暮らし術

あと2ヶ月半で2020年が終わるみたいですよ。信じられますか?

わたしは信じられないね。今年は宙に浮いたような数ヶ月があったからか、例年の倍速でここまできた印象です。季節の移ろいを肌で感じると「おいおい、こっちの気持ちが追っつかないよ」と右足でブレーキを踏みたくなる。そんな人間都合などお構いなしに、気が付けば17時を過ぎるとストンと暗くなるところまで暦は進んでしまいました。

コロナ禍で、突如リモートワークも注目されるようになりました。ワーケーションという言葉も、なぜか国が連呼するように。まあ一時的な盛り上がりだろうなと思っていたのだけれど、実際わたしのところに寄せられる「二拠点生活がしたいのだけれど」という相談は激増しています。すでに家を探し、始動した人も少なくありません。“会社に行く”という習慣を外しても今までの仕事ができると知った人たちは、そこで生まれたゆとり時間で何をしたいか、真正面から考える機会を得たのだと思います。

誰かの大きな声に引っ張られたわけでなく、ブームに乗ったわけでもなく、しみじみと自分の暮らしを見つめた上で「やれるんじゃないかな、二拠点生活」と思う人が増えたのはすごく嬉しいです。

わたしたち家族は、二拠点生活を始めて13年と10ヶ月経ちました。もはや南房総での暮らしが「食事をする」という行為くらい自然に組み込まれていて、必要不可欠なものになっています。なんですが、だんだん慣れて飽きて、ってかんじでもないんですよ。小さくも印象深い変化が都度あるし、受け止める方の感性も変化しています。

うちではネコが増え、つまり二地域居住の構成員が増えました。「まっくろ」と言います。先住ネコの「くろ」より黒いんで。2匹で丁々発止やってます。

うちではネコが増え、つまり二拠点生活の構成員が増えました。手前の子猫の名は「まっくろ」と言います。先住ネコ「くろ」より黒いんで。

最近つまらないのは、集落の道普請(みちぶしん)に出られていないことです。
道普請とは、道路や水路の草刈りをする共同作業のこと。いつもはその日が近づくと呼び出しの声がかかるんですが、コロナ自粛以降、東京と行き来しているわたしには声がかからなくなりました。決して村八分ではなく「万が一なんかあったら、みおりさんが原因でなくても田舎はいろいろ言われるからよぅ、疑われるようなことがあったらヤだべ?まあまあ、今年いっぱいはいいから」と、むしろ気を遣ってもらっているという具合です。
もちろん自分自身でも参加は控えた方がいいのではないかと迷っていたはずなので、はっきりと言っていただく方が俄然ありがたいんですけれどね。

だけど、これが、思いのほか寂しくて。
きれいに刈られた道端の様子を見ると、戦力になれない申し訳なさと、ああ一緒に汗流したかったなという気持ちが両方出てきてしょんぼりします。加えて、「定住していればなあ」という悔しさもむくむく立ち上ってきます。

移住や二拠点生活を考えている人たちから「地域で行う草刈りはどれくらいの頻度ですか?出なければいけないですか?」という質問をされることがあります。
わたし自身、二拠点生活を始めてから2-3年はこの共同作業に加わらずにいました。集落のみなさんのことをよく知らず、参加する機を逸してしまって。きっと地域からも「たまに東京から来るよくわからない家族がいるけど、声かけづらい」と思われていたはずです。

で、やらないで外から見ていると「めんどくさそう」に見えるんです。日時が決められている拘束感やら、自分のところの草刈りも大変なのに共同作業までやらなきゃならないのかー、という負担感やら。

今では参加するのが当たり前ですし、むしろこの日に馴染みのメンバーと一緒に体を動かす時間が好きです。特に盛り上がりのある会でもなく、道端に並んで、せーの!で刈り始め、きれいになったら終了。というだけなんですけどね。

今年はそんなわけで戦力外通告を受けて、実際は「やらないで得しちゃった」と思うかな?と自分の心を検証してみたところ、圧倒的に「えーーつまんないーーー」という気持ちが勝っていました。
共同作業はめんどくさかろう、という印象は、ある種の典型に当てはめた想像なんだなと改めて思います。少なくともわたしは、来年コロナ自粛が訪れず、朝8時半に刈払い機をかついでいつもの道端に行くのが待ち遠しいです。
まったく。コロナめ!

今年はヒガンバナがちょぴり遅く咲いた気がします。

今年はヒガンバナがちょぴり遅く咲いた気がします。

他に今年の特徴として感じるのは、いつもは初夏から夏にかけてもっとも雑草の伸びが早いのに、今年は9月過ぎてからのほうがガンガン草が伸びていること。それから、蚊も今がいちばん多いこと!ほとんど晴れなかった7月と、恐ろしく暑かった8月のせいでしょうかね。いろいろ例年と違います。

こんな時期にモサモサ元気に伸びやがる雑草に驚きながら、刈払い機が手放せない昨今です。でもさすがに10月は暑くなく、ちょっと汗ばむくらい動く方が気持ちがいいです。

それにしてもね、ふと見ると、美しいんですよ。
「雑草」と言われるモサモサが。
刈ってしまうのが惜しいほど。

使われずに雑草が伸び放題の農地のことを「耕作放棄地」と言います。耕作放棄地は里山の景観を悪くしますし、何年も人の手が入らないことでごっつい雑草が繁茂し、灌木が生えはじめ、害獣も棲みつきはじめ、元の使える状態の農地に戻すことが難しくなっていきます。

