暮らし術 87552205_3541508382586998_554750238082990080_n

みなさん、元気にお過ごしですか?
わたしはコロナウィルスの情報が飛び交う中、対応や判断をぎゅるぎゅると考えねばならない局面があり、ちょっと疲れています。
そして最近、南房総にいると、とりわけホッとします。

この感覚は東日本大震災の時と、どこか似ています。
東京では不穏で不安な空気が蔓延していて、その空気に自分の暮らしが飲み込まれていく……そんな時、久しぶりに南房総の家に行き、放置していた畑に立ったら、自分の中に澱(おり)のようにたまっていた疲れがどおぉぉぉっと大地に吸い込まれていった、あの感覚。「地に足をつける」という言葉の意味をそのまま体感した瞬間でした。

今はそれほど過激な感覚はないのだけれど、人口密度の低いところでマスクをせずに深呼吸する気持ちよさは、平時より際立って感じられます。あー、ここが好きだなあ、とバンザイして深呼吸して、ついでにラジオ体操もしたくなる。
春のとば口の空気は、ちょっとぬるくてちょっと湿っていて、繊細な香りがします。

地面につきそうなほど傾いた梅の木も、満開になり、先週散りました。

地面につきそうなほど傾いた梅の木も、満開になり、先週散りました。

場所の力というのは強いもので、好きな場所にいると心身がきっちり元気になるものです。気持ちが切り替わる以上の効果があるとも思います。生きものとして体が欲している環境っていうものがあるのだなあ、と。

とはいえ、毎日南房総にいられるわけではない。
そこは二地域居住の寂しさです。

もうひとつ。
エネルギーレベルが下がっている時に大事にしたいのは、「食べる力」だよなあと最近特に実感しています。といってもストレスからの爆食いではないです。(昔はしたけれど、今はそんなにたくさん食べられなくなった!)
それは、いい素材を、いい調理で食べることです。

これまでこのコラムで何度もしつこく言っているとおり、わたしは希代のめんどくさがりやなので、もし一人暮らしをしたら毎日卵がけごはんになると思います。が、これまためんどくさいことに家族が計6人、彼らが明らかに食事目当てに帰ってくるので「食べさせる」というのが日々のタスクです。

で、疲れていようが心がどうであろうがせっせとつくるわけですが、つくり手の特権があるとすればそれは「自分が食べたいものをつくる」こと。家族が多いと一人一人がお昼に何を食べてきたかなど気にしていられませんから、こどもの給食メニューなどほとんどチェックせず、とにかく自分の食べたいものをつくる。それぐらいいいじゃないか!と、勝手に心の中で逆切れしながら。ふふ。

それにしても体調が出ますよね、メニューに。疲れてくると酸味のあるおかずが増えたり、すごく弱るとむしろ好きなはずのスパイシーフードが食べられなくなったり。風邪をひきそうなときは薄味の汁物に寄っていきますし、体を使った日の夜は揚げ物が欲しくなる。頭で考えなくとも、勝手に体調がメニューを引き出して組み立てていく感覚があります。

加えて、いい素材の場合は、素材が勝手にメニューを引き出してくれます。
これは楽です。本当に何も考えなくていいですから。
食べる側と、食べられる側が、それぞれの都合で最適に調理されたものこそが、わたしにとってのパワーフード。
ためしに、最近印象に残っているパワーフードをいくつか挙げてみますね。

フキノトウ
早春の定番ですね。
そろそろ芽吹いているかな、と想像するだけで口の中に風味の予感が広がるというパブロフの犬状態。南房総の家のまわりに出始めるともうダメ。この、野草を摘みたい欲って何なんだろう、本当に抑えられない。あっここ、あっあそこにも、と這いつくばって探す姿はだいぶ滑稽なはずですが、そんなことは構っちゃいられないと目の色を変えてウロウロします。

 

おお、宝の山!

おお、宝の山!

