「馬場さんの南房総の家で、1日、僕のゼミの学生を働かせてもらえませんか?」
まだ緑の香りの若かった5月。渋谷の宮下公園のベンチでこんなお申し出をいただいたところから、今日の話は始まります。
公園で打合せをするなんて粋なことを考えるのは、東京理科大学の建築学科で教鞭を執る建築家の高木俊さん。彼は館山市に家族と住み、ご本人は仕事のある東京と二地域居住をしています。
そして実は、うちの愛車「スズキエブリィ」の前オーナーでもあったりします。世間は、狭い。笑。
「うちで働くっていっても、野良仕事をやらせるだけじゃ、アレでしょ?
建築学科の学生の知的好奇心をかき立てる仕事を用意できるか自信ないんですけど……
壁塗りでもさせます?」
「いや、いいんですよ野良仕事で。
僕のゼミの設計課題は昨年同様『二地域居住』というものなんですが、今年は学生たちに、ぜひ体で田舎暮らしを体験してもらいたくって。設計に直結するようなことじゃなくていい。馬場さんが南房総の暮らしの中でフツウにこなしている作業を、手伝わせてもらえませんか?」
きっと、館山暮らしをする高木さんだからこその発想でしょう。
実はわたしは、去年も一昨年も、高木さんに声をかけてもらってゼミでレクチャーをし、設計課題の講評会にも出席しています。設計課題の中で学生に考えて欲しいと思うことと、学生の思考回路とのギャップや、田舎の現実を伝えることの難しさなどをわずかながら共有していました。
「ご面倒をかけてしまいますよね……」
高木さんは、しきりに恐縮しています。学生が「手伝う」ということが、必ずしも受入れ側が「助かる」ことと一致していないことも、承知しているようでした。
確かに6月は、予定通りに作業をこなすことも大変な梅雨時期です。準備も含め、大丈夫かな。一瞬迷いましたが、高木さんの目を見て、受け入れようとすぐ心が決まりました。
「わかりました。じゃあ、連れてきてください。内容はこちらで考えますね。
で、何人ですか?」
ゼミだから10名弱かな、と思ったら。
「…20人くらです」と。
20人!
多いな!笑。
こりゃあ、大イベントだ。
それからというもの、この20人とどう過ごそうかずいぶん考えました。
もし自分の家のまわりの草刈りを20人に手伝ってもらったとしたら、そりゃ助かります。手の回っていなかったあの斜面の草刈りも、こっちの畑も、人海戦術で手入れできちゃう気がする。むふふ。
ただやっぱり、学生たちにはぜひ地域の仕事をしてもらいたい、という思いが強くありました。公道まわりの草刈りなどを一緒にできたとしたら、少しは集落の役に立てるんじゃないか。学生も、わたしだけではなくさまざまな地域の人と接した方がいいはず、と。
いや、でも……
ぐずぐず迷いが胸を去来します。
まずは、学生の「草刈りの手伝い」というものが、どれくらい手伝いになるのか、自分自身がしっかり把握できていないことに、不安がありました。
一般的に使う刈払い機はそれなりに危険を伴う農機具ですので、安易に使わせることはできません。かといって、いわゆる草刈り鎌のみの使用でしこしこしこしこ草刈りをするのは、あまりにもはかどらない。緊張感や達成感も含めた里山暮らしのリアルはなかなか伝わりません。
また、忙しい周辺農家の方々に、一時的にやってくる学生の相手をお願いすることにはためらいがありました。手間ばかりとってしまい、結局最後は「後始末」をさせるようになったら、役に立つどころか迷惑だよな……とか。
「いやあ、若いひとが来たら集落の人は喜ぶだろう」なんて考えは、毛頭ありません。一時的にやり散らかされて終わり、というありがちなイベントを行っていくことは、田舎をただ消費することと同義です。それだけは、避けたいという気持ちがありました。
まあわたしの場合、その気持ちが強すぎて、いろいろ慎重になる嫌いがあるんですけどね。
そんな逡巡を経たわけですが、結局、「よし!それでも、集落の方々とも一緒に、この時間を楽しめるようにしよう」と決意して(大げさだな)、周辺に住んでいる方々に、協力のお願いをしました。
たくさんの刈り払い機。たくさんの草刈り鎌。どう調達する?
どこの作業なら、学生にもできるか?
1か所にどれくらいの人を配置すれば、危なくないか?
そんなことを、地元の方々と現地を見回りながら考えました。けがされたら大変だからよぉ~、という気遣いがあったり、建築の学生だったらこれは勉強になっかもよぉ!というアイディアが出たり。
「あ、ここの斜面、山百合だけは刈らないように注意してな」
「そうそう、このへんにもあったっぺよぉ」
という言葉が飛び出したときは、思わずハッとしました。
「いつもちゃんと、刈り残しているんですか?」
「ああ、綺麗だからよ」
そうだよね。
綺麗なものを、ちゃんと丁寧に残しているんだよね。面倒だからって丸坊主に刈らないで。
草刈りひとつでも、心のある仕事をしているのが分かると、しみじみ温かい気持ちになります。里山の四季を愛でながら暮らす年月の重なりを感じるから。
……そして、当日。
「おはようございます~、よろしくおねがいします!」
「よろしくおねがいします!」
梅雨の晴れ間の日曜日、集落に聞きなれない若い声が響きました。学生は総勢、25人!
麦わら帽子をかぶり、長袖長ズボン。たまにニョッキリ肌の見えている女子もいたりして、服を貸し借りしてどうにか体裁を整えています。
一方、迎え入れる地元メンバーも、朝からいそいそと準備します。
集落の重鎮・農家の山口正巳さん、集落の大将・酪農家の山口均さん、集落でわたしの兄みたいな小出一彦さん、いつも頼りにしている材木屋の御子神宏信さん、鴨川から駆けつけてくれた林業家の中島嘉彦さんです。心強い!!
