5月は、肺が5つくらい欲しいと思いませんか。
吸っても吸っても足りない。もっともっと吸いたい。
何とも言えない、濃い若い青い匂いを、ずっと吸い続けたい。
そんな風に思いませんか。
東京と南房総の二地域居住を始めて、12回目の5月です。
最近、二地域居住歴または移住歴の長い友人と、「10年超えると、見える風景が変わってくるよね」という話をすることがあります。というのも、歴の浅い友人たちが、とってもフレッシュに感動や苦労などを話しているのを聞くにつけ「そうそう、そういう時期もあったあった」なんて思うからです。
分かったような口きくんじゃないよ、と地元の方から怒られそうですけどね!
月日が経っても変わらないことと、少しずつ変化していくことがあり、そのグラデーションもなかなか興味深いものです。
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大きな変化の一つ目は、波乱万丈の二地域居住から、穏やかで安定した二地域居住へのシフトです。
四季を12回経験していると、ハプニング&ソリューション経験も積み増され、作業の苦労ポイントも把握していますから、いろいろ予測がたちます。これがまさに、心の安寧につながるんですよね。
やったことないことに出会い、どうなるか分からないことに対峙する時間は、ドキドキワクワクとともに疲労も大きくなります。そうしたある種の興奮状態がすうっと収まった時、ようやく落ち着いて見えてくるものや、捉え直せることがでてきます。
例えば以前は、ゴールデンウィークが近づくごとに、雑草がぞぞぞぞっと生え伸びてくる様子を「やばいやばい……草刈り三昧の季節がやってきたわ……」と慄きながら見つめていたものでした。この雑草戦争について季節のご挨拶のように毎年書いていたら、「田舎暮らしって、とにかく草刈りが大変なんですよね、、」と読者の方々に恐怖心を植え付けてしまった感があり、ちょっと反省している次第。ごめんなさいね。
時を経て、そう、一昨年くらいからかな。そうした無用な恐怖心はほとんど湧いてこなくなりました。むしろ、緑深い敷地をざざっと見渡して「おお、生えてきたな」とつぶやくと、まずはその状態を愛でるように。
ふふ、我ながら心に余裕ができたもんだ。
刈らねばならない、という頭で見ると雑草はただのやっかいものですが、実はこれは作業の大変さが念頭にあるからこその、ねじれた感覚でもあるんですよね。
可憐な花がそこかしこに咲いている状態は、言ってみれば野生のお花畑。よく見ると、その小さな花の中に小さな虫が頭を突っ込んでいたりします。人間都合で「雑草」カテゴリーに入れられているけれど、太陽の光をいっぱいに浴びてのびのび笑うひとつひとつは、愛おしいものです。それはそれで、真実。
だから、草刈りするときは「やあ、敷地がスッキリした!」という気持ちと、「みんなごめん」という気持ちが綾織りになっているのが本当なんです。いちいちその感性でいくと心が減りそうだけど、やっぱり、ちゃんとそう思った方がいいね。
みっしりとした雑草は、「ママここに寝ていいよ」と娘がピクニックシートを広げた途端に、マットレスの機能を発揮します。
隙あらば寝てやろうといつも思っているわたしは、その味気のないピクニックシートが誘惑する布団に見え、そのまま倒れ込むとリアル天国に連れていかれました。
さて、月日が経って変化したことの2つ目ですが。
それは、こどもとの付き合い方がうまくなったことじゃないかなと、感じていること。
何をいまさら?
