暮らし術

「こんにちはーーー!山口さん書類持ってきましたー」
「おう、どうもどうも!いま降りっから」
屋根の上のご近所さんに声をかける週末。今の、南房総の日常風景です。

牛舎の屋根を直す山口さん。雨続きで修理もままならない、とぼやいていました。

牛舎の屋根を直す山口さん。雨続きで修理もままならない、とぼやいていました。

この秋はなかなかハードでしたね。相次ぐ台風に、大雨。
みなさん、いかがお過ごしですか。ご無事ですか。
ご無事ならいいのだけれど。

9月9日以降、南房総エリアは突然「被災地」と呼ばれるようになりました。ブルーシートの家がずらっと並ぶ風景は、報道されているとおりです。

週末暮らす我が家も多少やられてしまいましたが、まあ蚊に食われた程度です。でも、友人知人の家、わたしの運営するNPOの拠点などはけっこうな被害に遭ってしまいました。なので、最近は復旧のお手伝いなどをして過ごしています。

これは北条海岸のゴミ拾い。漂着した木っ端やビニールゴミなど、いつもに増していろいろ落ちてたなあ。100人以上でがんばったら、みるみるきれいになりました。

これは北条海岸のゴミ拾い。漂着した木っ端やビニールゴミなど、いつもに増していろいろ落ちてたなあ。100人以上でがんばったら、みるみるきれいになりました。

 

うちの裏山。みっしり茂っていた木々がなぎ倒され、こんなスカスカになりました。まだ山の中には入れていません。

うちの裏山。みっしり茂っていた木々がなぎ倒され、こんなスカスカになりました。まだ山の中には入れていません。

 

屋根の上にのぼることになるなんて、2ヶ月前は思ってもいなかったです。これは布良の集落。向こうの方までブルーシートだね。そして、いい海だ。

屋根の上にのぼることになるなんて、2ヶ月前は思ってもいなかったです。これは布良の集落。向こうの方までブルーシートだね。海も空もきれいだ。

 

本当だったら今時分は、秋祭りが目白押しだったはず。週末ごとに太鼓と花火の音が聞こえ、担ぎ屋台の上に知り合いの顔を見つけると嬉しくなるもんだったのに、今年はみんな、屋根の上。お囃子の音はなし。なくなってみると、それがどれほど寂しいことかズンと分かります。

でもね。
お祭りでわいわいやいやい飲んで、肩組むかわりと言ってはなんですが、みんなで作業をする時間をたくさん持つようになりました。助けたり助けられたり、なんて、なければない方がいいのかもしれない。大変な状況を抱える中での出来事ですから。でも、あればあったでそれはすごく温かい時間になります。

先週末のこと。
「千葉の記録的大雨」が止んだ次の日、友人である安西農園さんのところに、のこのこ農作業のお手伝いに行きました。手伝ってくださいと言われたわけではありません。むしろ、9月半ばに「19号でトレビス※1がやられないように」とマルチ※2をかけるお手伝いした畑がどうなっているか気になって、わたしが勝手に押しかけた状態です。
※1:別名赤チコリ。一見、紫キャベツに似たキク科の多年生野菜
※2:農業用マルチングフィルムシート。防草や肥料流出の防止など目的で畝の表面を覆う資材

15号で天災の恐ろしさを知った南房総の人々は防災意識が倍増しになり、住まいについてはガッチリ守りを固めて「来るなら来い」と19号を待ち受けていましたが、ただただ外に広がる畑だけは、丸腰で運を天に任せるしかないところが大きいのです。
どの農家さんもそうですが、安西農園も台風15号ではビニールハウスがほとんど倒壊し、19号では塩害で葉物野菜に大ダメージが出て、その上、まさかの記録的大雨ときたわけです。安西さん、元気ハツラツとは思いにくい。

「どうでした?」と会うなり安西さんに聞いたところ、目の前に広がる畑に目をやり「昨日はね、水没です。この畑ほぼ全部。今までの中で一番ひどい被害じゃないかな」とのこと。

「うちだけではないでしょ、全国でこういうことが起こっているでしょ。“野菜が高い”どころではなく“野菜がない”ということになるかもね」

長時間水に浸かりきったレタスたち。根がやられてしまっただろう、と。安西農園のレタスは、おっなにこれ?と思うほど甘くてみずみずしくて、館山の自慢なんです。

長時間水に浸かりきったレタスたち。根がやられてしまっただろう、と。安西農園のレタスは、おっなにこれ?と思うほど甘くてみずみずしくて、館山の自慢なんです。

 

