最近は16時半には真っ暗で、マフラー以上手袋未満くらいの寒さで、たしかに季節は冬に突っ込んでいますけどね。どうも今年はクリスマスだのお正月だのという気分になりきれません。まちのイルミネーションに背中を押されても違和感ばかり先立って「もう今年はサンタも自粛でいいんじゃない?」とつまんないことを言いたくなる。
みなさんは、いかがお過ごしですか?
こどもたちは入学式も、運動会も、学芸会も修学旅行も学園祭も何にもありませんでしたから、いつの間にか2学期も終わるよというかんじです。大人だって花見も花火もお祭りもなし。オンライン会議にはだいぶ慣れましたが、「今朝寒かったですよねー」とか「こんなに着込んできちゃいましたよ」といった会話をはさむ余地もなく本題オンリー。そう考えると、人って外に出ることで目的と目的の間に季節を感じたり、居合わせた人達とそれらを共有することで、何気なく暦のリズムを心身に刻んでいたのだと気が付きます。
グルーブ感のない1年だったな。改めて。
まあ、そんなだから余計に、植物や空の様子に心を馳せる時間が多かった気もします。
先日、コロナ自粛後に初めて、ご近所の酪農家Yさんのおうちに呼ばれました。
これまでは、相手がちょっとでも東京の人怖いと感じたら申し訳ないという心理が働いて、道で会っても自然に規定以上のソーシャルディスタンスをとり、そうなることで今までのような与太話もしにくくなっていました。こちらは東京と南房総を往復している分際だからね。寂しいけど仕方ない。
久々に「こんにちはー」と玄関で声をかけ、ものを受け取ったら早々に退散しようと思っていたところ、「まあまああがってって」と言われました。い、いいんですか?と腰が引けましたが、ほら寒いから、今お茶入れるから、と奥さんにどんどこ促され、玄関横の「応接間」みたいなところに入りました。
田舎のおうちには玄関の脇に小さな空間がついていて、立ち話では失礼だけれど居間に招き入れるほどでもなし、という局面で日々活躍します。土足で入れて、食事なしでお茶は飲むよという体裁の小さい机と椅子があり、ゆっくり話しても一瞬で用が済んでも形になるという使い勝手があります。
たしか前回ここでおしゃべりをしたのは、3月初めだったと思います。「東京ではコロナの感染拡大があると思う、都市居住者には移動制限があるかもしれないです」といった話をすると、「そんな物騒なことになるかあ」とYさんは漠然とうなずいていました。まあ結局ホントにそうなっちゃったわけですけどね。
そんな月日を感慨深く思い出していたら、「ところであの、山の道、ありがとうねえ!」と言われました。
山の道というのは、このへんの田んぼに水をひくための水路を確保している裏山の道のことです。昨年の台風15号で木々がなぎ倒されてめっちゃくちゃに荒れ、通行不能となっていました。その道を、とあるボランティアさんたちが入ってくださって、何日も何日もかけて倒木の片づけをしてくださったのです。
もうちょっと細かく言うと、その裏山の奥には西山光太さんという館山の陶芸家さんがつくる“あわ焼”という作品になる土が採れる場所があり(こちらのコラムで紹介しています)、彼を取材したNHKの番組を見たボランティアさんが「作品がまたつくれるよう、倒木を片付けて道をつける手伝いがしたい」と申し出てくださったという次第。
「台風前より綺麗になっちゃったって、みーんな喜んでてよぉ。すげーなープロは。そんでよぉ、こっちもなーんも気持ちをあらわさないわけにいかないって話してたわけよ」と、集落からのお礼を渡してほしいと言付かりました。
わたしとしても、それだけ喜んでいただけて(自分はなーんにもやってないけど)嬉しくてたまりませんでした。ボランティアさんたちは何の見返りも期待せずにやっておられることを十分知っていましたし、地域によっては「勝手に来て勝手なことをしないで」と邪険にされることもあると伺っていましたから。(まあいろいろあるだろうから分からなくもないが、世知辛い話だよなあ。)
こちらからお願いしたことではなくても、台風から1年以上経ってからもわざわざ足を運んでくださったことに対し、集落の人たちが感激してくださったことに、感激しました。ちなみに、西山さんもこの話を聞いて感激していました。
