秋も深まってまいりました。
みなさまお元気ですか?
今年は寒暖の差が激しくてぐらぐら不安定な日々が続きますが、食欲は順調に秋モードです。
毎日毎日、お腹が減るなあ。
ところでわたしは、40歳を過ぎたあたりからかな、身体が自分の体調を「食べたいものを食べたい量だけ食べる」だけでコントロールしてくれる感覚を持つようになりました。
まあ、ただの体感なので数値的な根拠はありません。
幸いシビアな体質管理が必要なアスリートではないので、「身体の声に耳を傾ける」というざっくりしたスキルでOKなんですよね。
甘い味付けがいい、タンパク質欲しい、汁物が欲しい、サッパリしたおかずがいいなどの声をよく聴く。「お腹空いた!」「もういらない」という声にも忠実に従う。理屈や意志の力でねじ伏せないで、耳を澄ますかんじです。
自分の身体も自然なわけで、その自然のシステムが持つ能力を信じてあげる、という姿勢。どうですかね?
要は食欲を我慢しないってことなんですけどね。
ということで今回は、南房総と東京をつなぐ美味しい出会いについて、秋の身体の欲望に従ってお話しようかなと思います。
◉ノーブランドの新米
都市部では、秋の味覚はお店のラインナップで感じますよね。
南房総では、あたりの風景からしてそそられるわけよ。
先日、ご近所の小出さんのつくるお米をいただきました。
今年はひときわ嬉しかったです。
小出さんは今年の5月、田んぼに肥料を撒こうと30キロもある散布機を背負った時、足を滑らせて転び腰椎破裂の大けがをしました。背中で「ボスッ」という音がしたそうです。
それから3か月、ご事情があり入院せずに自宅療養を続けました。お見舞いと称して大勢のお友達が彼の家を寄りあい所のように出入りし、犬の散歩やちょっとした用事を手伝いながら(せっかちに働き出さないように)見守っていたら順調に回復し、刈り入れ直前に完治できたという次第。
ご本人は「今年は雨続きの前に刈ったから粒が小さくて美味くねぇよ」と言っておられましたが、いや美味しいわ!このあたりは粘土質の土なので、いいお米がとれるのです。
小出さんが元気になり、新米が無事に収穫でき、人生悪くないなあ~
という喜びを、南房総に遊びに来たことのある幼馴染たちにお裾分けしたら、みんなその日のうちに炊いてくれて。美味しい、美味しいと伝えてくれました。
そりゃ美味しくないとは言わないでしょうけど。笑。年に1度の喜びを共有できた自己満足に浸りました。
美味しいものを誰かとシェアしたくなるのって、なんでだろうね?
シェアして減るものより、増えるものの方が多いからなんだろうね?
◉新生姜の甘酢漬け
かつてわたしも生姜を育てていたんですけどね。
うちのすぐ下に暮らすゲンゴロウのおばあちゃんが野菜づくりの達人で、彼女の生姜がすごく美味しいのでもうこれはいただく方に回ろう!となって数年。
今年もとびりきのつやつやの新生姜をつくり、甘酢漬けを分けてくださいました。
「もうね、わたしね、頭も舌もバカになって美味しいものがつくれなくなりました。今年の生姜はね、だからね、まずいの。わたしには分からないけどきっとまずいの。だけどね、馬場さんに食べてもらいたくて、まずいけどあげちゃいますね」
おばあちゃんの謙遜が凄すぎて笑いつつ、思わずその場でひとくちつまむと「美味しいじゃないですか!!」となります。
彼女は85歳。母より年上です。お元気ではありますが、手がしびれてよく握れなかったり膝が痛くなったりとしんどい部分を抱えながら畑の作業をしています。
ようやくできた生姜の泥を落とし、たくさん切って漬けてくださる作業を思うと泣けてきます。この瓶だってけっこうな重さだもん。
「食べてくれるとね、わたしが嬉しいの」
「それにね、あの台風の時にあんなにたくさん食べ物を持ってきてくださって、あれが忘れられないの」
もう3年前です、令和元年台風。
そのお礼を、わたしの「ありがとう」にかぶせて伝えてくれるのは、相手を恐縮させないためですよね。
この生姜を娘のお弁当に入れて持たせることがあるのですが、ある時「この生姜が美味しいって友達が言って、つまんで食べちゃうの。入れる時はもっと入れて」と言われました。あはは。