遠くからでも目立つほどに背が高くてガタイのよい姿も、張りのある口調もいつも通りのままで、「どうしようね。これ、俺の人生3度目のピンチ」と笑う安西さん。
かける言葉がうまく見つかりません。
がんばろうも、がんばっても、応援していますも、気持ちにそぐわない。軽すぎて。

だいたいこんな素人が手伝いたいなんて、むしろ邪魔にならないか。わたしの相手をしている時間に復旧作業を進めたいんではないか。と、恐縮する気持ちの方がぐずぐず湧き上がろうとしていた矢先に「今日はね、かずえと作業してもらえますか?」と、畑ではなく母屋の方へ案内されました。

かずえ?
誰だっけ、かずえ?

安西さんについていくと、敷地の空き地のところに座り込んで何やら作業をしている人がいました。

ああ……安西さんちのおばあちゃん!
以前ちょっとだけ一緒に畑仕事をしたおばあちゃんが、かずえさんなのね。

「よろしくお願いします」
かずえさんのちょうど真正面に、わたしも同じように座り込みました。
「どうも、こちらこそ、ありがとうございます」
「以前も畑でお仕事教えていただいた、馬場です」
「ああ、そうでしたか。ありがとうございます。忘れちゃった。ふふ」
「そうですよね。ふふ」

かずえさんからは特に作業指導もなく「竹をね、尖(とが)らせればいいの。それだけ」と言われただけ。
これ使ってくださいよ、と鉈(なた)が渡されました。

そうか、これで竹を尖らせるのか。
作業を真似しようと、かずえさんを見つめます。

鉈を持って竹をざく、ざく、と先を削ぐ作業の手つきは一切ブレがなく、思わず見惚れる逞しさです。

早いし、うまい。

早いし、うまいよ!かずえさん。

 

それにしても、何に使うんだろう、この尖った竹。
「ほれ、この竹棒の真ん中らへんを火で炙って、くいぃって曲げるの。そうすると竹が土に刺さるようになるでしょ。これをね、マルチの端を止めるときに使うわけ」

なんとこれは、“竹でできたペグ”なのですね。

安西農家は館山でも屈指の大農家なのですが、ペグを手作業で、こうしてみんなでつくっていたなんて知りませんでした。この作業を、かずえさんは60年もやってきたんですって。お嫁に来てから、ずっとずっと。
隣で炙る作業をする安西さんが「鉄やプラスチックのものもあるんだけど、竹が一番強いんですよ」と教えてくれました。

曲げることができるのは、伐り出したての青い竹だけ。

曲げることができるのは、伐り出したての青い竹だけ。

 

安西さんは、真ん中を炙る係。いつも大胆な雰囲気の彼が、黙々と作業する姿は新鮮です。

安西さんは、真ん中を炙る係。いつも大胆に動き回る雰囲気の彼が、こうして黙々と作業する姿は新鮮です。

 

わたしも見よう見まねで、鉈で竹を削ります。ザク、ザク。それなりに尖らせることはできるんですが、どうも無駄な力が入るんだよな。それに、かずえさんよりだいぶ遅い。「うまくないな……」と思わずつぶやくと、「上手、上手。うまーくできてる」と、声をかけてくれるかずえさん。

そ、そうですか?
これでいいのね?
ホッとして、明らかに下手クソでも楽しく作業が進みます。

たまに合いの手みたいに「上手、上手」と言われると、不思議なことにやる気が出るんですよね。
かずえさんの声は、おだてているんでも、あやしているんでもない、普通の声。一緒に作業をするのはたった2度目なのに、なんだかずうっと隣でこうして農作業をしてきた身内のような気分になってきます。

「安西家はね、どんな人も褒めて伸ばすの」と安西さんが脇からニヤリ。
もう、下手なのはわかってるから!!
ふふふ。あはは。

ほれ、ここに新しい竹置いてって。次から次へと新しい竹が積まれ、どんどんどんどん竹ペグがつくられていきます。

「ほれ、ここに新しい竹置いてって」。次から次へと新しい竹が積まれ、どんどんどんどん竹ペグがつくられていきます。

 

「かずえさん、おいくつですか」
「79歳。昭和15年生まれですよ」
そうか、わたしの母とほとんど変わりません。インドア派だった母は、最近歩くのがしんどくなり、家から出るのも億劫がっているんです。元気かな、来週どこかで散歩に連れ出さなきゃ、とチラと思い浮かべます。
かずえさんのしっかりとした動きには、長い年月、体を使って働いてきた人ならではの生命力と美しさがあります。歳を重ねることの意味を表しているようです。