 

おかしいのは、5月末に梅が出てくるときは、収穫しながら「あー仕込みがめんどくさい」と思うのに、フキノトウはとにかくすぐに調理したくなることです。何ならその場でちょっとかじってみて、風味だけフライング。

ウフフのかたまり。

ウフフのかたまり。

ふきみそ、ふきのとうパスタ、お味噌汁に入れても美味しいけれど、まずいの一番に食べたいのは天ぷらです。
丁寧にころもをつけて、深い油でカリッと揚げる。それだけで天国へ。

揚げると、花開くように広がります。

揚げると、花開くように広がります。

 

野草にもいろいろあるけれど、これほど濃い新緑の風味を味わえるものはない。一口ほおばると、口の中から体全体までが鮮やかな翠色に染まっていくようです。
これを食卓に出すと、他にいろいろおかずを出しても印象がほとんど残らず、フキノトウにもってかれてしまいます。だからメニューがシンプルに。
本当にいい素材です。何気に自給自足だし。

レタス
以前このコラムでご紹介した安西農園さんから、レタスをごろごろっといただきました。
わたしたちの運営するNPO法人南房総リパブリックが農業ボランティアを継続していて、お手伝いしたお礼にいただいた次第。嬉しいなあ。彼のつくる「かんべレタス」は館山の名産なんです。

不届き者のわたしは、採れたてのかんべレタスを食べる前は「レタスの味の差って、言うほどあるのかな」と思っていました。でも今は分かります。

美味しいレタスは、歯ごたえがぱりっぱり。
そして、噛んだ時にじゅわっと出る水分が、甘い!
レタスの葉を手でちぎり、何もつけずにキッチンで(フライングで)むしゃむしゃ食べることが(よく)あるのですが、実はその食べ方が一番レタスの甘さを味わえる気がします。人間ってこんなに食べやすくてナマで美味しい葉っぱをつくりだせるんだなあ、とつくづく感動します。

これで規格外なんですって。こんないいやつが。

これで規格外なんですって。こんないいやつが。

館山の南端にある神戸地区は海のすぐ近くで、冬でもレタスがつくれる温暖な気候です。ミネラルを多く含んだ砂交じりの土壌はレタスづくりにぴったりとのこと。しかし昨年、台風で圃場が水没したり、トンネルが損壊したりと館山の農家さんは大大大打撃を受けました。そこから再び立ち上がり、年をまたぎ、こうしてまたしっかりと美味しい野菜を出荷している農家さんには本当に頭が下がります。そして、ほんのちょっとでも農作業をお手伝いできたことさえ誇らしく思えてきます。

そうした感慨を胸に、目の前にあるごろっごろのレタスたちを見つめます。
いつもはレタスのまとめ買いをすることなどほぼないですが、こんなレタス長者になったチャンスにはしたい料理があるんです。

それが、レタス鍋。
白菜のかわりにレタスをお鍋の具材にするだけなんですが、これが、美味しいの!!
友人から教えてもらってやみつきになっています。

友人の、山代さん宅のレタス鍋風景です。一層鮮やかなレタスの緑。ミニトマトは切らずに丸ごと。

友人の、山代さん宅のレタス鍋風景です。一層鮮やかなレタスの緑。ミニトマトは切らずに丸ごと。

さっと出汁にくぐらせることで、しゃきしゃきした歯ごたえを残しつついい具合にしんなりします。これをポン酢につけていただくと、歯ごたえとみずみずしさと甘さがたまらない……さっぱりしていて、もういくらでもイケます。いくら食べてもヘルシーだし。

さらにうちの場合、後半は煮込みます。他の野菜も一緒に、肉や魚介類から出た出汁とトロトロに煮込まれたところにご飯をイン。コチュジャンやかんずり、ゆず胡椒をトッピングすると最高の雑炊になります。あー。たまらないわー。幸せでしかないわー。
ハフハフして、するする食べていると、ああレタスは他の食材同士を調和させる役割を果しているんだなあと気が付きます。

どうしよう。書いてたら今夜食べたくなってきた!

 

キクイモ

知ってました?菊芋。
わたしは名前を聞いたことはあった程度で、食べたことはもちろんありませんでした。
やはり先日ボランティアに伺った農家・よぜむファームの山木さんに見せてもらい、菊芋チップスを試食したら妙に美味しくて手が止まらなくなりました。

素朴の極致です。でも後をひくんです。

素朴の極致です。でも後をひくんです。

彼女が「便秘にすごく効くんですよー」と殺し文句を発したことで、脊髄反応的に彼女から芋そのものを購入してしまった次第。「なんでスーパーなどで売っていないのかなあ」とつぶやくと、「足がはやいんですよね」とのこと。なるほど、腐りやすいから流通しないのか。

