楽しみ方

はじめまして、寺村と申します。

この文章を書いている今、僕は家を4つ持っています。奥さんが生まれた中国にある1軒を除いて日本にあり、1軒は東京、残り2軒は長野県茅野市の蓼科という高原地帯にあります。東急リゾートタウン蓼科という高原一帯に広がる管理別荘地にあるヴィラ(マンションタイプの別荘)です。

東京圏のご縁で仕事をしている僕がなぜ蓼科で別荘を買い、季節を選んで一時的に住むはずだったのが生活の90%の時間を過ごすことになり、気に入った結果として別荘地で更に広いヴィラを購入したのかについて紹介していきます。

自己紹介

僕は1975年生まれでこの文章を書いている時点で47歳。兵庫県神戸市で生まれた後、子ども時代を愛知県名古屋市、茨城県取手市、牛久市と父親の転勤に伴い暮らす場所を転々として育ちました。大学に入り東京で一人暮らしを始めた後には都内で引っ越しを数回経験し、仕事の関係で中国の北京市、上海市に駐在することにもなりました。こういった背景もあるからか、他の人と比べて一つの場所に住み続けることに対する理由やこだわりのようなものから身軽であったと思います。

仕事は経営コンサルティングです。大企業を辞めた後、自分で創った1人会社で日々の糧を稼いでいます。中国人の奥さんとトイプードルと一緒に暮らしています。

若い頃の東京への憧れ

幼少期から少年になるまで茨城県の片田舎で育った僕にとって東京は憧れの場所でした。
大都会東京は豊かな物で溢れ、僕の知らない素敵なことが詰まった魅力的であり、かつ大人の雰囲気をまとった近寄りがたい(それでも近づきたい)場所でした。

イギリスやアメリカの音楽、それもインディーズにはまった僕は、通っていた高校がある土浦の鉄道駅に隣接した商業ビルの本屋さんで、東京の出版社が出しているマニアックな音楽雑誌を穴が空くほど読んでいました。

同じビルにあるCD屋さんで少ないお小遣いから、同級生の誰もが聴いていないような作品を買っては聴いていました。偏った嗜好を持つ僕にとって共通の話題で会話ができる友人は普段の暮らしの中で1人もいませんでした。

今でもターンテーブルでレコード盤を聴きます

当時はインターネット黎明期でしたが、購入した音源のレビューをする“ホームページ”を立ち上げ、BBSと呼ばれていたWeb上の掲示板で同好の士と交流することができました。
同じ嗜好を持つ人というのは考え方や価値観が近いものです。年齢も職業もバラバラな人たちでしたが、共通するのは東京で遊んでいるということでした。

僕は茨城県の「僕の立場からすれば」閉塞感のあるコミュニティを抜け出して、気の合う人々がいる東京に出ようと強く思い、合格した地方の国立大学へ行くことをやめ、都内の私立大学に通うことを決めました。両親には本当に感謝しています。

便利さを追求して表層化していく東京への諦め

東京での生活は想像通り楽しく刺激的なものでした。能力の高い人たちと仕事をすることができ、夜はクラブイベントで音楽についての豊富な知識だけでなく、様々なバックグラウンドを持った人たちの生き方に触れることができました。

インターネットが発達した今、地方でも同じようなことはできるようになっています。しかし当時、半径5kmでこれだけの濃密な体験ができるのは東京やロンドン、ニューヨークだけだったはずです。

その後30歳代の大部分を猛烈に成長する北京や上海で過ごした後に戻ってきた自分にとっては、東京はもはや”落ち着いた都市”となっていました。社会や文化・価値観について海外生活での衝撃以上のものを東京に見出すことはできなくなってしまった僕が目を向けたのは、自己の身体性とそれを活かすフィールドである大自然でした。

上海の昔をそのまま残した観光地である豫園(よえん)

 

高尾山、青梅・多摩丘陵という山へのいざないと東京から行くことの限界

クロスバイクを買った僕は東京の家がある台東区から走りに行く距離をどんどん伸ばしていきました。最初は浅草近辺、そこから晴海埠頭やお台場へ行くようになり、横浜から鎌倉、三浦半島へと行くようになりました。最初は海を目指していたのが自然に山を目指すようになりました。

クロスバイクはいつのまにかロードバイクに変わり、高尾や青梅への最短でも往復120kmの行程や、輪行(電車に自転車を積むこと)して筑波山などへ行くようになりました。

1人で自由に自転車に乗るだけでは飽き足らず、“富士の国やまなしMt.富士ヒルクライム”というアマチュアレースイベントに参加しました。
全長24kmで累積標高1,255mを上がるレースは心肺や筋肉に猛烈な負担をかけることになりますが、圧倒的な自然に包まれながら上り切る達成感、爽快感はそれまでの人生で経験したことのない素晴らしいものでした。

富士の国やまなしMt.富士ヒルクライム(2022年)のレース時(黄色のウィンドブレーカー)

一方で東京の東エリアから山に到達するには自走するだけでなく、電車を使うにしても時間がかかります。また、丹沢や高尾、青梅など選択できる山稜はどうしても少数に限られてしまいます。
更に、家に戻ってきてしまえば灰色の建物に囲まれた代わり映えのしない世界です。

僕がネットで“山 別荘”などのキーワードで検索するようになったのは必然の流れでした。

都会的な暮らしを大自然に持ち込んだ東急蓼科の素晴らしさ

長野県茅野市の蓼科高原にある管理別荘地、“東急リゾートタウン蓼科”の部屋を内見した僕と奥さんはその日に購入を決めました。

部屋に入った瞬間に正面にある大きな窓から見える八ヶ岳ビューに圧倒されたのです。

窓からは天狗岳あたりから硫黄岳を経て、横岳から主稜である赤岳、阿弥陀岳、権現岳、編笠山、西岳まで一望できるのです。
内見した当時、ここまで詳しくピークの名前を知ることもなく八ヶ岳という名前を知っているだけでしたが、それでも巨大な山塊と裾野に広がる樹林には言葉を失うくらいに衝撃を受けました。

東急リゾートタウン蓼科の保有別荘からの景色

東急リゾートタウン蓼科に至るまでに車で通った景色の変化にも楽しさがありました。
中央自動車道の諏訪南インターを下りて、広大な景色を見ながら、富士見町、原村とログハウスが並ぶ別荘地を通り、茅野の街からビーナスラインを上がると観光地の風情で溢れます。
東急リゾートタウン蓼科の管理地に入ると森の中を曲がりくねった峠道を走り、縦横無尽に鹿が歩き、鳥がさえずります。管理別荘地には多くのログハウスとヴィラが木立の中に立ち並んでいます。素敵なホテルやペンションが並んでいます。ワクワクしない訳がありません。

一方で敷地内は都会的な意味での管理が行き届いていて、道は整備され、コンビニが設けられています。部屋には高速インターネット回線が開通していて、24時間365日ゴミを出すことができます。

大自然に囲まれた圧倒的な雰囲気の中で都会的な暮らしをすることができるのです。僕が東急リゾートタウン蓼科に別荘を購入する決め手になりました。

そんな僕でも当初は90%以上をこちらで暮らすことになるとは思いませんでした。これからこちらでの暮らしの楽しさや現実について皆さんに紹介していきながら、その理由に触れていこうと思います。

蓼科の別荘に住んで生活してみて分かったこと:冬編に続く


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