突然寒くなりました。また年末が来ましたね。
お元気ですか?
こちら、とても元気です。
そして相変わらず寒いのは苦手であります。
家族はわたし以外、寒さに強くて薄着です。短いスカートからにょっきり足を出し「いってきまーす」と家を飛び出す娘たちを見送るわたしはヒートテックオンヒートテック。
同じ人間なのにまったく違う体感を生きているのが、いつも不思議でなりません。
でもね。
我が家は今年、小さな小さな熱源を迎え入れたもんで、気分はぬくいです。
来たのはこちら。
半年ほど前のこと。
野暮用があって山口さん宅を訪れました。
牛舎の手前の台車には、先日から山口家に新入りした猫のびびちゃんがのんびりしていました。
びびちゃんがここに来たのは1ヶ月ほど前でした。
牛舎に捨てられていたそうです。牛舎って、猫が捨てられやすいんですって。「牛乳をあげてもらえると思われているのかね」とのこと。
山口さんは、先住猫もいるからもう飼わないと決めていたそうです。
牛と牛の間に毎日ちょこんと座っているびびちゃんに、飢え死にされたら後味が悪いからと搾りたての牛乳を与え、毛がボサボサでしょうがないからと櫛を通し、かゆいと可哀そうだからとノミ除け首輪をし、健康維持をはかりながら引き取り手を探していました。(わたしも探すお手伝いをしていました。)
ほどなく、山口さんから「飼うことにしました♡名前はびびちゃんです」とLINEが来ました。
まあ、そうなるよね。笑。
捨てた人の思うツボなのが癪に障りますけどね!
びびちゃんが昔からここの主みたいな顔をして牛舎の前に鎮座しているのを見ると、こっちまで満たされた気持ちになります。これまでどんな扱いを受けてきたのか分からないこの子が、今では食事にも愛にも飢えないようになったわけです。
この日も、よかったよかったとつぶやきながら撫でていたんですが、何だかびびちゃんから妙な音がします。
「しゃー、しゃー」という水漏れのような。口は閉じているのに。
この子、気管支炎?いっこく堂?近くの水道管が壊れてる?
なんの音かな、、、まあ、いいや。
とその場を離れつつ、何気なく振り返ると、びびちゃんの直下でちいさな影が震えるのが見えた気がしたんですよね。
気になって駆け寄って台車の下をのぞき込むと、ネズミみたいなものがしゃーしゃー言いながら固まっていました。
その子に手を伸ばすと、怖がってものすごいスピードで逃げてしまいました。
まるで野生動物のような挙動で、その速さが尋常じゃない。
何だか手を出してはいけないような、神経の尖った獣といった姿にひるんでいたところ、山口さんがあらわれました。
「見慣れない白い車が家の前で停まったかと思ったら、この子がいたんだよ」。
また誰かがこの牛舎に猫を捨てたの?
なんてことだよ。
大変ですねえ、と他人事にすることもできたかもしれませんが、猫を飼っている人間はそうもいかないんですよね、実際にその子を見ちゃうと。
でもすごい速さで逃げて捕まらないですね、と言うと「そうでもないよ」と山口さんはうろうろしていたその子を見つけ、ひょいと抱き上げてしまいました。さすが、動物の扱いが上手です。
「うちもう飼えないから、みおりさんのところで引き取らない?」
うう、、飼いたいのはやまやまなんですけど……こちらもすでに猫2匹飼っていて……
迷いながらつぶやくわたしの言葉が宙に浮いている間に、「飲むかしら」と奥さんが牛乳を持ってきました。
牛乳を飲んですこし落ち着いたその子を、わたしはウッカリ抱き上げてしまいました。
いや、触れてしまったらもう、情が移ってしまうのは分かっていました。
縁というのは計画できるもんじゃない。
出会ってしまったら、わたしとこの子はそういうことだ。と、どこかで腹を括っていたから抱き上げたんだと思います。
正直、この子の容姿は良くありません。
コリコリに細くて、耳が大きすぎでグレムリンみたいな顔、ひねひねに曲がりくねったしっぽ。汚れだか模様だか分からないような模様。そして、野生動物みたいに馴染みのない動き方。鳴きすぎたのか、声が割れています。
そしてよく見ると全身ノミだらけ。
この子を、うちの家族が受け入れてくれるかというのが一番不安でした。
何より、本質的には猫が嫌いな同居の義母がこの3匹目をどう思うか。
何となれば土下座してでも導入するほかない。(そうやってこれまでも野良猫やら野良キジやら受け入れてきたんですよね。すんません!)