ざく、ざく、と手を動かしながら、かずえさんは口もよく動きます。

「若いころは東京に出て、大企業の社長さんの家で働いてたの。よくしてくれてねえ。お給金も他に比べてよかったから、それを貯めてね。宝塚の舞台を見に、妹を連れてったこともありますよ。今でもよく言われるの、あの時は楽しかったーって」

「おやじ(ご主人)はイケメンでね。よく、消防の会の飲み会にいたお姉さんから電話がかかってきたのよ。ふっふっふ。体悪くして施設にいるけど、頭はしゃんとしてる。なんでもね、あの人が頼りになるの」

「昔はここらへんの婦人会で、地区対抗のバレーボール大会をやっててね。お揃いのTシャツ、つくって。うちらのところの藤原は、濃い青色。年のいった人はコーチのいうことを聞かないでしゃべってばあっかり。休憩時間にもみんなでおしゃべりしてね。楽しかったですよ、あれは。もう今じゃあ婦人会がなくなっちゃったけどね」

「ばあちゃん(お姑さん)はわたしのことをかわいがってくれてね。外で美味しいもんがあると、『かずえちゃんに食べさせたくて』って持って帰ってくれたの。わたしはね、小さい時に母親が亡くなってしまったから、ホントのお母さんみたいに思ってたの」

「淳(安西さん)はいい子だったよ。おやじが病気で大変なとき、仏壇に30万置いてあったの。ああ、これは、さっき東京から帰ってきた淳が置いてったんだ、ってばあちゃんと話して、泣いてね」

胸いっぱいになって聞いてたら、安西さんから「いやその前に、俺んとこに電話くれたっしょ。おめえどっから取ってきた!って」と妙な横槍が入ります。「あははあ、そうだった。いったん疑ったんだ。悪さして用意したんでないかって。そうだそうだ。電話したわ」

淳さん、いい子だった程度が分かるよ……

午後からは、川崎の「トカイナカビレッジ」からもお二人ボランティアが来てくださって、にわか大家族の風情に。

午後からは、川崎の「トカイナカビレッジ」からもお二人ボランティアが来てくださって、にわか大家族の風情に。

 

そして川崎の減災ラボさんから、UV対応の土嚢袋もどっさりいただきました。がんばれっていう絵がついている!!

そして川崎の減災ラボさんから、UV対応の土嚢袋もどっさりいただきました。応援コメントと絵がついている!!

 

和気あいあいと作業をしながら、これは「被災者」の支援かもしれないけれど、手伝っているわたしたちがむしろ、心豊かな時間をもらっているなあと思っていました。顔を突き合わせて、手を動かして、少しずつだけれども前進していく。この作業は安西農園のためにボランティアでやっている、という意識はたちまちどこかにいってしまい、最後に残るのは、この人たちとまた一緒に働きたいなあ、という思いと、かずえさんが大好きだなあ、という思いでした。

そういえば、かずえさんの話には、悪口や陰口や愚痴が、ひとつもなかったな。

安西農園、本日の竹ペグチーム。

安西農園、本日の竹ペグチーム。

 

ちょっと話が逸れますが。
先日、娘の中学校で音楽発表会があり、学年やクラスごとに選んださまざまな合唱曲を聴いていました。そうするとね、中学生の歌う歌でさえ、ほとんどの曲に“悲しみ”への言及があるのです。辛いことがあっても、悲しいことがあっても、孤独をかみしめても、自分を嫌いになっても、それでも明日に向かって生きよう。そんなメッセージの歌が多いのです。
人は、ごく小さな頃からそうした思いを乗り越え乗り越え生きていて、それでも振り返ると「生きててよかった」と思える。思いたい。だから、生き生きと生きる時間は本当に尊いものなのだろうと噛みしめました。ひょっとしたら歌っている中学生たちよりも歌詞に感じ入っていたかもしれません。

わたしの頭の中には、南房総の景色が浮かんでいました。被災して、辛い思いをすることで、その場所から気持ちが遠のくことなんてないなあ、と思いながら。むしろ、悲しさや大変さもともに経験すると、離れがたくなる。大事な気持ちが増すのです。

南房総での二地域居住を始めて13年経ち、初めて、こんな気持ちを味わっています。
いろいろあるけれど、前向いていこう。
そして、またかずえさんに会いに行こう。

ぜひ皆さんも南房総に遊びにいらしてください。
ご縁って、始まると、いろんなことになっていくから。

 

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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