軽井沢では、四季の移り変わりをはっきりと感じ取ることができます。この贅沢な環境に夢中になり、移住を決めアウトドアイベントの企画や運営をスタートさせた方がいます。アサマフィールドネットワーク(AFN)の主宰者、堀江博幸さんです。
千葉県出身で、東京の銀行に新卒で入社した経験をもつ堀江さんはある日、軽井沢から見える浅間山に大いに心を奪われました。そして、見ず知らずの地である軽井沢で豊かな自然に囲まれながら、アウトドアプランナーとしての仕事を開始し、今年で13年が経過。今では米や麦を自作するほどこの地での生活を堪能している堀江さんに、軽井沢の魅力をお聞きしました。
浅間山に惹かれ、北軽井沢に
──まず、堀江さんの人生に大きな影響を与えた浅間山をめぐるエピソードついてお聞かせ下さい。
大学卒業後に東京の銀行に就職して、3年半ほど働いたのですが、外で仕事がしたいと思うようになりました。そして「本物」や「自然」というキーワードが頭に浮かび、会社を辞めていろいろな土地をオートバイで巡る旅をしようと決めたのです。
そんなとき、アウトドア雑誌をパラパラとめくっていたら見開き一面に浅間山がドーンと見える風景が載っていて。まるで日本じゃないみたいで、迫力があって、とても気になりました。それで、旅の途中にここにはかならず立ち寄ろう! と決めたのです。
──そして、さっそく浅間山を見に行ったのですか?
いえ、日本全国の農家さんを訪ねる旅を始めて、ご縁を感じる土地をいくつか見つけました。そのうえで、2002年の7月に浅間山が見える北軽井沢に訪れたところ、大きなキャンプ場のオーナーと知り合いになりまして。そしたら、そのオーナーが「畑仕事がやりたいなら、土地が余っているから使いなよ」と、畑の経験がほとんどない私に1500坪の畑を使わせて下さっ
ちょうど空いていた畑と私のやりたいという気持ちがたまたま重な
四季の鮮明さに胸を躍らす
──それは、器が大きくていらっしゃいますね! 1500坪の畑で、堀江さんは何を始めたのですか?
キャンプ場のスタッフとして、そこにいらしているお客様向けに貸し農園の企画を始めました。そして、季節ごとの農作業の楽しみ方や、収穫した野菜で味わえるアウトドア料理を皆さんにお伝えしたり。当時はまったくの素人だったので、キャンプ場に長年勤めているベテランの方に、さまざまなことを教えてもらいながら企画を運営しました。
軽井沢は、どの季節もそれぞれに魅力があるので、この土地にいるとやりたいことがどんどん出てくるのです。
──特に好きな季節はありますか?
どの時期にも良さがあるので、決められません(笑)。たとえば、秋が近づいてくると、まずはウルシという植物が真っ赤に紅葉します。それを見ると、あ、秋が来たのだなとワクワクします。そのあとは、モミジやカエデが山吹色に染まり、最後にカラマツが黄金色に染まって、すべてが散り終えると今度は雪が舞い始めるのです。その後3ヶ月間は雪に閉ざされて、4月の終わり頃になると雪が溶け始めて、薄いエメラルドグリーンのキラキラした緑が木々から出てきます。
長い間、雪に閉ざされて丸裸の樹木に囲まれて暮らしていると、本当に春は来るのかなと不安になるのです。でも毎年、春はちゃんとやってくる。東京から100㎞圏内で、ここまで四季の移り変わりをはっきり感じられるのは軽井沢ならではのような気がします。
軽井沢の魅力を伝える体験イベントを!
──軽井沢は、ここでしか得られないモノが多いのですね。
はい。まさにその通りです。なので、
──北軽井沢で本格的に仕事を始めたときは、不安はなかったのですか?
それが、不思議とまったくありませんでした(笑)。当時は単身ということもありましたが、
米・麦を自作、イベント閑散期は農にいそしむ
──堀江さんは、ご自分でお米と麦も作っていらっしゃるそうですね。
どうしても米作りがしたくて、畑付きの物件を探しました。そしたら、軽井沢町の近隣の小諸市に良い物件があったので、そこに3年前に引っ越しました。今は、米と小麦と大豆を自家用で作っていて、麦でパンを作り、大豆は醤油と味噌にしています。また、来春からは自家製の農作物を使ったカフェのオープンも計画し
──軽井沢は、最適の移住先だったようですね。
本当にそう思います。私の場合は、アウトドアイベントの繁忙期と米や小麦、
軽井沢に来て13年が経ちますが、いつも「今年はどんなことをしようか」と、新しいことに挑戦したくなるのが不思議です。これからも自分自身も心豊かに生活しながら、多くの人に軽井沢の魅力をお伝えしていきたいと思います。