善意がきちんと伝わるって、ほんとに大事だな。
その後、Yさんご夫妻とわたしは妙に親密な気持ちで世間話に花を咲かせました。
ご自身の酪農経営の話、近隣に移住してきた人たちとの話、この集落の未来の話。それは決して、明るい未来についての話題ばかりではありませんでした。むしろ、これまでYさんから直接聞くことのなかった悩みも聞きました。「どうすればいいかねえ、みおりさん。って言われても困っちゃうよなあ!」とさばけた口調で話をされ、お互い笑いながらあーでもないこーでもないと思いを言い連ねました。
Yさんは、地域のとりまとめ役で人望があり、やりたいこととやらなければならないことの境目を感じさせずに地域のことを淡々と引き受け、たまの笑顔がかわいくて、わたしは正直言ってそこらにいる都会のエライ人より尊敬しています。
奥さんも、歯に衣着せぬ物言いでちょっと怖いけれどそこを乗り越えるとすごく面白くて、じわじわあったかい方です。
誰におもねることなく自分の暮らしを自分でつくり、地域もつくってきた彼らが、自分たちだけではどうしようもないさまざまな困難に対してうーんと悩んでいることがあるのが分かり、わたしは何とも言えない気持ちになりました。週の半分以上は東京にいる自分に、できることがあるだろうか?と真剣に思いました。
いや、わたしはこれまで「二地域居住者だからできることがあるんだ」と開き直っていろいろやってきたわけですが、以前よりも彼らに信頼してもらっていることが分かると、この地域にずっといないことが改めて悔しくなるんです。
寄り添いきれていないんじゃないかって。
もちろんYさんは、わたしに解決を求めているわけではないんですよ。
それほどの存在じゃあない。笑。
勝手にこっちが、そういう気持ちになるってだけです。
もうひとつ。
たとえ週末だけしかこっちにいなくても、14年も同じ土地で同じ空気を吸っているとこんなに近しい思いになるんだという感慨がありました。
暮らし始めた当初は、この土地のいいところをたくさん見つけて喜んでいたわたしたち家族。
地域の人たちから「ここのどこがいいんだかねえ~」と謙遜するように言われると「魅力だらけですよ、だからわざわざ東京から来ているんです!」と思わずいろいろ返していました。それは今でも同じ気持ちです。
そして時が経つにつれ、いいところを享受するだけでなく、地域の課題を一緒に感じるほどに「ここはかけがえのない場所だなあ」と感じるようになりました。
面白いですよね、悩みや課題を共有されると、愛が深まるって。
だって知るタイミングが違えば「あら厄介な」と思うようなことです。地域のウィークポイントと言ってもいいことかもしれない。
もし南房総が「商品」だったら、いつまでも魅力ばっかり知りたいはず。
自分にとってメリットがあることが大事だからね。
でも、わたしにとって南房総は商品じゃないし、わたしは消費者じゃない。だから一緒に考えたいんだと思います。
さて。
もうすぐ2020年が終わります。
大変な年だった。
といっても、たしか去年も南房総は台風被害で大変で、やれやれ来年くらいは楽に暮らしたいと思ったんだよな。
今、都市部ではコロナが社会の最大関心事だけれど、南房総は今もまだ台風からの立ち直りの道半ばで、引き続きの関心事です。ところかわれば悩みもかわります。
暮らしってつくづくいい事ばかりはありゃしないですね。
悪い事ばかりでもないけどね。
たまーに「生きててよかったなあ」って思うことがあり、それをつないでつないでやっていくかんじです。
ほら、ドラマだって途中の苦難コンテンツはすべてハッピーエンディングに吸収されるじゃないですか。人生最後なんてなかなか来ないから、今いろいろ抱えている大変なことは全部ハッピーエンディングのための仕込みくらいに思っておくといいんじゃないかなと思っているわけです。
友人で、大変な時にこそ「ふっ面白くなってきたぜ」とつぶやく人がいるけど。アレだね。
来年もきっと、いろいろあるよ。そしてぼちぼち幸せだよ。
よいお年をお迎えください。
また元気に、お会いしましょう。