暮らし術

6月から暑さ全開で、そろそろ秋になってくれと身体がうんざりしているのにまだ夏本番。今年の夏はやたらと長いです。
みなさま、元気に生き延びていますか?

梅雨はさっさとあけましたが、梅はちょっと待って、漬け込み時間と紫外線の強さがちょうどいい土用干し。今はそうめんにも冷や汁にも今年の新梅干しを使えています。

わたしは比較的暑さに強く、寒いのは勘弁という夏型人間です。でもそれも程度問題。外気の熱が皮膚にまとわりついて息苦しく、玄関の外には「命に関わる危険な暑さ」がある夏は勘弁です。
ちょっと前までは東京だろうとなんだろうと、夏が大好きだったのにな。

エアコンで何とか生きられる状況を確保して、そうすると電力不足が気になって、しかも表はその排熱でますます逃れようのない熱気に包まれるという都市で、みちみちと集まって暮らすのは本当におかしなことだよ。ぶつぶつ。

と、なんでこうも愚痴っぽいかというと、昨日南房総にいて、改めて衝撃を受けたからです。

 

なににって?涼しさに、です!

頬をなでるそよ風が、涼しさを運んでくれるありがたさよ。
東京では日中の最高気温が37度。風なんてまるでドライヤーの熱風ですから。

「風が涼しいね」「木陰は涼しいね」と思える夏のある場所に身を寄せたいと願うのは、生きものとして自然なことだと思いませんか?土があって緑があって、ちゃんと空気が冷やされる場所で生きたい……かつての人々が「避暑」イコール「贅沢な別荘暮らし」と考えていたのとは趣が異なり、今はそれが命を守る行動だと思えてきますよね。

朝夕の涼しい時は野良仕事をして、日中は近場の海へ。シャワー代わりです。そして館山の海の透明度は別格です。

 

ところで、先日のこと。

金曜夜に南房総に行こうと思って車を出そうとしたら、いつもは部活や塾で東京に残る高校3年生の長女がすごい顔をして走ってきました。

「わたしも行く。5分で支度するから待ってて!」

一体どうしちゃったんだろうと思いました。
彼女は3兄妹の中でも極めて都会派で、南房総での週末田舎暮らしについては「行きたい人達で行ってきてどうぞ」というスタンスでした。年に数日ある家族全員集合デー以外、彼女は東京の家守みたいな存在でしたから。

で、本当に5分で車に転がり込んできました。
化粧水やら日焼け止めやら参考書や問題集やら置時計やら、よく分からない自分の身の回りのいろいろをガサッと袋に詰め込んで持参。中2の妹も持参。

「もう限界。ずっと逃げ出したいと思ってたの、分かる?
防音が効いている塾の自習室でずらっと並んでシーンと勉強してる場所に1日いてごらん?
頭狂いそうになるから」

受験生は普通にやってることだろうけど。笑。

いつも鼻歌を歌ってのんびりゴキゲンそうに生きている子なので、受験勉強もプレッシャーなどあるように見えませんでしたが、本人的にはそこそこ追いつめられていたみたいで(知らなかった)とにかく東京から離れたかったそうです。
今年は受験だからさすがに家族旅行とか無理、と言っていたのに、ちがうところで無理が出たわけだね。

アイスとかお菓子とかコンビニでいっぱい買い込み、にわか合宿の風情です。明るみに誘われて飛んできたカブトムシを指にくっつけたままコンビニに入ろうとしたら「そういうの非常識って言うんだよ、分かる?」と諭されました。不自由だ。

 

ひんやり涼しい南房総の夜。星降る夜。

朝寝坊ののち、「ここは身体が楽だから勉強がはかどる」と言いながら2人して机に向かっていました。
東京ではぐーたらしているくせに、せっかく南房総に来た日には勉強するなんて意味が分かりません。こどもが勉強する姿を見るのは悪くないんですけど、外でのびやかに過ごす姿の方が見たい。
「今日はいいじゃん、あそぼうよー」と邪魔したくなります。

やっている風。時間を測って何かを解いていたのに、途中でつっぷして寝ていました。

昼前ごろ。
食材を買うために近所の道の駅に行こうとし時、「わたしも行く」と長女。
(妹は「いい、待ってる」。思春期のめんどくさい病真っただ中にいます)

ぶーんと農道を走ると、助手席で「う、う、泣きそう」と顔をゆがませていました。大げさな、と笑い飛ばそうとしたら、本当に心が溶けているんだなと見ていて分かりました。

田畑が広がり、青い空が広がり、セミの声が聞こえる、ただの近所の風景です。
わたしにとっては毎週の日常。
娘たちはこういう田舎の風情は刺激がなくてつまらないんだろうなと思っていました。小さい時から毎週末、田舎で育てたから、飽きちゃったんだろうなと。

ご近所さんの田んぼ。もう稲穂が色づいています。

「分からなかったんだよ、ここの良さが。自分に必要がなかったんだと思う。でも今は生き返る」

うむ。そんなに勉強頑張ってたっけ?

