2018年。
みなさま、今年もよろしくお願いいたします!
年末に一応の冬支度(つまり裏山の竹刈りと竹燃やし)をして「今年もありがとうございました!」と南房総の家をあとにし、お正月は東京で親族とともに過ごし、その後年初めに「今年もよろしくお願いします!」と南房総の家に行く。今年もそんな流れでした。
本当は南房総で年越しを味わいたいな、初日の出が見たいなとも思いますし、以前はそういう年もありましたが、最近は年老いた父母義父義母との時間を優先した冬休みを過ごしています。
長時間移動が厳しくなった親たちを南房総に呼ぶのは難しくなったので、いつものように、こまごまとしたサテライト南房総を東京へ持ち込むことに。
こうして東京でのんびり過ごすのはぬくぬくと平和で、それはそれで心地いいんですが、3が日を過ぎるくらいから落ち着かなくなってくる。冬なのでタスクもそれほどないはずなのに、南房総に意識が持っていかれるのです。
何で行きたくなるんだっけ?
と、考えても合理的な理由はありません。ただあの空気が吸いたいし、あの風景の中にいたいし、日なたに折り畳み椅子を置いて日光の匂いを身体に浸みこませたい。それだけ。地味臭いモチベーションだな。
二地域居住って魅力的な暮らし方だとは思うんですが、一方でいろいろ不便なことも出てきます。
たとえば、定期的に自然の多い場所に行かないと、どことなく心身の状態が良くなくなってくるとか。
あるいは、時計の針のようにちょっとずつ、でも確実に変化していく四季の表情を見逃すと、人生損した感じがするとか。さらには、スーパーで買い物をするたびに「ああうちの近所の直売所ならもっと安いのに」「ああ今ならあの農家さんの野菜が美味しいのに」といちいち思い出してもどかしくなるとか。
「何かがないと困る」と思うことの少ない人間になる、というのが、実はわたしの人生の裏目標なのにな。
贅沢なものを食べたり着たりしなくても、ゴージャスな旅行に行かなくても、肩書がなくても、夜飲みに行けなくても、まあそれはそれでわたしはわたし。別で満たされりゃええじゃないか。と他者との比べっこから離脱することを志向してきたはず。さらに細かいことでは、ティッシュがなければ葉っぱでいいし、ノリがなければごはん粒、アイブロウがなければ鉛筆、と「なきゃないで何とかなる」と楽しめるタフネスが好きだったはず。
なのに!!
南房総がないと、具体的には困らないのに、生きるのに困っちゃう。
これはある種の中毒症状ですね。参ったな。
実は本質的にはワガママが肥大している気がします。
とはいえ「南房総暮らしがなくても辛くならないように心身を鍛える」という方向も何だか妙だしな。笑。
もうしばらくこの欲求に正直に従うとしよう。
……そんなわけで満を持して迎えた、今年初南房総という日。
老夫婦がいまさらデートでワクワクするような高揚感。
野良仕事に追われることがないのは、冬独特ののどかさです。
集落を縫うように走るワインディングロードを娘のマメと一緒にぽっからぽっから歩いていると、ご近所のお友達2人にばったり。日当たりのいい行き止まりで手押し車に座り、おしゃべりしていました。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「こないだ戌年だと思ったら、また戌年だねえ」
……1年あっという間とは思うけど、12年単位で時の流れの速さを感じるとは!
「マメちゃんもどんどん大きくなるねえ。ひとんちの子はあっという間に大きくなるねえ。何歳だったかしらねえ?」
「9歳です。ねずみ年です」
「あらあ、わたしもよ」
「わたしもねずみ」
「あらあ、ねずみ年の集まりねえ!」
ここにいると、みなさん昔からここにいて、これからもずっといるような気がするし、風景も何もかもずっとずっと変わらない気がしてきます。
でもたとえば、左のおばあちゃんのおうちは、わたしたちがここに来た頃には牛を飼っていましたが、今牛はいません。いつも仲睦まじく連れ添っていたおじいちゃんも、今はおられません。
そのかわりといってはなんですが、わたしはこの方たちと昔よりずっと仲良くさせてもらい、気にし気にされることが増えました。
年始のご挨拶は、久々の方と逢う口実にもなります。
みかん農園の三平さんのところへ、のこのこ伺いました。お父さんの農業を継ぎながら、“これまでのやり方じゃあみかん農家に未来はない”と作業効率を考えた農場改革を進めていた彼が、「今年ようやくその成果が出てきました」と連絡をくれたのです。
いつもは付き合いが悪い中1の娘ポチンも、かっこよくて大好きな彼からのお誘いに「行く!」とついてきました。
かれこれもう、10年近くのお付き合い。
何年がかりという計画を立て、遂行し、結果を出すなんて偉い!立派!