おばあちゃんの生姜、娘のお弁当を経由して都会の知らない女子高生に好まれているってね。嬉しいやね。
次は別タッパーに入れて持たせることにします。みんなで食べてもらいたいから。
◉Gocciaの輪
自制しているつもりではありますが、ふと「わたし、押しつけがましくなってないかな」と振り返る時があります。
こっちは良かれと思って美味しいものを紹介するけど、自分の好きな味をヒトが好きとは限らないし、それこそ「美味しいですよ!」と勧められたら相手は「美味しかったです」と言うしかないじゃないですか。
だからこそ、思わぬところで共感、共有できる人に巡りあうと嬉しくなります。
先日わたしは、館山のピザ屋さん「Goccia」のロゴ入りTシャツを着て都内某所を闊歩していました。
Gocciaを知るヒトの密度が非常に低い場所での、非常に宣伝効果の薄い行為だったと思われます。
単純にかわいいTシャツだから着ていたって話です。
そしたら、横断歩道で前を歩いていたヒトがちらちら振り返り、その後踵を返して近づいてきて「馬場さんですか?」と声をかけてきたのです。びっくりして「はい、ど、どなたでしょう?」と尋ねると、マスクをちらっとずらして「先日打合せした者です」と。
なんと!
そういえば1度、やはり都内でお会いした方でした。
「TシャツにGocciaって書いてあって、もしや…と思ったんです。館山のGocciaですよね?僕も好きでよく行くんです」とのこと。
これには驚きましたわ。都内在住のヒトがたまたまGocciaのピザを愛好していて、たまたまTシャツを見つけてくれて、声をかけてくれたなんて。
言っちゃなんですがGocciaはローカルの愛する小さなお店なのです。
すれ違いざまでその方とほとんど話ができませんでしたが、この妙な絆感はなんなんだと思いました。
オレもゴッチャ好き、オマエもゴッチャ好き、だからオマエとオレはナカマ。みたいな気分になる。
ちなみになぜわたしがこのTシャツを持っているかというと、Gocciaでたまにアルバイトをしているからです。
というわけではなくて。
新しくロゴマークをつくるとき、うちの手づくり醤油のロゴデザインからインスパイアされたから、ということでご丁寧に店主からいただいたのでした。
欲しいとも言われていない馬場醤油を、押しつけがましく渡しておいてよかったよ!
◎ニホンミツバチのハチミツ
最後に、先日採蜜したニホンミツバチのハチミツのことをすこし。
以前お話した週末養蜂。
この群はとても順調に発展し、先日、採蜜することができました!
感無量であります。
採蜜の話を始めると興奮して校長先生の話以上に長くなるので別の機会にしますが、蜂たちががんばって集めてきたハチミツは本当に美味しかった、ということだけお伝えしたい。フルーツのような透き通った酸味と、栗のようなほっこりした甘み。口に入れると、我が家の里山の情景が脳内に再現されるようでした。
人間がいただいてしまってごめんなさい、ありがとう、ととても謙虚な気持ちになりますね。
このハチミツを最高に美味しく食べるために、家族がそれぞれパンをつくったりパンケーキを焼いたりブルーチーズのピザを焼いたりして、最近だけ異様に朝ごはんが充実している我が家です。
これだけ美味しいハチミツをいただくと味覚が贅沢になりますね。
「生産者になるというのは、そういうことなのだと思う」と、養蜂の師匠に言われました。
「なんか最近、ていねいな暮らし、みたいじゃない?」と言うと、
「部分的にていねいな暮らしをするために他が雑になる暮らしじゃない?」と、夫。
できることをできる範囲でやるとそうなるんだよ。
美味しいものをつくったり、分けたり、いただいたりしながら、今秋も深まってまいります。
何でも手に入る世の中ではありますが、有名でもなんでもないけど信頼するヒトやモノに魅せられて味わいを深める“田舎のある暮らし”も悪くないですよ。
寒くなってきたので、あったかいものをお腹に入れて過ごしてくださいね。