長かったような、短かったような、不思議な2021年が終わろうとしています。
みなさん、お元気ですか?
日常の風景を取り戻しつつありますね。
じゃあ、2020年初めあたりの感覚にすっかり戻ったかといえば、これまでのざっくり2年間のコロナ禍を経て感覚も考え方も変化していった部分もありそうです。
わたしは今年、心底、南房総の家に助けられたなあと感じています。
二拠点生活をしていなかったら、今これくらい元気でいられたか分かりません。今年はいろいろしんどいことが重なり、きわどかったのです。
仕事で追いつめられた時。体調不良が続いた時。家族にいろいろあって翻弄されている時。以前だったら「ちょっと今週はパスして東京で休もう……」と判断していた気がしますが、今は迷いなくアクアラインを渡ります。
その方が絶対元気になれると、学習しているからね。
ところで先日、2年間放置していた畑を(ご近所の小出さんの手を借りつつ)耕し、ソラマメやら大根やらを植え付けました。こんなガリガリの畑から何か収穫できたら思いっきりこのタネや苗を誉めるぞ!と思いながら、少しずつ成長する姿を楽しんでいます。
長らく畑仕事を休んでいたのは、日々の仕事に忙殺されて「畑をつくるどころじゃなかったから」です。
ただ、ホントか?畑をする時間がなかったのか?と改めて自分に問えば、余裕がないのはむしろメンタルだったのかもしれません。畑仕事はある程度の準備やまとまった作業時間が必要で、それを想像すると先に疲れてしまって、いつの間にか植え付けの機を逸してしまうという怠けのスパイラル。
で、なぜ、ふとまた畑にカムバックしたかというと、ひょんなことからセカンドカーを手にいれてしまったのがきっかけです。以前は軽バンを使っていましたが、一昨年の台風で被災して廃車になって手放してしまい、それ以来の新顔です。
やっぱり細い農道では軽が楽です。田舎の乗り物として理にかなっているからです。
これがまあ、よく走る!
オープンな荷台がわたしに語りかけます。
ここに堆肥を乗っけろ……肥料を乗っけろ……苗を乗っけろ……って。
その引力により畑再開というのが正直な経緯です。
(あまりに浅はかで誰にも言えない)
息子が生まれるよりも前からこの世に存在していた我が軽トラ。実は友人から12万円ぽっきりで購入しました。電動アシスト自転車と同じくらいの価格ですよね。「車を買う」という概念がぶっ壊れます。
そもそも富士山ナンバーでしたが(ちょっとカッコいいからそのままでいてほしい気もしていましたが)ほどなく袖ケ浦ナンバーをとり正真正銘の南房総号として我が人生に鎮座しました。
12万円で買うことができたのは、この車が平成11年生まれの22歳だからなのですが。アレですね。人間も車も、ツルピカで新しいだけが魅力じゃあないですね。
走行時の細かな震え、モノというより身体の延長のようなアクセルやブレーキの手ごたえ、余分な装備がまったくない室内など、現代の至れり尽くせりの車とは別の乗り物のようです。
ナビはなし、飲み物ホルダーもなし、シートのポジションは固定、シートヒーターなどドラえもんの中の未来というかんじです。当然窓はぐるぐるぐるぐると手動でおろします。
カーステはありますよ、AM、FM、そしてカセットデッキ!ああー松田聖子ちゃんのマイベストを吸い込ませてみたい。あの爪折って保存版にしたカセット。
もちろん鍵も原始的です。
鍵穴につっこんで回したドアだけが開きます。
いつの間にか車はPCやスマホと同じような存在になっていて、とっても快適でとっても便利で、もうこれを知ってしまったら元には戻れない!的な進化を遂げています。だからこそ、かつての車の良さも対比して見えてきます。
シンプルなものは、安心なのです。
からくりが素人にも分かり、壊れたらその部分だけ近くで直せるだろうから。
時代が変わったら部品がなくなるとか、町の修理工場では太刀打ちできずメーカーに入院させて大手術が必要になるといったことはあんまりなさそうです。
「ブラックボックスに人生を託している不安」から解放される感覚は、なかなか気持ちのいいものですね。
娘には苦笑されました。
「ふつう、歳とるとどんどんいい車に乗り換えていくもんじゃないの?相変わらず真逆を行くなぁ」と。
「素敵でしょ?」と確認すると、「ママ的」と言われました。
「だいたいママの人生全体がそうじゃない?いい服を着るとか、いいバッグを持つとか、高いアクセサリーをつけるとか、髪の毛のセットにお金かけるとか、ちゃんとするってことに興味なさすぎ。見てて面白すぎ」だそうです。
そうね、まあ、幸せの感じ方は個人個人違うんだからさ、ほっといてくれていいよ。
あなたにも口出さないし。
ママも昔は指輪をいっぱいつけるのが好きだったし、クリスマスは夜景の見えるレストランでオシャレして好きな人と食事しなければ幸せじゃないと思ってたし、オレンジ色のスポーツカーでドライブに誘われた時はキャー毎日こういうのに乗る人生もあるのかと思ったしね。
今、本当に幸せだと感じるのは、自分の外見と中身が一致してきていることかな。
そこそこな歳だからいろいろ気楽で、軽トラ乗っている時に気持ちがよくて、好きな地域でつくられている食べ物で自分の身体ができていて、たくさん稼げてはいないけど「今持っているものを失ったら怖いから挑戦はやめとこう」と思うような荷物はなくて、魅力のある人たちがまわりにいっぱいいて、だから自分の足らなさには毎度落ち込むけど納得はできて、もし失敗しても「ごめんなさい」と言ってまたやり直せる関係があって。
あとそうだ、ようやく最近見栄を張るよりも「自分、ここが未熟です」と正直にお伝えできるようになってきた。等身大の自分で生きられているよ……
なんてダラダラした母親の告白など娘は興味ないでしょうけどね。
つまり、そういう自分の断面があらわれているような、軽トラのある生活が進行しているっていうことです。
さて。
来年もこうして、くだらない日々に笑えているといいなあと思います。
実は今、実家に通って父の看護をする日々でもあります。
現役時代が長く、圧倒的に都市派だった父は、南房総の家に一度だけ遊びに来てくれたことがありました。彼はデッキにひとり座ってずーっと里山の風景を眺めていました。あまりにびくともしないのでまわりが心配になるくらい、ずーっと。
何を考えていたのか、今となっては知る由もありませんが、その不動な背中を思い出すたびに勝手に想像しています。建築を学び建築を仕事にしていた同じく都市派の娘がいつの間にか田舎暮らしを楽しむようになったことを、じわっと身体で受け入れている時間だったのかな、と。
人は本来、暮らす場所も、暮らし方も、自由なはずです。
1度限りの人生で、誰もがその自由を楽しむことができますように。
自由は外からやってくるものではなく、自分の中から生み出すものだと思うから。
皆様、よいお年をお迎えください。