「2021」という字面にもなじんできた2月半ば。
みなさん、いかがお過ごしですか。
わたしたち家族は、2拠点生活を始めて15年目に突入しました。早いものです。
我が家の元の持ち主さん家族がこの家で最後の夜を過ごした次の朝、玄関前で「よろしくお願いしますね」と鍵を渡され、入れ替わるように暮らし始めたのは2007年1月10日のことでした。
もう、とおーーーーい過去の記憶です。
「二拠点生活ってできる?できない?」とヤイヤイ言われている時代にあって、わたしにとって週末田舎暮らしは朝起きたらコーヒーを入れるのと同じくらいのルーティンになっています。
……が。
実は先月は、2週末連続で南房総行きをパスしちゃいました。つまり、3週間南房総に行かなかったということ。(じつは仕事で平日1度行ってますが、家にはいませんでした。)「2週末連続パスはしない」という不文律があるんですが、これを破りました。緊急事態宣言とは特に関係ありません。
そもそもなぜ3週間行かないのはよくないかと言えば、①そんなに放置すると草が伸びすぎて刈る気がしなくなる。②部屋にカビが生えたとしても経験的に2週間ならまあなんとかなる。それ以上だとカビに根が生えて掃除が大変になる。③何かあったとき(雨が漏るとか、イノシシが柵を破って入ってくるとか、家に動物が侵入するとか)対応が遅れるとあとが大変。④週末は南房総、というリズムが崩れると行くのが面倒臭くなる。そんなところです。
➀と②は、冬場はあまり心配ありません。(だから今回も実態的には不都合はありませんでした。)
③はまあ事故みたいなものだから想定のしようがない。
そして④は、現在のわたしについて言えば身体に刻まれたリズムの方が強いので「どんどん面倒くさくなって二拠点生活やめました」となることはもうきっとないでしょうけれど、最初の頃にサボり癖がついていたら分からないなと思います。やりたくてやっている暮らしだから「サボる」も何もないんだけどね。でもやっぱり、継続には意志の力もちょっとは必要。そんなわけで「2週末連続パスはしない」ルールはいいかんじで機能しています。
ところで、南房総に行かなかった2週末は何をしていたか。
もちろん東京にいなければならない事情があったのですが、その他の時間は正直、何をしていたかあんまりよく覚えていません。東京は緊急事態宣言中ということもあり、派手にどこかに出かけることもなかったしね。
一生懸命振り返ると、
……とまあ、こんな週末でした。
うん、東京にいると野良仕事をしなくていいから、すごくのんびりしている印象です。そしてなかなかラクチンで幸せでした。きっと二拠点生活なんかしていない大多数の人たちは、みんな毎週こんななんだろうな。草刈り竹刈りもしないし、それを燃したりもしないし、往復に時間もとられない。その分、本を読んだり趣味をしたり、それこそ身体を休めたり。
一生懸命野良仕事をして充実しているような気になっている週末田舎暮らしですが、よーく考えたら生産的なわけでもなくて。2007年に南房総に転がり込むことがなかったら、それはそれで特に不足も感じずに暮らしているんだろうなと想像しました。
そして「めんどくさいな。来週行くの」とチラと思ったりもしました。
でもね、いくら草の伸びない冬場とはいえ3週間も行っていないとだんだんお尻がムズムズしてきます。
煎じ詰めれば、理由はひとつ。この時期ならではの理由です。
それは、
あー、今年もまたこの話を書いてしまった、、、
毎年同じこと書いているので、読まされる方はいい加減飽きてますよね。すみませんね。でもわたしはなぜか飽きないんですよ。1年経つとまた楽しみで、また感動するんですよ。自然のサイクルで淡々と毎年芽を出すだけのフキノトウに、こっちは勝手にいちいち盛り上がってるわけよ。
ただ、ちょっとした変化もありました。
今までは、ファーストフキノトウは見つけたその日に天ぷらなどにして食べて「たまらん!一番に春を満喫!」と頂点とった気になっていたのですが、今年はなぜかこの青い春の香りを真っ先に「大事な人に届けたい」と思いました。
自分が食べるのは、その後でもいいかな、って。
たかがこの雑草の芽を見つけるだけのために、半日自分の時間を費やして這いつくばって過ごすなんてね。まだ数えるほどしか出てきていなかったから、腰を曲げてウロウロと、あっちこっちの土手を行ったり来たり。
その間、ズボンのポケットにいれたスマホからはClubhouseの通知音がしつこいくらい何度も鳴っていました。この間アプリを入れたけど、あれけっこう面白いよね。いろんな業界の話を喋ったり聞いたりすると、ああコアな世界とつながってるなー楽しいなーと感じるよね。でもこの瞬間、わたしはClubhouseが色褪せて感じるほどフキノトウに熱中していました。傍から見たら孤独で非生産的でつまらない作業にしか見えないだろうけどさ。
そして、頭の中ではずっと、渡す相手のことを考えていました。あの人どうやって食べるかな、この量なら天ぷらかパスタかな、もう少したくさんあれば蕗味噌もイケるのにな、ってね。
美味しいもの、美しいもの、素敵なものと巡り合うと、そこにいない誰かとシェアしたくなる。これって二拠点生活の豊かさのひとつかもしれません。時間が来れば東京に帰るわけで、その時に「持って帰ってきたよ!!」と届けに行くことを考えると、復路さえもワクワクしたものになるのです。
そういえば先日PCの古いデータを整理していた時に、11年も前の、こんな恥ずかしい文書が出てきました。
ひらがなばかりの、こんなもの。
娘が保育園に行っていた頃、野草を見つけるのがあまりにも楽しくて美味しくて感動して、園児たちにも分けてあげたいなあと考えて、こんなお手紙を張り出してもらったのでした。で、たくさん採った食べられる野草を小袋に分けてフリマみたいに保育園のテラスに並べ、欲しいご家族に持って帰ってもらったと記憶します。
園児たちにどれくらいこのワクワクが届いたかは微妙ですが(もっと微妙なのは園児たちが美味しいと思ったかどうか)、このあと「行ってみたい!」という娘の友達がたくさん遊びに来てくれるようになりました。
あの時ひわひわの園児だった娘は今、高1です。校則のない自由な学校に通い、青いマニュキュアをして髪の色も軽くして、インスタには「コレは一体誰?」という巨大な目に加工した写真をアップしている青春謳歌中の女子高生ですが、蕗味噌が何よりの好物。なかなか南房総に来ないくせに、「フキノトウは?ねえ持って帰った?持って帰ったのに食べないの?なんでなんで?どうしてあげちゃうの?」とうるさいです。
里山の春は、日ごとどんどん進行していきます。見逃したら、どれだけ後悔するだろう!これって赤ちゃんを育てていた時の感覚に近いです。この瞬間、あの瞬間、全部立ち会いたいんだよ。
行かなきゃ行かないで実質問題ないけど、わたしの人生的には問題大アリっぽいんで、引き続きホイホイ通うでしょう。みなさんも緊急事態宣言が明けたらぜひ、遊びにいらしてくださいね。