うちが引き取らなかったら、里親募集の写真を出したところで「かわいい子猫!」と引き取る人があらわれるとは思えなかったからです。
しかし、ヒトの心理って分からないものですね。
このあまりにも貧相なかんじがむしろ我が家には受け入れられました。笑ってしまうくらい、みんな同じことを言いました。
「うちで飼うしかないよ、この子は」
義母も言いました。
「よく分からないけど、この子は魅力がある」
そうなんです。
野山を吹き渡る風のような、野生動物のようなびわちゃん。
あらゆる敵から逃げ回って生き延びていた身体は逞しく、今も小さな身体でぴょんぴょん駆け回り、鉢植えの土をほじくり返したり(最悪です)、カーテンの陰から飛び出してきて足に食らいついてきたり、ヒトの頭を飛び越えながら移動したり。動物モノのテレビ番組を熱心に見ている姿には切なくなります。
何にも囚われない奔放なびわちゃんとともにいるだけで、わたしたちはとても自由な気持ちになるのです。
実はまだ、びわちゃんを南房総に連れていけていません。
なぜならば、そのままぴょんぴょんと野山に駆け行って帰ってこない気がしてしまうから。
はは!わたしとしたことがそんな心配をするなんてね。
そこそこノッソリしているクロとマックロは躊躇なく連れて行っているのに。
その後、山口さんとわたしたちは、ご近所さんから親戚になった気がします。
びびちゃんの様子を見に行くと、どれだけかわいいかさんざん自慢をされます。そしてわたしもびわちゃんの自慢をひとしきり。お互いに撮りためた写真を見せ合ったりLINEで送り合ったり。
同じところから育っているというよしみで、山口びびちゃんのことが以前よりも愛しく見えるのが不思議です。びびちゃんとびわちゃんは、それぞれのピンチの時に、同じ牛乳を飲んで命をつなぎとめたんですから。
なんならその牛乳をわたしたち人間もいただいて、飲んでますから。
……さて。
まわりからもうほとほと呆れられるほど長く続いている我が家の二拠点生活なんですけど(もうすぐ17年目に突入であります)、そんなわけで今年もいろいろありました。
面白いよね。
飽きるんじゃないか、しんどいんじゃないか、二拠点生活への心配をかかえる方々からの質問に対してどう答えていいか分からなくなるほど、人生の前提になっていますから。
「平日は東京、週末は南房総」という往復運動が心臓のポンプみたいにわたしたちの血の巡り、暮らしの巡り、ご縁の巡りをつくっていること。これが止まったら生きられるか分からない。
そして、同じ場所に積み上げてきた歴史は自分たちの血肉となっています。
何も変わらないようで、時間を積み上げながら変質していき、新しい自分や新しい関係に変質していく。
新陳代謝しながらも同じ形を保っているわたしたちの身体と同様です。
ゆっくりとした感動の中で暮らしは続きます。
来年もまた、引き続きのことと、新しいチャレンジがあるでしょう。
そうそう、ちっちゃいチャレンジとして、避妊手術後にびわちゃんを南房総に連れていく!彼女の故郷ですからね。
みなさまもつつがなく、来年も普通に健康にお過ごしください。
わたしは東京と南房総にいます。二拠点生活を始めたい方のお力になれることがあればと思います。