前回、海三昧の夏休みについて書いたばかりですが、2週間たった今となってはもう、夏休みが遠い過去のように感じられるほど秋な気分になっています。
こうして季節に背中を押されるようにして過ごしているうちに、ぐいぐいと日々が過ぎ、気がつけば褪せた日焼け肌からシミが浮き上がり、もうがっかりが止まらない……
という話ではありません、今回は。
(褪せた日焼け肌についてはじっさい考えたくもないけど!)
前回触れ残した話題がありました。
こどもたちそれぞれの「南房総でやりたいこと」の中で、いちばんめんどくさい年頃の長女が希望したアクティビティについてです。
13歳長女ポチンの希望『ガラス工房に行きたい』
そういえば、なぜ長女の呼称が「ポチン」なのかというと、幼少の頃、目も鼻も口も顔も体もマイクロサイズだったからです。成長曲線は正常範囲のもっとも下の方を這い、友達とディズニーランドに行ってもひとりだけ身長が足りなくて乗れない乗り物があるという子でした。
ところが中学生になり、伸び時が来たのか体がぐぐぐっと大きくなり、心もだいぶ大人びてきて、以前のように思春期ツンツンはなくなったものの「家族と一緒に海に潜ってわーい!って喜ぶ歳でもないんですよねー」という冷めたオーラが色濃く漂っているのが現在の状態です。
家の中ではわりと健やかで、頼りになる面も大いにあるんですが、いかんせん“家族行動”を微妙に恥ずかしがったり避けようとするのが、親としてはめんどくさい。
「ポチンは何したい?」
「んー、まあ別に何でもいいよ」
「じゃ、アレとかコレとかしよっか!」
「えーそれ?うーん、まあ、別にそれでいいけど」
「なに、嫌なの?」
「嫌なんて言ってないけど。みんながそれがいいならそれで」
なんだそのやる気ないかんじは!
意志を表現しろ、意志を。
と思うんですが、わあわあ言ったところでむしろ彼女の心はどんどん冷えあがっていくでしょうから、(やれやれ)と肩をすくめるくらいにして基本放置しています。
息子の場合は、そういう態度は中学時代で終わったしね。
そんなわけで夏休みも積極的にやりたいことなど言わないと思っていました。
ところが、意外とそうでもなかった。
「あの、昔ニイニと一緒にガラスのコップをつくった工房に、また行かない?」
もう6年も前になりますが、南房総市千倉にある『GLASS FISH』というガラス工房での楽しかった体験を思い出したようです。
千倉は、我が家(南房総市の三芳地区)を起点とした行動エリアからはちょっとだけ外れています。普段はどうしても館山市内に出る方向で車を走らせることが多く、その延長で房総半島の内房側(東京湾に面した西側)のエリアをうろうろ動いているわけです。
それで長いこと行きそびれていたのですが、たしかにあの時すごく楽しかったよね。で、ずっと忘れてなかったんだね。
「そりゃいい、千倉行こう。GLASS FISHに行こう」と、2017年夏休み最終日の行き先が即決しました。
行こうと思えば、とても近い千倉。家から車で30分程度です。
でも、エリアの空気は内房側とちょっと違うんだな。太平洋というでっかい海に面しているからか、サーファー文化があるからか、あっけらかんとした陽気さを纏っている気がするのです。しみじみとした農山漁村の雰囲気に親しんでいる内房族のわたしたちからすると「なーんかひらけてて日本の田舎じゃないみたい」というかんじです。(←しょせん房総半島内の比較だけどさ笑)
そんな海際の里山の山際に、GLASS FISHはあります。
ここは、吹きガラスの体験ができるだけでなく、工房主でガラスアーティストの大場さんがつくったさまざまな作品も飾られていている、プロの現場です。
きちっとしたギャラリーとは違い、毎日動かしている現場の雑然とした雰囲気の中に作品が置かれているのがまた妙に心地いい。
風が吹き抜けていても、工房の中には熱気が漂います。すぐそばにガラスを溶かす炉があるからです。そして、大場さんはビーチサンダル。
「さて、じゃあ、今日は何色でつくろうか?」
色ガラスの粒をまぶしてつくるため、まずは色選びから。
緊張気味のこどもたちですが、サンプルを見せてもらうと一気に真剣になります。
次女のマメはいろいろと迷っていましたが、ポチンはすぐ「黒にします」と。
「黒、でいいの?」
「はい。黒で」
うーん、ここでも黒か。笑。
最近、服でも持ち物でもやたらと黒を持ちたがるポチン。自分の中で流行っている色なんだな。
そういえば前回来たときは「わたしきいろがいい~」と選んでいたのを思い出しました。
黄色い帽子の小学1年生の頃。ただの、ニイニの腰巾着でした。
色選びが終わると、ガラスを溶かしている溶解炉へ。
これがすごい温度で、近づくだけで汗が止まりません。
「それにしてもとりわけ暑い日に来てくれました!うんと暑い日にうんと熱いところにいるのって、むしろ気持ちがいいよね」
そういわれると、汗なんていちいち気にしないで、熱さに飲まれる方がたしかに気持ちいいやという気分にもなります。気持ちいいというか、潔いというか。
「ガラス溶解炉の温度は、1080度もあるんだよ。だからこうやって、ガラスが溶ける。ぐにゃーっと」
「ではふたりとも、この棒を触って温度を確かめてみてください」
えっ、、、今なんて言った?
