暮らし術

この原稿を書いている東京の家の窓からは、ゆっくりと流れる一面のうろこ雲が見えます。
ちょっと前まではなかった陽だまりが窓際にでき、ネコがまあるく座っています。

太陽が、日ごとに低くなる季節です。
お元気ですか。

 

陽だまりで昼寝。いいな。1年に30回くらい、本気でネコになりたいと思う時がある。

いいな。1年に30回くらい、本気でネコになりたいと思う時がある。

先日のこと。

学校から帰ってきた小4の末娘マメが、夕食を待ちながらふとテレビをつけると、とある若者が離島で暮らす日々の様子が放送されていました。
都市生活にはない不便や想定外の事態に戸惑いつつ楽しんでいる、という内容。程度の差こそあれ、我が家の田舎暮らしとも重なるところがあり、マメはこの番組を見ながらぶつぶつ言っていました。

「近くにコンビニもお店もないんだって」
「いいなあ、あんなに魚とれてる!」
「でもさあママ、何でこの人は、ここで暮らしたいと思ったのかなあ。南房総より大変そう」

ふふ、ちょっとは田舎暮らしのイメージがあるからいろいろ想像するのかな。

「大変なこともあるだろうけど、やりがいもあるだろうし、幸せも濃いんじゃないの?今は、田舎で暮らしたいって考える若者が増えているみたいよ。お金出したら何でもぱっと手に入るような東京の暮らしは、こうやって1から暮らしをつくる田舎の毎日に比べたら、むしろつまらないと思うようになるだろうね」

わたしは夕食づくりの手を止めずに返しました。
特に深く考えもせず、ありきたりな解説をしただけの、返事。

するとマメは、突然キッとした目でわたしを睨み、声を荒らげて反論してきたのです。

「ママはどうしていつも田舎の肩ばっかり持つの?
東京なんて退屈だし、退屈な人しか選ばないところだって言いたいんでしょ?
田舎で暮らそうと思う人だけがすごい、っていう言い方。差別だよ。ひどい」

びっくりしたわたしは、「え、え、そんなこと言ってないよ。田舎に暮らしたいというのはヘンな考えじゃなくて、そこにも大きな価値があるんだよって言ってるだけだよ」と、慌てて説明しましたが、マメの眼にはみるみる涙がたまっていきます。

「ママは東京をバカにしてるんでしょ。ひどい」

なぜ彼女は泣くほど憤慨しているのか、わたしを攻撃してくるのか、サッパリ分かりませんでした。ただ、マメの考えが暴走するのを止めないと、と思い、彼女の目の前まで行きました。

「ママが東京をバカにするはずないでしょ。だいたい東京は、ママの生まれ故郷よ。田舎も好きだけど、都会も好き。だからここ東京にも住んでいて、南房総にもおうちがある。どっちかだけが好きだったら、どっちかをやめているはずだもの。そうだよね?」

一生懸命丁寧に伝えてみましたが、そんなお利口なことばたちは「ウソは見抜いてやる」といった構えでいるマメの心にはささらないようです。「ねえ、ママの言いたいこと分かる?」と聞いてみても、涙の眼差しでわたしを睨みつけるばかり。

わたしの言い草の何らかが、彼女の心に苛立ちや悲しみを巻き起こし、それが溢れ出てしまったんだな……。途方に暮れて、とりあえず話しかけるのをやめ、しばらくそっとしておきました。
マメはネコの隣に丸まって、むっつり押し黙っていましたが、夕食に集まってきた家族の顔を見ると涙がひっこんでいったよう。ほどなく、違う話題でわいわい喋り始めました。
なんだ、よかった。

マメの最近の楽しみは、花のしおりづくり。これは、イヌタデの花。

マメの最近の楽しみは、花のしおりづくり。これは、イヌタデの花。

食後の後片付けの時、まるで何事もなかったようにネコと戯れるマメに、やはりもう一度聞いてみよう、と思いました。

「ねえ、さっきのことだけど。
何であなたは、ママが東京をバカにしているって思ったの?
何で嫌な気持ちになったの?」

すると、冷静な心が戻ってきた彼女は、今度は静かに話し始めました。

「2学期の社会科の授業でずっと、『東京の発展に尽くした人』のことを勉強してたの、ママ知らない?」

……うーん。授業の内容は、ほとんど把握してない。ごめん。

「後藤新平とか、渋沢栄一とか。あと、玉川兄弟のことも。羽村から長い水路をつくって、何度も失敗しながら上水を引いたの。すごくない?何にもなかったところに、飲み水のみちを通したんだよ。あっでもね、玉川兄弟は調子に乗っちゃって、お金を渡された人に多く分水しちゃって、それがバレたらしいけどね。だから最終的には尊敬されなかったんだって!」

……話がそれてるよ?