まずは学生たちを、集落の人たちの手によってつくられた熊野神社に案内します。
みんなで神社を建てることができる集落。エッヘン。(自分はやってないのに誇らしい)
「これね、この屋台も、全部自分たちでつくったんですよ」
「これを?すっげ~……」
集落のお祭りのときに引く、大きな屋台。彫り物もすべて手掛けたそうです。雨で農作業ができない時などに、時間を見つけて集まって。
さて、刈払い機の使い方は、最初に全員に教えることに。
「じゃあ、君ちゃんとした格好してるから、やってみようか」
白羽の矢が立った男子が、こうっすか?こうっすか?と見よう見まねで始めます。
「あはは、なんかへっぴり腰」
「もっと根元から刈るよ!」
農作業をするために必要な、長袖・長ズボン・足首出てない(これ大事!)といった要件がそろった格好をしている学生たちは幸か不幸か「刈払い機チーム」に抜擢。熊野神社のまわりを刈ります。難易度の高い、急斜面もあり。大丈夫かな。
雨の予報が大きく外れて日差しが眩しい里山で、それぞれ作業を始めます。
作業は黙々と。
それなりにまわりに注意を払う必要がありますからね。
マムシが出てきたら、その場で切って殺すか、集落の人を呼ぶことになっています。写真で姿も確認済み。でも出てきませんように……
どろどろになってもOKという恰好の学生は、破損してしまった排水パイプをどうにかして直すというチャレンジングな「パイプ修理チーム」。
こちらは知恵とスキルが必要で、特別に助っ人として山口正巳さんに入っていただきました。
割れたパイプの径を確認します。ジョイントの買い出しも必要です。こういう補修作業がさらっとできてしまう農家さんに、改めて敬意がわいてきます。
こうして、それぞれの持ち場でがんばっている学生たちの姿は熱心で、清々しくて、当初の杞憂を吹き飛ばすものでした。
だいたいわたしが学生の頃は、里山での農作業になんの興味もありませんでした。新しいこと、刺激的なことは都市に集約されていると思っていたから。そんな記憶から、学生たちはやらされ仕事の憂鬱を胸に秘めているんじゃないかと先入観を持っていたけど、どうやら的外れだったみたい。
「若いって、いいなあ」
……おっと!
いつも言わないように気を付けている言葉が、思わずぽろり。
乾いた土のように知識や技術を吸収して、のびのびと体を動かす姿は、ほんとうに美しいんだもの。
作業時間はあっという間に過ぎ、イノシシによって埋められてしまった水路を綺麗にする「水路掃除チーム」も、すこし離れた持ち場から戻ってきました。
けっこうな重労働だったはず!
むこうに見える額に汗した顔は、思ったよりも明るく光っていました。ひとりでやるとめげる仕事ですが、みんなでやると体育会系的なストイックな楽しさがあるんだよね。そうだったらいいんだけど。
「学生たち、どうでした?」
山口均さんにこそっと伺うと、「いやー助かりましたよ。だって見てよ、全部綺麗になった。みーんなよく働いてくれましたよ」。
「こりゃあ、近頃の若けぇもんは、なんて考え方は改めなきゃなんねぇなあ」と、小出さん。
準備から当日まで長々と付き合ってもらったことを考えると、単純に「助かった」かはどうだかなと思うけれど、でも、素直に嬉しい。
学生のわいわいとした賑わいにひょっこりと顔を出した均さんの奥様も目を細めて、「いい風景ねえ。馬場さんも混ざると学生さんに見えるわよ」と、お世辞か皮肉か。どっちもか。笑。うるさくてすみませんでした、と言いながら、彼らの声ってなぜかうるさくないなあ、と思ったのでした。
みんなで食べるランチは、美味しいよね。
でも疲れたよね。
午後は小出さんちにもお邪魔して、民家調査の資料や、ホンモノの日本刀を見せてもらいました。
物騒なことではありませんよ。日本の伝統文化の踏襲のおはなし。
こういうのって、男子には響くらしいね。みんな午後の眠気が一気に飛んだみたい。
こんな1日が成り立ったのは、ほんとうにいろんな人の協力があってこそ。
地元の方々には感謝ばかりです。
もし、わたしが二地域居住をはじめてまだ数年という身だったら、あるいは企画できなかったかもしれません。地域の人たちを巻き込むって、東京から人を連れてくることの何十倍も慎重になります。この地域を大事に思えば思うほど、ね。そして、そんな弱気がずっと長引いてしまっていました。
そこを踏み出させてくれた高木さんにも、心から感謝です。
こうして一緒に汗して働いた記憶が、学生たちにちょびっとでも残るといいなと思います。
いやいや、学生たちの設計課題にどう生きるかが大事でしょう、って?
まあ、それは、いいかな。
……その昔。わたしが大学3年生の時のことです。
アルバイト先の某設計事務所で、わたしの面倒を見てくれていた所員さんに、「大学や大学院で民俗学を勉強していらっしゃったのに、なぜ設計の仕事に就いたのですか?知識が仕事に生かせませんよね?」と質問したことがありました。
すると彼は、ニコニコしながら言いました。
「そういう考え方って、下品じゃないかな。ダイレクトに仕事に生かせることを学ぶ、生かせないことは学ばない。きみは、そう選択しているの?」。
この時の、身の置き所のない恥ずかしさを、今でも生々しく覚えています。
とはいえ。
設計課題『二地域居住』の提出は7月半ばらしいじゃない、もうすぐだね、がんばれ!笑。