触れって言った?
と固まるこどもたち。
「ということはしません」
ちょいちょいこどもたちをいじるんだよな。このアーティストは。笑。
ものづくりのプロというと厳密な作業に直面するしかめっ面を想像しますが、大場さんはどうもそういうかんじがない。ガチの仕事風景は見たことがないけれど、こどもたちにガラスのことを教えてくださる口ぶりや、工房の風景を見ていると、軽やかで自由な空気が伝わってきます。「こうしなければできません」ではなく、「こうもできるし、ああもできるね」とガラスの魅力や可能性を教えてくれるので、こどもたちの表情も次第に生き生きしてきます。
しかし、ガラスを吹くのはけっこうな肺活量がいるようです。
「もっと強く、もっと強く吹いて!」
と言われ、プゥ~~~とほっぺを最大限に膨らませてがんばるポチン。それでもなかなか思うようには膨らまない。ほれもっと吹かないと冷めちゃうよ、と見ているこっちの方が焦ります。
ポチンの一輪挿しと、マメのガラスコップ、つくるのに合わせて所要1時間程度。
といっても、この熱い熱いガラスがちゃんと冷却するには1日かかるため、作品はGLASS FISHにお預けしておきます。
「いいですね、ここで毎日過ごせるなんて」
思わず心の声が出てしまったわたし。
「ガラス工房をはじめて30年経つけど、ほんっと、ここでただ好きなコトやらせてもらってるだけで、地方創生とかぜーんぜん。まわりにすげー面白いヤツがたくさんいてさ、サーフィンやってさ、それだけだもんなオレなんて」
と、ひょうひょうと語る大場さん。
それを、ぼーっと見つめる女子たち。
好きなことを、好きな場所で、好きなだけやるオトナって、それだけでかっこいいです。30年もガラス工房をつづけるって実はすごいことですけど、その経歴にガリガリ執着するのではなく、地域のためになれば云々という親切の押し売りもなく。
自由なオトナのいる場所は、居心地がいいよねえ。
でもふと工房にある作品を見れば、それらはハッとするような繊細な光を放っていることに気付きます。熱く焼けたガラスを操り、いい波があるときは近くの海に出て、心身の感覚を全開にして人間以外のものとの対話がある暮らしから、それらは生まれているんだろうな。
「光に透かすと黒い模様が紫っぽく見えるね」とポチン。大場さんによると、紫や赤を濃くして黒に見せているからだそうで。いい気付きだったね。
ガラスの中の泡が、海みたい。
きっとこれを使うたびに、千倉の時間を思い出すでしょう……
なんてことはきっとなくて、日常の中でフツウに使われていくんでしょう。意識もせず。特別とも思わず。まるで、わたしたち家族にとっての南房総の存在みたいに。それがいいよね。
さて、ふと、思ったこと。
南房総に限らず田舎はどこもそうかと思いますが、なかなか雨の日に楽しめるところがないんですよね。暮らしている身としては晴耕雨読もオツなものですが、わざわざ来たのに雨、、、というとがっかりしますよね。道の駅で野菜を大量買いして、魚食べて帰るしかない。
そんな時は、GLASS FISHに足を伸ばすと、想像よりだいぶ楽しい時間がある気がします。