と、思いますよね。
高3の息子、中2の娘、小4の娘という後期子育て期になってから「付き合い方がうまくなった」はないだろう?と。
それじゃあ今までずっとヘタだったのかい?と。
まあ、多分、ヘタだったんでしょうね。
こと二地域居住に関して言えば、南房総で過ごす時間は「ではバラバラに興味あることをしましょう」というだけでは済まない部分があります。単純に、家族総出でやるだけのボリュームの作業が、いろいろあるからです。
上記の草刈りに始まり、季節の食べられる野草や果実を採集したり、裏山の竹を刈ったり、それを燃やしたり、畑の世話をしたり。それらは、協力してやった方がスムーズだし、俄然楽しいです。
これらの作業を、「やらなきゃ!」ベースで伝えると、どうなるか。
例えば、「今週あたりはタケノコとれるよ。来週じゃ遅い。山に行かなきゃ!一緒に来てよ!」と、やや強制の香りのすることばを発してしまうとします。
するとこどもたちは当然、「えーめんどくさ」となる。
「やらなきゃ」と誘うと、骨髄反応的に「やだ」と出るのが、少なくとも我が子たちのふるまいです。誘っている本人からすると、やらなきゃ、と言いながらも義務感で動いているわけではありません。野良仕事には“遊び仕事”という別名があるくらい、仕事だけど遊びのように楽しむワクワクを秘めているわけです。
ところが、家族に対してだと、どうしてだかきついニュアンスが出てしまうんだよなあ。
不思議なことに、主宰するNPOでの里山学校などだと、この楽しさをちゃんと魅力的に伝えられるんですよね。一番巻き込みたいこどもたちに対し、なぜか雑な表現をしてしまうわたしってバカなんだろうか、と折りに触れて思っていました。笑。
それが、最近ちょっと趣が変わってきました。
語りかける言葉が大きく変わったとは思わないのですが、「タケノコとりにいってくるねー」と呑気に用意をしていると「わたしも行く!」となる。
「2枚目の敷地の草刈りがんばるわー」とスパイダーモアに油を足していると、「そこはやってみる!」とついてくる。
どういう心境の変化なんだろうな、と、こどものふるまいに首をかしげていました。
でもひょっとすると、「わたしが追い詰められていないこと」「親だけが妙に興奮してこどもを置き去りにしていないこと」「淡々と楽しみながら日々を味わっていること」によって、こどもがすっと寄り添いやすくなっているのかもしれないなあ、と、ふと気が付きました。
特に、こどもたちに明確な意志があり、親と違う人生を歩み始めているこの時期には「ともに暮らす」ためのコツがあるのかもしれません。別々にやりたいときも尊重しながら、家族で一緒に進める作業も楽しむ時間をつくる。それには、親がゆったりした気分でいることが、大事なのかもしれないなあ、と思っている昨今です。
そう、いまさらですけどね!
そして、変化したことの3つ目ですが。
あえて言えば、以前より格段に、地元目線が強まったこと。
南房総に魅せられてここに居を構えたわたしたち家族は、言うまでもなく「#南房総大好き」が暮らしのベースにある状態です。こんなに東京に近いところに、こんな深い自然があり、都市生活では得難い豊かさがあり、地域の人たちも好き、ライフスタイルの緩やかさも好き、といろいろ好き尽くしです。
一方で、これからもここに長らく居続けることを確信するからこそ、もっとこうなればいいな、と思うことが見えてきます。それは、不満というより、「さてどうしようか」といった心持ちです。
……館山自動車道が完成してとても便利になったけれど、日帰りできてしまうことで、泊まってもらう機会を逸しているなあ。本当は、夜を過ごし朝を迎えることで、ここの良さがもっと分かるはずなのに。どうしようか。
……南房総に来て、ちょっとお風呂に入りたい、という人が、気楽に入れる銭湯がほとんどないなあ。風呂桶を洗うのがしんどくなったお年寄りも、きっと銭湯があるといいだろうに。どうしようか。
……どんどん空き家が多くなっているなあ。使いたいと思う人はいるだろうに、どうもうまく結び付けられていない気がする。そして耕作放棄地も増えているなあ。農業の集約化という文脈では語れない小さな農地がたくさんあるのに。どうしようか。
……路線バス、いつ見ても人がちょっとしか乗っていないなあ。ダイヤ改正のたびに、廃線の噂が流れるなあ。でもこのバスがなくなったら、運転ができない人が地域を使えなくなってしまうはず。どうしようか。
と、気付きは日々募ります。
ただのちっぽけな、週末しかいない1市民がそんなことを考えても仕方ない、といえばそうですが、南房総の未来がなくなってしまったら“わたしが困る”のです。だって、南房総で、未来まで幸せに暮らし切りたいんだもの。
主宰するNPO法人南房総リパブリックという団体でいくつかの事業をしているのも、頭の中に気付きをとどめておくだけではなく、すこしずつでも実行にうつせないか、という思いがあってのことだったりします。事業、というと大それていますが、要するに、「こういう場所ができたら○○さんがこうやって来てくれるかな」「こんなことをしたら△△さんが喜ぶかな」と、地域のひとたちの顔を思い浮かべ、同時に「東京の○○さん、これには来てくれるだろうな」とも思ったりする。それを原動力に、行動するわけです。
地元目線と、外部目線が、ひとつの人格の中で共存しながら、結局すごーく南房総のことを考えている。そんな状態です。
また、先日、南房総市で選挙がありました。
ご存知ない方もいるかもしれませんが、わたしは住民票が南房総市にある、南房総市民です。よって、自宅にちゃんと送られてくるんだな。
本当は、東京と南房総どちらにも選挙権が欲しいのですが(だって二地域に住んでいるんですから)今のところ国のシステム上そうもいかないので、熟慮の末、南房総への政治参加を選んでいるという次第。
「ああ、市政に参加しているんだな」という実感をより強く感じるのは、わたし自身が投じることのできる貴重な1票を、南房総で使っているからかもしれません。
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二地域居住を、長いこと続けてみる。
続けるからこそ、楽しみや興味が深まっていく。
今のところ、この生活に飽きる兆しはありません。
こうして20年くらい経ったら、こんどはどんな感覚になっているかな?
未来の自分が、ちょっと楽しみです。