「もう部活もないし、体育祭も終わったし、今日も明日も勉強だけで、もっと頑張っている人もいて、あーわたしはこの先どうやって生きていこうって思いながら勉強してるんだよ。メンタルやられてくるわけよ」

「友達でね、将来農家になりたいっていう子がいるのよ。料理の道を目指しながら、食材も自分でつくりたいって。自分で1から生活をつくるイメージできるのってすごくない?わたしなんてまだ何がやりたいか分からない迷子なのに。
でも南房総の景色見てると、そういう生き方にもリアリティが湧いてくるよ。わたしも自分本当にやりたいことを仕事にしたい。って、なんだろ。あはは」

息せききったように語ってくる長女を見るのは久しぶりでした。

かつてよく来ていた道の駅「鄙(ひな)の里」で白桃ソフトクリームを頬張る。しあわせ~~~と。思春期になった頃かな、なぜか突然彼女が「ここが道の駅ってものね!」と都会からの観光客みたいなナゾの演技をしてたのを思い出します。田舎で育てたら都会に憧れてしまったなあと苦笑したものでした。

 

我が家のニホンミツバチをともに観察。脚についている花粉玉を凝視していました。長女、以前は虫大っ嫌いと言い放っていたけど、好奇心の窓が以前より開いているようだな。

 

こどもって面白いですね。
勝手に田舎から離れて、勝手にまた引き寄せられる。
親がコントロールできるようなことではなく、本人の中身が熟成するに従って感性が変化し、キャッチするものが変化するわけです。

かつてこどもたちが南房総から離れていった時、親としてはけっこう寂しかったものでした。こどものためにつくってきた週末田舎暮らしなのに、こどもはそれを既成の暮らしと受け止めて、脱出したがる。皮肉だよねと。

でもどこかで、そんなもんだろうと思っていました。自分も親が思うような人生をつくらなかったのと同じです。親は、人生づくりの「素材」を示すことはできても、提供した「素材」を使うも使わないもこどもの自由。反発を感じるのも自由。

こどもは他人であり、自然であり、御しがたい存在であることが、尊いと感じます。だから必要以上に手を加えたくない、というかんじです。

近所の小出さんの家に遊びに行きました。彼が蒐集(しゅうしゅう)している日本刀や火縄銃などを持たせてもらい、昨今の国際情勢や平和についての話をする。南房総の里山で暮らす地域の友人たちが膨大な知識や意見を持っていることにびっくりしていました。

 

結局のところ、「避暑」の環境を利用して彼女が机に向かって勉強した時間はほんのわずかでしたね。

「世界史の先生たちって歴史の話をするときにとっても楽しそうなんだよ。で、歴史系の先生同士で旅行して、感動したことを共有するのがすごく楽しいんだって。知識があると感じられること、見えること、分かってくることがあるだろうってことは分かる。だから世界史は好き。暗記は嫌いだけど。
小出さんがあの知識をもってニュースを見れば、わたしがぼやーっと通り過ぎちゃう話からもいろんなことが読み取れるんでしょ。勉強しなきゃなーって思うのは、そういう人間になりたいから」

そういう人間になれるといいね。
そのわりに相変わらずチンタラ暮らしていますけどね。

競争の中で生きる現実を携えながら、塾の防音室にストレスを感じながら、めんどくさいけど開く世界史の教科書の中に幸せに生きるタネを見つけようとしている彼女を応援しようと思います。

勉強って、豊かに生きるためにするものだから。

 

来たい時にはいつでも胸を開いて待っている南房総があるよ。
いつでも逃げておいで。勉強の邪魔してあげる。
と、母は思っています。

残りの夏休み、みなさまも元気にお過ごしくださいね。
暑さや人生に疲れたら、南房総に来てね。

 

※本記事は、馬場未織氏の知識と経験にもとづくもので、わかりやすく丁寧なご説明を心がけておりますが、内容について東急リゾートが保証するものではございません。
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