楽しみ方

諏訪・茅野エリアの社会を代表する御柱祭

 

はじめに

なぜ僕が八ヶ岳の山麓、標高1,300mの高原地帯に位置する東急リゾートタウン蓼科(以下:東急蓼科)に別荘を購入して住むようになったのか、については1回目の寄稿にありますのでそちらを参考にしていただきたいのですが、
今回はその中身について仕事と人間関係についてもう少しフォーカスをあてて、社会的活動の側面から具体的な過ごし方について書いてみます。

蓼科の別荘における一日の生活

仕事部屋から臨む圧倒的な自然

詳細に入る前に、皆さんに想像力を働かせてもらう一助になればと、僕のこちらでの平日の典型的な過ごし方について書いてみます。

早いときで5時、遅くても6時には起きています。
東京で生活していた時には目覚ましが鳴ってもなかなか目が覚めなかったり、二度寝してしまったりと起きるまでに苦労していましたが、蓼科の別荘では目覚ましが鳴る前に自然に目が覚めてすっきりと起きることができます。不思議なものです。

お湯を沸かしてグラインダーでコーヒー豆を挽き、簡単な朝食とともにいただき、7:30くらいには仕事部屋でデスクに向かっています。
東急蓼科で僕ら家族が暮らすヴィラのリビングと仕事部屋には八ヶ岳連峰に向けて大きく開けた窓があり、圧倒的な眺望の中で高い標高と澄んだ空気による強い太陽の日差しを感じながら、誰にも邪魔されずに(ときに鳥のさえずりや蝉の声、鹿の鳴き声などは入りますが)仕事をすると、すぐに集中力が高まり、没頭することができます。
東京では早朝でも乗用車やトラックの騒音、人の声などが耳に入り、ノイズに感じられました。同じ音でも感じ方が違うのかもしれません。

僕の仕事については後ほど書きますが、基本的には頭と感情を働かせて考え感じること、手を動かして資料などに他人が分かるように表現に落とすこと、会議等で相手に伝えて理解、納得のうえで行動していただくことです。
ですので、デスクワークと会議がメインです。僕は家族企業の経営者なので顧客との交渉のうえ、合意が取り付けられる前提で、自由に予定を組むことができます。日中でも空いた時間にはベッドやソファに横になって読書をしたり、午後や午前がまるまる空いた場合には奥さんとワンちゃんと東急蓼科の敷地内や、車で10分とかからないところにある蓼科湖畔を散歩したりします。そうそう、僕は趣味がロードバイクなのでトレーニングも欠かすことはありません。

夕食は17時から19時くらいにかけてとります。都会で過ごされている方からすれば早いのではないでしょうか。僕ら家族も東京では早くて19時、遅いときには21時くらいにとっていたこともありました。食後は奥さんと会話したり、ワンちゃんと遊んだり、読書したり、ゆっくりとした時間を過ごし、21時にはベッドに入り、自然に寝てしまいます。

人間関係に基づく社会との繋がり

千畳敷カールでの雪山訓練

東急蓼科で暮らすようになってリアルに人と会って会話することがかなり減りました。東京では毎日、常に誰かと会って話したり食事をしたりという日々でしたが、この点については劇的に変わりました。
蓼科は高原地帯なので冬にはほとんど人がいません。それ以外の季節は旅行でホテル滞在される方も含めて訪れる方は増えますが、別荘やヴィラのオーナーも含めて連休などを除けばそれほど多くはありません。広大な東急蓼科の敷地内をワンちゃんと散歩する際にすれ違う人と出会うことは4, 5回に一度くらいです。いわんや会話をや、という感じです。人とすれ違うことにも気をつかう東京の生活では考えられない状態です。

蓼科の別荘エリアは東急蓼科も含めて所在する市街地と隔絶しています。別荘エリアへ向かうにはビーナスラインやメルヘン街道などを市街地から入ってくることになりますが、エリアに入るところに明確な境界はないものの、そのアプローチでは明らかにここから別荘エリアだなと感じられる地形や風景の変化があります。
別荘エリアが開発された目的も“避暑地”という都会の喧騒から“逃げる”というものであったはずですから、必然とも言えます。その意味では茅野市の市街地とは地政学的に隔絶されたエリアです。住む人の価値観や文化もかなり距離がありますし、少なくとも住人たちは地域コミュニティから分離した存在です。良し悪しはありますが、村社会的な煩わしさからは離れることができます(もちろん、それが寂しいと感じられる方もいらっしゃると思いますが)。

その意味で東急蓼科での暮らしは社会的な意味で「単独」で「孤独」です。一方で「自由」です。
僕は仕事の関係で東京に出ていくことが少なからずありますが、東京の雑踏に入ると気持ちが悪くなったり、めまいがしたりと身体の調子が悪くなることを実感するようになりました。
意図を持った様々な人為的な画像や音、規則に従うことを強制されるような抑圧的な人々の流れ、などについて身体が苦しいと感じているのかもしれません。

蓼科の別荘ではそういったことは全くありません。僕らに干渉できるのは巨大で広大な自然だけです。そして、それは抗いがたい“自然なもの”として遥か昔から身体が受け入れることなのかもしれません。
また、大きな社会の中では「孤独」ですが、だからこそ家族という小さな社会の中では繋がりが太く、強くなったことを感じます。東京で暮らしていた時よりも奥さんやワンちゃんに向ける時間、感情の大きさや豊かさが増えました。僕らはそれを以前よりも良いことであると思っています。

自由を手に入れるために大切な仕事の“前工程”

蓼科湖畔のカフェにて仕事

標高1,300mで、都心部というだけでなく市街地からも離れて暮らしている僕の生活は、場所に依存しない仕事から収入を得ることによって成り立っています。
新型感染症の騒動の中で“リモートワーク”というスタイルが出現し一部定着しつつありますが、僕はそれ以前からクライアント先に出向かないスタイルで仕事をしていました。もちろん、クライアントの意図も含めたうえで僕自身が必要と考えた結果として出向くことはありますが、必須でない場合についてはリモートで完結していました。

経営コンサルティングという仕事の内容がリモートワークに向いていたことは間違いありませんが、その中でも出社しないスタイルの先駆けであったのは、仕事をする同僚やパートナー、クライアントも含めて、現場に居合わせなかったとしてもスムーズに質の高い仕事ができるような環境や段取りを整える“前工程”に力を注いでいるからでしょう。実際の仕事を“後工程”とすれば、“前工程”との割合を1:1にしていたと言っても過言ではないと思います。

仕事の目標を明確化して、それを細分化し、時間軸に乗せて、役割ごとに責任・権限を割り振る。定期的な確認では事前に必ずアウトプットに目を通すことで説明の時間を省略、結論と決断(次の行動を決めること)のみについて議論することとして、それ以外はインターネット上のコミュニケーションツールを用いて非同期で進める、といったことのルール化と共有です。「状況が良く分からないから、とりあえず会って話し合おう」という時間をできるだけ無くす努力です。

離れて分かる人や社会の大切さ

高原のレストランで家族ショット

一方で久しぶりに東京に出て仕事やプライベートで人と会った時の感動は言葉にできません。
東京で暮らしていた時には当たり前に思っていた人の気づかいやその背後にある暖かさを色濃く、体感とともに味わっています。以前はそういったことを、システムの機能として無機質なものとして対価として受け取っていたのだと思います。普段、人々が集まる社会から隔絶されて生きていることで、その「有り難み」に気づかされているのです。
僕はそれくらいに愚かなのだなと、「ありがとう」という気持ちで満たされながら振り返っています。


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