と三平さんを見ると、どうもバツの悪そうな顔をしています。
「ええっと……娘ちゃんに植えてもらった木。あれ、ちょっと」
奥歯にせんべいが1枚くらいはさまったような物言いでもごもご恐縮している彼は、わたしたちを1本のみかんのもとに連れていってくれました。
「これ、4年前でしたよね。じつは枯れちゃって……」
ああ、そういうことか!
4年前。ポチンが小学校3年のとき、夏休みの自由研究で「みかん農園のお仕事」を調べ、ついでに植樹させてもらったことがありまして。
ポチンは、かつて自分が植樹した、そして枯れてしまった木を見て、くつくつと笑いだしました。
「なんか、リアルです!」
三平さんは、戸惑ったような優しい声でポチンに話しかけました。
「これは極早生のみかんで、弱いタイプだったんだよね……それにしても、悲しませるんじゃないかと思って、ずっとドキドキしていて。ナイショで植え替えてしまおうかとも思ったんだけどね。あはは。この木は枯れちゃったけど、それで得た経験が、他の木や、次に植えた木の栽培に生かされているんだよ。失敗した時のほうが問題が明確になるし、学ぶことも多い。だからこの、枯れた木のおかげで今がある、ともいえるんだよ」
「すごい。逆に順調に育っていたというより、興味が湧きます!」
ポチンは生き生きした目でみかん畑を見つめ、三平さんは明らかにほっとしていました。
この娘は、知らないところで彼に変なストレスをずっとかけ続けていたんだな。笑。
収穫時期の終わったみかん畑は、整然とした状態で次の季節を待っていました。多種類の農機が入る幅が考えられた畝間、手の届く高さの果樹、乾期のための潅水システム……それらは試行錯誤の賜物です。
「去年は雨の降らない大風の日があって、塩害で葉が落ちたり、いろいろありました。どんなに考え尽くして進めても、気候に左右される商売ですからね」
南房総は温暖な気候なため、みかんの産地としても有名です。ただ、昔ながらの手間暇度外視の農業を続けるだけでは、収量が上がらず、収益も上がらず、家族は楽にならず、幸せな未来が見えにくい。たとえそれが分かっていたとしても、実際にこうして新システムの農場を自分の手でつくっていく努力は、誰もができるわけではないのだろうな。
続けることは、変わる努力をすること。
目の前に広がる農村風景が、もしこれからも変わらずにあるとしたら、それは実は努力の結晶なのだということです。のどかでのんびりした、変わらぬ風景に見えたとしてもね。
さて、さて。
わたしたち家族の二地域居住ですが、1月10日をもって12年目に突入しました。
夫は30代から50代へ。わたしは30代から40代へ。ニイニとポチンはガキから思春期へ。マメに至っては、無から有へ。
この暮らしを始めた頃の自分と、今の自分は、明らかに違うものです。
見た目としてはシワ、たるみ、くすみ、、、とまあいろいろ。でも、心のヒダもずいぶん増えた気がします。知らなかった世界、出会わなかった人たち、始まらなかった出来事、ぜんぶ差し引いたらわたしの人生ぜんぜん違うものになっちゃうや。
これも努力で続いているのか?笑。
いやいや、おこがましくてそんなこと言えませんが、ともかく続けてきたからこそ、今のわたしたちがこうしてあるんだと思っています。
一方で、それこそ10年くらい一瞬で過ぎていったような気もしていて。
よく考えると、人間もミミズも命の長さなんて誤差の範囲。
一瞬で終わる命の連続でこの世は成り立っている。
それは、虚しいというより、潔くて尊いことだと感じます。
それぞれががんばって続けている“一瞬”の連続で、世界は成り立っているんだなと。
だから、ミミズががんばって土を耕すように、わたしも明日のやることをがんばろう。
どうなるかは知らないけど、今の暮らしがいいかんじの未来につながっていますよう!