暮らし術

こんにちは、馬場です。
新年度ですね、いかがお過ごしですか?

我が家はこの春、家族5人中4人が成人、という組成になりました。真ん中の娘が18歳になったからです。
なんてこった!大人の集団になりつつある。
子育てというのはなだらかに大変になりなだらかに終わっていくのではなく、始まってからずーっと超多忙で突然終了の合図が鳴るかんじなのでハッとします。

年配の人はかならず「子育て終わると寂しいわよ、今を楽しんでね」と言いますが、渦中にいると「楽しむもなにも今この子を寝かしつけて楽になりたいんだよ!」と思うんですよね。
でもいざ子育て終盤に近づくと、自分も若いママに同じことを言っているという、ね。

歴史は繰り返されます。

そんなわけで今うちにいるのは、21歳、18歳、13歳の大きなこどもたちです。

だからなのか、まちで見かける中学生や高校生がやたらかわいく見えます。
自分のヒトデナシさかげんを白状するようですが、昔は「中高生くらいの子って、かわいいとは言い難いなあ」と思っていました。特に自分がちいちゃな子を育てていた時はね。中高生は中途半端に大きくて、いろいろアンバランスで、どこか得体のしれない不安定な生きものに見えていました。
それが今では、メタモルフォーゼのさなかにある存在特有の魅力をありありと感じ、いやー中高生いいねえ、と思うようになっています。彼らの中の葛藤も含めて尊いものに感じるのです。

このギザギザしたあんまりかわいくない虫は、ナナホシテントウの幼虫。虫の変態は分かりやすいですが、人間もまた変化の生きものです。

人の感受性というのは経験を重ねることで開発されていくのだなと、身を持って知る昨今。歳をとるって面白いことですね。

それで言うと、最近ことさらわたしの意識が向かいがちなのは高齢者です。
母の暮らす東京のマンションにはいつも管理人さんのところに何かを言いに来る認知症のおばあちゃんがいるんですけどね。話している内容はかなりおぼつかないんですが、寂しい程度とか、不安の根本にあることとかが、会話から伝わってくるんです。昔はキュートだったんだろうな、とか。それで思わず話し込んで、母に腕を引っ張られたりします。

なぜかまわりのおじいちゃんおばあちゃんに目がいって仕方ないという、この感覚も未知そのものです。

わたしは幼少期に高齢者と接点が少なかったからかもしれません。お正月やお盆にたまーに会うくらいで。親が歳をとって介護で頻繁に会うようになり、自分の中にようやく高齢者との交流チャンネルが立ち上がった、というかんじです。

チャンネルができると、風景が変わります。
たとえば、南房総での暮らしが一段と楽しくなりました。
なぜなら、ご近所さんに高齢者がたくさんいるから。

それは今に始まったことではなく、以前から親しくしている(とこっちが勝手に思っていた)高齢者はわりといるんですが、思い返せば、親しい1人2人を除けばサラッとしたお付き合いだった気がします。陽気の話をしたりお野菜をいただいたり。それでも十分「親しい」と感じていたしね。都心ではご近所の人たちと挨拶以上の関係がないのが、普通ですから。

最近は、そんなご近所さんと一緒にゆっくり過ごすのが楽しいです。
ちょっとした用事に伺ったついでに(うちはちいさな山の上の方にあるから来ていただくのは大変なので、こっちから伺うことが多いです)お茶とちいさなお菓子なんかも持っていって「一緒にお茶しませんか?」とナンパすると、タイミングがよければ玄関のたたきに座布団を出してくれて、ホンモノの「茶飲み話」が始まります。

近藤牧場のプリンを食べながらのひととき。生ナバナと冷凍ナバナをいただきました。

家族のこと。畑のこと。身体のこと。昔のこと。愚痴。自慢。悲しみ。喜び。
たわいもない話から打ち明け話までいろんな話をします。どんな話なのかという詳細は彼らとの信頼関係があるのでお伝えしませんが、知れば知るほどその人が大切に思えてくるものです。心がぐわんぐわんするほど揺さぶられ、一緒に涙が出ちゃったり、笑いすぎてまた涙が出ちゃったり。