見た目は小さなサトイモみたいで、不愛想なごつごつの芋です。

小ぶりでごつごつしています。

小ぶりです。

そして見るからにかたそうで、皮が剥きにくそう。
キンピラが美味しいらしいので、皮剥いたらもったいないしね!とそのまま薄くスライスして炒めました。包丁の刃は入りやすく、手ごわく見えたのに拍子抜けです。

できた菊芋のキンピラは、「お?これイケるね」とつくった本人が驚くほどちゃんと食べ物になっていました。芋といってもでんぷん質がほとんどないらしく、食感がしゃくしゃくと楽しい。食べ慣れないものには警戒心を抱きがちなこどもたちも「なにこれ」と言いながら食べ続けていましたからね。本当にヘンな、魅力的な食材!

きんぴらごぼうにちょっと似ていて、もっとサクサクです。

きんぴらごぼうにちょっと似ていて、もっとサクサクです。

でも、美味しい、と大きな声で言えるかんじでもないのが面白いです。どこか救荒食のような洗練されていない風味なのです。ふと、太平洋戦争の時に捕虜に収容所でゴボウ料理を食べさせたら「木の根を食べさせられた」と虐待を主張されたという話が脳裏をよぎってしまって、ぶんぶん頭を振りました。

菊芋、なかなか手に入らないなら、自分で育ててみようかな。

米麹
最後に、とっておきを2つ紹介します。

ひとつはノンアル。南風農園の渡邊さんにいただいた米麹を、甘酒にしました。

甘さがちょうどよくて、大好き。自画自賛。

甘さがちょうどよくて、大好き。自画自賛。

甘酒ってこのわたしでも失敗せずつくれる、簡単な発酵食品なんですよね。炊飯器に米麹とお水を入れて保温にし、一晩おくだけでできてしまうのです。
市販の甘酒は砂糖を加えているものがほとんどですが、自家製の甘酒は米麹に由来する甘さだけ。それでも充分、「なんでこんなに甘くなるんかい!」というほど甘いです。ああ発酵って不思議だわ。

これを毎朝1杯飲むのが楽しみで、眠たい朝もえいやと起きます。
けっこうなコーヒー中毒のわたしは、起きぬけに必ず熱いコーヒーを淹れて飲むのがここ30年来の習慣なのですが、甘酒がある時はコーヒーをパスしてしまうこともあります。砂糖の甘さとはまったく違う、コクとうまみのある甘酒の甘さが本当に好きです。

昔、砂糖がなかなか手に入らなかった時代に、手元にある米で甘いものをつくってしまった知恵がすごい。ありとあらゆる美味しい飲み物がある現代でも、甘酒は別格に美味しいもの。

もうひとつの米麹は、アルコールです。
うふふ。うちの地元のどぶろく!

どーん!その名も「伊予ヶ岳」。近所にそびえる336.6m。

どーん!その名も「伊予ヶ岳」。近所にそびえる336.6m。堂々と低い山です。

どぶろく特区になった南房総市の平群地区にある和光食堂が、地元の方々と協力してつくったお酒です。ある方からいただいたのですが、どぶろくを飲みつけていないわたしはびっくりしました。
深い酸味とほんのりとした甘味があり、よく熟れた果物のよう。口の中に残るつぶつぶを噛むとお米の味がして、飲みながら風味が変化していきます。「これ……すごく、美味しくない?」と、思わず二度見ならぬ二度飲み。飲み物なんですが、食べているような満足感もある、本当に豊かなお酒です。

米麹は、偉いです。なければないで暮らすのに困りはしないけれど、ひとたびその恩恵にあずかると、切らす寂しさを思いたまらなくなります。
今巷には、ないものはないほど多様な食材が溢れ、これまでの歴史の中でいちばん豊かな食生活を送っているだろうということを疑いもしませんが、昔から日本にある素材の力を再発見すると、ちょっと謙虚な気持ちになりますね。

……ということで、わたしの暮らしに活力を与えてくれるパワーフードをご紹介しました。贅沢はしていないけれど、うん、けっこういいもの食べてるな。自分。これも南房総のおかげだな。

You are what you eat.
あなたは、あなたの食べたものでできている。

世の中のあれこれに右往左往しすぎず、まずは自分の食べ方、生き方をちゃんとしよっと!と、改めて思います。

 

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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