インタビュー

日本有数の避暑地・軽井沢で、40年にわたり別荘族を中心に愛読されている雑誌『軽井沢ヴィネット』。創刊者で初代編集長でもある広川小夜子さんは、東京から軽井沢に移住し、取材を通して軽井沢の魅力に心を奪われました。軽井沢に精通した生き字引として今も筆を走らせているその理由、そしてそんな人だけが知っている、本当の軽井沢の良さについて聴きました。

自転車に乗って創刊号を配る

新潟生まれの広川さん。大学進学と同時に上京し、卒業後は東京で広告のデザイナー職についていたが、1972(昭和47)年に夫とともに軽井沢へ移り住んだ。
その当時は、女性ファッション誌のさきがけとなった『anan(アンアン)』や『non-no(ノンノ)』が今以上に人気を集めていた時代。こうしたファッション誌に「避暑地・軽井沢」「高原のテニスコート」など軽井沢特集が掲載され、ロマンチックなイメージに惹かれた大勢のアンノン族が軽井沢を訪れるようになった。

「別荘客が多数を占めていた軽井沢は、この頃から少しずつ変化していったように思います。観光客の皆さんに、軽井沢の美しさや楽しさをもっと知ってもらいたいと思うようになりました。」

『かるいざわメイト』創刊号。「ガイドブックじゃない」という一言に、その思いを感じる

『かるいざわメイト』創刊号。「ガイドブックじゃない」という一言に、その思いを感じる

広川さんのそんな気持ちから『軽井沢ヴィネット』の前身『かるいざわメイト』が生まれた。1979年夏のことだった。

「企画・デザイン・取材・原稿執筆と全て一人で行いました。モノクロでわずか8ページでしたが、今のようにパソコンで便利に作ることができない時代だから手間ひまがかかりましたね。また制作費や印刷費を捻出するために、飛び込みで蕎麦屋やレンタサイクル店に行き、広告を出してもらったりもしました。」

こうして出来上がった創刊号には、「ウエディング イン 軽井沢」「スポーツライフ」「個性派の別荘ライフ」「バゲットとワインのガーデンパーティ」など、今の時代にも通用するような言葉が並んでいる。

「出来上がった5千部を、自転車に乗ってペンションや夏季出張店に配ったり、旧軽井沢のロータリーで、道行く観光客に手渡ししたこともあります。そんな時代からのスタートでした。」

やがて「編集を手伝ってあげよう」という人や、「イラストを描きましょうか」という協力者が増えてくるようになり、ようやく5号目にして表紙がカラー、ページ数も増えて34ページとなった。

1983年、この小さなフリーペーパーは米国人女性が名づけた「軽井沢ヴィネット」という名に変わった。ヴィネットとは英語で「場面をとらえる、描写する」という意味。軽井沢を知らない人でもページを繰れば軽井沢がわかるという意味合いで名づけたという。

 

500軒以上の別荘を取材

1992年には判型もA4判にサイズアップ。100ページを超す誌面はカラーページが大半を占め、中身もさらに充実したものとなっていく。
誌面には『風立ちぬ』で有名な作家・堀辰雄夫人の堀多恵子さんや映画評論家の荻昌弘さんのインタビューも掲載されている。特集は「サイレント軽井沢」。静かな軽井沢ライフを提案する内容だった。

『軽井沢ヴィネット』改名号。世間が騒がしくなり始めたバブル初期、「サイレント」をコンセプトに

『軽井沢ヴィネット』改名号。世間が騒がしくなり始めたバブル初期、「サイレント」をコンセプトに

「名前やサイズは変わっても、目指している方向は同じです。観光ガイドの雑誌ではなく、軽井沢ならではのストーリーやエピソードを読者に伝えたいという気持ちは創刊当時からずっと持ち続けています。」

その基軸となっているのが、軽井沢の別荘ライフだ。取材した別荘は、35年間で500軒にのぼるという。著名人はじめ、ユニークな人たちが登場し、それぞれの別荘ライフを語っている。1982年から始まり、35年以上続いている人気コンテンツが「別荘訪問」だ。

「軽井沢は西洋人が開いた独特の生活文化があります。別荘にどんな人が暮らしているのか、その暮らしぶりをクローズアップすることで、軽井沢らしさを伝えることになるのではと思いました。」

 

軽井沢ならではの別荘ライフ

一回目の別荘訪問は画家の深沢紅子さん。詩人・立原道造とも親交があったことでも知られている。庭に咲く野の花を描いている深沢さんの暮らしぶりに、本当の軽井沢らしさを感じる。

一回目の別荘訪問「深沢紅子さんを訪ねて」

一回目の別荘訪問「深沢紅子さんを訪ねて」

「印象に残っている別荘訪問は、『沈黙』などで知られる作家・遠藤周作さんですね。千ヶ滝にある別荘を伺うと、壁が銃弾を撃ち込まれたように穴だらけでした。遠藤さんは『トントンと誰かがノックするんだよ。誰ですか?と聞いても返事がない。戸をあけてみるとキツツキだったりしてね。』と話してくれて、その穴は全てキツツキの仕業だったんです。ユーモアあふれる別荘ライフのお話でした。遠藤周作さんの取材をして、できあがった本誌を届けるときに道に迷ってウロウロしていると、パジャマ姿の北 杜夫さんを庭先に見つけ、道を伺いつつ取材の約束を取り付け、実現してしまったこともありました。」

 

単に「自然が豊か」だけではない軽井沢の魅力

 広川さんは編集長として、昨年逝去された演出家・蜷川幸雄さんの別荘訪問や歌舞伎俳優・松本幸四郎さん、ファッションデザイナーの芦田淳さん、鳩山由紀夫さんなど、作家や俳優、政治家など錚々たる人たちを取材してきた。
 こうした取材の中で感じたことは、軽井沢には自然だけではない魅力があるということだという。

「松本幸四郎さんを取材したとき『軽井沢は風と光を見に来ています。それが明日への活力になる』とおっしゃっていて、なるほどと思いました。忙しい方ほど、軽井沢では自分と向き合って、精神的に充実した時間を過ごしている方が多いと感じます。軽井沢には人との交流、ネットワークがあることも重要です。宣教師たちが軽井沢を健康的な場所にしたいと避暑団を作ったことが別荘地の交流の始まりで、今でもテニスやゴルフ、音楽やパーティーなどで交流を深め、自然に人脈が広がっていくというのは、軽井沢に別荘を持つ大きな魅力なのだと思います。」

広川小夜子さん

広川小夜子さん

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