「つまりね、東京も、そうやって1から一生懸命つくった人がいるってこと。ママがいつも応援している“田舎でがんばっている人”は、1から自分で暮らしをつくっていてエライみたいに言われてるけど、そればっかり言うのはおかしい。だって、今当たり前みたいにある東京も、昔つくろうとがんばった人がいるから『できた』んだよ。
だから、田舎ばっかり褒めないで、東京のことも認めて」。

これを聞いて、わたしは、どきっとしました。
“東京をつくった人”に想いを馳せているマメについて、全然知りませんでしたから。
そして、わたしが折りに触れて「田舎って豊かだよねー」などと口走る時、マメはひそかに「東京は豊かじゃないって、ママは言いたいのかな」と思っていたかもしれないと、察しました。

そうか。
彼女にとっては、“都市”も“田舎”も、どちらも否定して欲しくない要素だったんだな。

3人のこどもの中で、生まれた時から『二地域居住育ち』なのは、マメだけ。東京も南房総もどちらも自分の家であるという意識がもっとも根付いているのは、きっとマメ。
彼女にとって“二地域”とは、“両親”みたいなものなのかもしれません。都会と田舎どっちが好き?なんて聞かれてしまったら、心が裂けちゃう。そんなの選ばせないでよ、優劣つけることなんてできないよ、と涙がこぼれちゃう。

たいへんだ。
いろいろ、感じることの多い暮らしをしちゃってるね。

これは、摘んできた花の水分を抜いて、ぺったんこにアイロンをかけ、色落ちなく長持ちする状態をつくる作業です。

これは、摘んできた花の水分を抜いて、ぺったんこにアイロンをかけ、色落ちなく長持ちする状態をつくる作業です。

でも、母は願います。
二地域居住というへんてこりんなライフスタイルが、彼女を成長させますように、と。

たとえば田舎暮らしでは「草を刈ることで風景が整う」とか、「獲った魚はすぐ血抜きをすることで綺麗な刺身になる」「寒い冬を経るからほうれん草が甘くなる」「雑草の深い繁みができてしまうとイノシシが隠れやすいため出没しやすくなる」などと、プロセスと結果がシンプルにつながって見えてくることが暮らしの中にたくさんちりばめられています。
だから、結果からプロセスを想像できるようになる。「こんなに美しい風景は、きっとたくさんの人が、たくさん手を動かして、維持してきたんだね」といった具合に。

そうして培われた想像力は、都市の中でもきっと発揮されていくんだと思います。
今、目の前にある事象――たとえば「スマホをピッとかざすとお金が払えて楽だね」といったツルリとした実感――の奥に広がる、複雑な成り立ちやしくみを想像しながら暮らしていくことで、未来をつくる伸びやかな創造力も生まれてくるといいな、と。
彼女が社会の授業で得た“東京も『あった場所』ではなく『できた場所』なんだ”という気付きも、その萌芽なのかもしれません。

さらに、都市と田舎を同時に生きてきたこどもが、将来どんなふうに社会をとらえていくようになるか、とても興味があります。
10歳のマメは、今は“東京”という場所と“南房総”という場所に対し、それぞれバラバラに愛着を持っているという状態にあります。そんなですから、 南房総贔屓のママを感じれば東京サイドから嫉妬しますし、南房総に東京の友達を連れてくれば「ま、東京では地引網なんてできないけどね」と妙な南房総自慢を展開するわけです。2面のメンタリティがおかしげに同居しているんですよね。

そのうち、この距離のある2つの視点が彼女の中で、ものごとを立体的にとらえる力に変わっていくでしょうか。変わっていくといいな、と思います。

ああ、そういえば、今でもたまにぶつぶつと、つぶやいていますけどね。

「東京みたいに集まって住むのも安心だし、南房総みたいに自然の中で深呼吸する時も落ち着くなーと思うし、どっちもいいんだよねえ」
「花とか木の棒とか、貝とか、そのへんのものを使って自分だけのものを発明してつくるのも楽しいけど、お店で買い物するのも好き。サンタさんからもらいたいものはちょっと高いんだよなあ、くれるかなあ!」
「ねえ、南房総に東京がつくれないかな。そしたらにぎやかだし、自然はあるし、最強なのに」
ってね。

欲張りめ。

 

今年の秋の野の花の記憶が、しおりになって、残るね。

今年の秋の野の花の記憶が、しおりになって、残るね。

 

さあ、そろそろ、分厚い靴下を引っ張り出したい季節が訪れます。
人恋し秋。そして冬。
みなさん、朝晩の冷気をしのぐあったかい恰好をして、南房総の空気を吸いにきてください。

 

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
※本記事の情報は、公開当時のものです。以降に内容が変更される場合があります。
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