに刈って、ご先祖様の霊をお迎えする準備を整えます。

といってもわたしのご先祖様は、ここにはいないんですけどね。笑。

具体的に思い浮かべるのは、すぐご近所のおじいちゃん。昨年秋に亡くなって、初めてここに帰ってこられるんですからね。草刈りしてせいせいした道を通って、順当にすうっとおうちに戻れるといいんだけれど。

その昔、初めて南房総のいまの我が家を「内覧」させてもらった時、鴨居の上にずらっと並んでいた知らない昔の人たちの遺影が、たいそう不気味に感じたことを覚えています。ここにその魂が漂っているかと思うと、怖くって落ち着かなくて、ちゃんとわたしたちに住みこなすことができるだろうかと不安にもなりました。
ところが、よく知るおじいちゃんが亡くなって、その霊をお迎えするとなると、恐怖ではなく懐かしさがこみあげてきます。後ろで手を組んで、ゆっくり歩きながら、戻ってくるのかしら。あ、足はやっぱりないかしら。なんて。

「年寄りはみーんな死んでしまって、今日はこれだけしかいねっぺなあ!」

草刈り人数の少なさを見て、集落の小出さんがそんなことを言って笑ってました。
あはは、と(ここで笑っていいのかしらと思いながらも)思わず笑いながら、死んでいなくなる人がいることも、自分が死ぬことも、ここにいるとそんなに怖く感じないなあ、と思いました。

 今回は全部で5人、40代から60代。

今回は全部で5人、40代から60代。

「こないだ南房総は大雨でしたよね。あの日、このあたりは大丈夫でした?」
1時間に84ミリの雨が降ったとニュースで見て、近くの川が氾濫していないか、被害は出ていないかと心配していたのでみんなに聞いてみましたが、
「さあ、どうだったかなあ。仕事出てていなかったからなあ」
「俺もいないしなあ」
「俺もいないわ。みーんな外で勤めてっから、馬場さんとあんまし変わんねーよ。あはは」

……ああ、そうだったわ!
高齢の方々は毎日ここにいる場合が多いけれど、若い人達は会社勤めで、ここには寝に帰るだけなのでした。あはは。平日に不在なのはわたしばかりと思いきや、「あんまし変わんねーよ」と言われて、なんだかちょっとホッとするな。

 とはいえ、わたしの刈払機の塩梅があまりにもよくなくて「こりゃだめだ、手入れしねーと」と直してもらうことに。ひとりだけ役不足だわ!反省。

とはいえ、わたしの刈払機の塩梅があまりにもよくなくて「こりゃだめだ、手入れしねーと」と直してもらうことに。ひとりだけ役不足だわ!反省。

年に何回か決められている共同作業は、田舎暮らし流のやる気スイッチになっています。「次はお祭りだ」「次は年越しだ」と節目ごとにスイッチを入れると、ちょうど1年がきれいにまわっていく。
そして、外で勤めている人も、週末しかいない人も、共同作業の時にはこうしてみんなで出てきて、みんなで頑張るわけです。時代が移ろい、人々のライフスタイルが少しずつ変わっていっても、集落を維持する方法の骨格はきっとこうしたものでいいんだろうな、と思えます。

 さ、終わった。けーって、まんまだっぺぉ。

さ、終わった。けーって、まんまだっぺぉ。

汗だくになって帰って、その勢いで自分の家のまわりもガーーーッと刈り払って、ガソリンが切れたところで、お昼です。

ランチが自動的に出てくる身分ではないため、最短でできるものだけで。
お素麺、薬味、トマト、おくら、茹で鶏。以上。

 そよっと吹く風とセミの声がトッピングされれば、こんな粗食も不思議と豊かに感じます。

そよっと吹く風とセミの声がトッピングされれば、こんな粗食も不思議と豊かに感じます。

「ね、今日の夜さ、花火大会行ってみない?すぐそこの、岩井の海岸で見られるよ」
「海岸で?今日?うわー行きたい、行きたい行きたい!!」

夏も半ばとなり、お素麺にいい加減飽き果てて、またかよ、と無表情にツルツルやってた娘の顔がぱっと輝きました。

「ママ、ここの片付けわたしがやる。だから早くいろいろお仕事終わらせちゃって。早くおうち出て、花火見ながらつまむもの買おうよ!アイスも!」
「じゃあここはお願いするね。で、おうち出る前にあなたは、ちゃんと宿題やりなさいよ」
「わかったあーー!」

午前中は畳にころがって、そこらに積んである『いぢわるばあさん』をごろごろ読んでぼんやりしていたというのに、突然別人のように張り切り出す娘。
このあとお楽しみがあると分かった途端に、やる気スイッチがブチッと入ったようです。

張り切るだけじゃなくて、楽しいことの前には人格もよくなります。
野良仕事の途中で水分補給に帰った真っ赤な顔のわたしに、「はいそこ座って。これかぶって」と渡してくれました。
キンキンに冷えたフェイスタオルをかぶると、火照っていた肌がすうっとおさまります。冷えた濡れティッシュというナゾのアイテムも腕に乗せてくれます。至れり尽くせり。

 中の人は恍惚なんだけど、外から見るとこんな姿なんだ、、、不気味。

中の人は恍惚なんだけど、外から見るとこんな姿なんだ、、、不気味。

冷たいタオルの下で目をつぶりながら、わたしはぼんやり思っていました。

いろんな夏の過ごし方があるけど、わたしにとっては、これが理想形なんだよなあ。
暑い外でみんなで働いて、草の匂いを嗅いで、汗をかいて、一休みして、いただいたもぎたてのトマトをかじって。日が暮れるとヒグラシがカナカナカナカナと鳴き始めて、暗くなって野良仕事を終えたらほっとして。夜がくるのがまた、楽しみで。

理想形にしちゃ、地味かなあ。
地味なんだろうなあ!!
誰も羨ましがらないよなあきっと。

ゴージャスじゃないし、楽ちんでもないし、とりたてて刺激的ってわけでもないし、至れり尽くせりといっても冷えタオル程度でお店のおしぼりで顔をゴシゴシ拭く気持ちよさの延長くらいだし。(わたしはやりませんよ!)

でも、これこそが、魂が休まる時間なんだよなあ。本当に。
ここが好きだという気持ちが低音でずっと刻まれているような中で、寝たり起きたり働いたりするかんじ。自分の生きる場所に体ごと関わるかんじ。

もし、わたしが死んだら、わたしの魂はやっぱりここに戻ってきちゃうかもしれないなあ。

 西の空の赤みが、闇に飲まれていく間際。

西の空の赤みが、闇に飲まれていく間際。

夕刻の岩井海岸は、花火大会だというのに、思ったような混雑はなくて。
暮れなずむ海は台風の影響で波が高く、ざぶーんざぶーんという音に包まれながら、買ってきた鶏のから揚げと、おいなりさん、ノンアルビールをプシュッとあけて。

こういう花火大会を知ってしまうとね。
感覚が贅沢になっちゃうよね。
すぐそこに、花火のあがる浜がある暮らし。実は何より贅沢だよ。

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半径5m以内に誰もいない砂浜の真ん中に陣取って、海の真上に打ちあがる花火を見上げながら、生きててよかったなあと、つくづく思いました。
生きていると、めんどくさいこともたくさんあるけど、やることもいっぱいあるけど、でもこんな時間が持てて、またがんばろうと思える。
南房総の暮らしは、わたしの人生のやる気スイッチ。

潮風に乗って届く火薬の煙のにおいが、今でもつんと鼻の奥に残っています。

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