土手の草も、伸びすぎると刈るのが大変になります。傾斜のついた場所は足場が悪いので、そもそも刈るのがとっても大変なんです。
マメにやらなければあとで苦労するのが目に見えています。なので、田舎の人がいつもいつも草刈りをしているというわけ。

そんな事情があるもんだから、雑草を見ると反射的に「あーー刈らなきゃ」と思ってしまいます。目に映る植物の姿が脳に届く前に、刈払い機をかついで雑草退治をしている図が頭の中に立ち上がってしまう。

でも、先日。いざ刈らんと雑草の真ん中に立ち尽くした時のこと。
太陽に向かって笑うように花を開き、風に揺れ、チョウやハチやいろいろな虫たちを受け入れている雑草たちは、なんて綺麗なんだろう、と思いました。

繁茂する雑草。でもこれ、「お花畑」ですよね。

繁茂する雑草。でもこれ、「お花畑」ですよね。

こんな美しい場所を丸刈りにするなんて、ナンセンスだよなあ、と思いました。

それでも結局、ここも刈っちゃいました。これ以上伸びると、刈払い機の刃に絡みついて途端に作業が大変になるから。

雑草が憎いわけじゃない。美しく、ずっと愛でていたいけれど、刈るんです。

害獣も同じです。
先日、夜トイレに行こうと思って窓際の廊下を歩いていたら、外で大きめの物体がカサコソと動く気配がしました。なんだろうと思ってスマホのライトで外を照らすと、アナグマがいました。ひょこ、とこちらを見るから目が合った。目のまわりの模様がたれパンダみたいで、タヌキくらいの大きさです。

これがかわいくてね。「なんスか?」という風情で立ち止まっているので、じーっと見つめ合ってしまいまいた。
アナグマは人懐っこいらしく、1対1で会うと情がうつりそうなほどかわいいです。イノシシの子、ウリ坊もそう。親子連れでてってってーと行進しているところを見ると愛しさはカルガモとさほど変わりありません。でも、人間世界に被害を及ぼす害獣であり、駆逐される対象です。

感性の動きと必要な行動は、時としてバラバラになることがあります。それは切ないのですけれど、美しい、かわいい、という気持ちの動きをひん曲げて対象を嫌うことはない。最近わたしはそう思っています。

アナグマと会った日は、きれいな星空でした。

アナグマと会った日は、きれいな星空でした。

そういえば、この南房総の家なんですけどね。
最近は免許をとった息子が勝手に友達を連れてしばしば来るようになっています。もちろん親のいない時に。釣り道具やらサーフボードやら食材やらをどっさり車に詰め込んで、みんなで楽しげに出かけていく姿だけは何度か目撃しています。
屈強な男子大学生たちがこの家を使っているなんてね。どんなかんじなんだろう。息子は写真を送ってくれるほど親切ではないのでよく分かりませんが、気を遣わないでいいガランとした古民家なのをいいことに、気楽に使える学生の宿と化しているようです。

これが何とも、嬉しいんです。
こどもたちが大きくなり、これからは夫婦だけで行くことも多くなるなあ、家族5人で目いっぱい使っていた頃をピークに、この家も稼働率のしょぼい未来に進んでいくのかなあと内心思っていました。それがここにきて、14年間でもっともよく使われている状態になっているというね。
うちに来た学生たちが楽しんでいってくれて、何度も使ってくれて、南房総の思い出に厚みが出来ていったらいいなあと、心の底から思います。

これはきっと、わたしが初めて知った感覚です。
若い世代に自分の大事なものが受け継がれ、自分抜きで未来にそれが使われている状態を想像するだけで、すごく嬉しくなるという、このかんじ。なんなら受け継いでくれるのが自分のこどもじゃなくてもいい。わたしたちが、前の地主だった小池さんからこの家を受け継いだように。

人間って、不思議ですね。自分の命が終わるところまでで想像がスパッと切れるわけじゃないんだから。いや、人間だけじゃない。「次世代に継ぎたい」というのは命をつなぐ生きもの全体の根源的な欲求かもしれません。

わたしにとって南房総は、そういう欲求を感じる場所になっています。
でもこれって、ちょっと粘っこい欲求ですか?以前はもっとサッパリしたかんじで、自分の大事にしているものを若い世代に継ぎたいと思ったことなどなかったんだけどな。
愛着って、深まるものなのだな。

今でも家族全員で南房総にいる時が、2ヶ月に1度くらいあります。末娘のギターを聞きながら潮風にあたっていると、大げさでなくて「あーこれまで生きててヨカッタナー」と思います。

今でも家族全員で南房総にいる時が、2ヶ月に1度くらいあります。末娘のギターを聞きながら潮風にあたっていると、大げさでなくて「あーこれまで生きててヨカッタナー」と思います。

さて。秋もどんどん深まります。
南房総は今が1年でいちばん気持ちがいい季節です。個々それぞれ、タイミングのいいときに、ぜひ遊びに来てくださいね。
そしてみなさん、引き続き元気でいてください。

 

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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