最近わたしは四十肩なので、身体が痛む話がやたらと理解できます。
四十肩は本気でシャレにならないくらい辛いので最ッ悪ですけど、身体の話で盛り上がれるチャンネルができたことは嬉しい気もします。
お年寄りの痛い自慢大会ってこうやって始まるんだね?とチラッと思いながら。笑。

こんな風にいろんな話ができるのは、実は、身内じゃないからかもしれません。
たとえば母が相手だと、心に寄り添うフェイズはすっ飛ばして「痛いの?病院行く?」と実際的な話に終始するでしょう。冷たい娘だね。近い関係だから何でも話せるってわけではないものです。

そう、南房総の彼らにとっては、厳密に言えばわたしは「地域の人」ですらない。
しがらみの外にいることで、話しやすいこともあるのかもしれません。
二拠点生活者は “中にいる、外の人”という独特の立ち位置なのでしょうね。

いくらわたしが根を張っているつもりでも、地域からすれば「風の人」なのかもしれない。これまではそれがあんまり嬉しくなくて「土の人」に憧れていたけれど、今は受け入れられる気がします。

「地方の高齢化が進む」というニュースなどを聞いていると、しょんぼりと活気のない風景をイメージしがちかと思います。たしかに、10年後にここはどうなっているか分からないなあ、という不安はあります。一方で、目の前にいる彼らは、めっちゃくちゃ頼もしくてカッコいいです。いろいろな大変なことを抱えながらも前を向いています。こっちも背筋が伸びるようです。それはイメージとだいぶ違うところ。

先日は、畑の上手なおばあちゃんと話しながら「わたしも畑に立ち続けたらいい歳がとれるかなあ」とぼやいたら、「畑はいいよ、面白いよ。繰り返しに見えるかもしれないけど、毎年毎年研究してるの。去年はね、春植えのジャガイモを秋にも植えてみたの。そしたらちゃーんと芽がでて、ちゃーんと冬前にできたの。でも去年は実験!まだまだ人様にはあげられない。今年も挑戦するから、うまくできたらあげますからね」と言われました。

ひとり暮らしの中に研究があり、実験があり、挑戦がある。
ほんとうに素敵だと、わたしは思う。

これは、ご近所の酪農家さんからいただいた朝搾りたてという牛乳です。ちょっとびっくりするほど美味しい!彼らが何十年も大変な酪農を続けてきたから、この牛乳をわたしがいただける。ありがたいです。

思い返してみると、都会生まれ都会育ちで田舎のなかったわたしたち家族は、「こどもたちに “おばあちゃんのいないおばあちゃんち”をつくりたい」と二拠点生活を始めたのでした。

夢中になって暮らしていたらあっという間に15年も経ち、わたし自身にとって「おじいちゃんもおばあちゃんもいる田舎暮らし」になっている。

こんな展開、予想できるもんじゃないですね。二拠点生活を続けていくなかで、自分が変わり、周囲も変わり、感性は熟成し、関係性も熟成し、結果的にフレッシュな感動に身を浸すことがますます増えていくなんてね。

水蕗を手にいっぱい持ってきてくださった。東京の友人らと分けました。小出さんは、わたしの大事な人から、わたしたちの大事な人になっています。

ちなみにひとつ告白すると、今年は初鳴きのウグイスや新芽のノビルやセリなどに触れたとき「おおおおお!」というより「お!」というかんじでした。で、新しく二拠点生活や移住をしてきた人たちがとっても嬉しそうなのを見てにっこりしています。
こういう変化も、自然なことかもね。

良き春をお過ごしください。
南房総は、タケノコのシーズンですよ!

 

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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